約束の先で
腕が青くなるほどの過剰な拘束。さらに罰則を厳しくすると告げてきたこと。そして王城への立入禁止。そのどれも、取り消させる。名前を取り戻すことはできない。だってあれはレギウスではなく、陛下の命令だから。
そして彼は……素直に応じた。
「異論はない。立場は入れ替わった。逆らうこともできない。所詮は第十席だ。貴殿の要求に応え、即刻取り消す。これでいいかエリス・エンバー・ヴォルド。そしてイルナ・ヴァレス・ドラクシス」
私は膝の上で握っていた手を緩めた。フランに、伝えなくちゃ。けれど、こんなにあっさり応じるなんて。
「随分と素直ね。もっと駄々をこねると思ったけれど」
「たとえ落ちようとルールは遵守する。それだけのことだ。逆らうつもりはない」
「ふーん。面白みのない人」
つい最近、一度集まったばかりということもあって、会合は早々にお開きとなった。明日からまたあの忙しさが襲ってくると思うと、今から憂鬱になる。こんな時は……楽しまなくちゃね。
椅子を引く音が重なり、席次たちが席を離れていく。私も立ち上がり、リゼットを呼び止めた。
「忙しくなる前に、今日お茶でもどうかしら? みんなも誘って」
「ふふっ、いいわよ。スローネさん。光栄なお言葉だこと」
二人で笑いあう。リゼットがセリウスの許可を得ると、私とエリスは彼女と一緒に、みんなを誘ってあのカフェへと向かった。少しの息抜き。さんざん遊んで喋って飲んで。エリスが暴走したのは楽しい思い出だったわ。
ベールとリゼットとは別れ、私たちは寮の部屋へ戻った。クローネはエリスに襲われてベッドで寝てる。エリスは酔って熟睡。そして起きているのは私とフランだけ。
「フラン、肝心な主人が寝ているから私が話すわ。今日のレガリオンで、エリスが第零席として、あなたのお兄さんに命令したの。あなたに対する処罰を取り消すようにって」
フランは唾を飲み、じっと私を見つめた。その先を待つように、唇を結んでいる。たとえ第零席でも王族には手を出せないんじゃないか。そう思っているのかしらね。でも大丈夫よ。
「彼は了承したわ。だからあなたは王城に帰っても大丈夫。腕が青くなるほどの拘束に身を包んで表舞台に立つ必要もないわ」
「かえっても……いいの? じゃあ、私ラビに会えるの? 本もたくさん読んでいい?」
「いいのよ。名前は取り戻せないけど……それはあなたがするんでしょう? それまで第零席であなた達をコテンパンにする準備でもしておくわ」
フランは胸の前で両手を握りしめた。上ずった声が漏れ、目にみるみる涙がたまっていく。私が顔を覗き込むより早く、胸へ飛び込んでその顔を隠した。
「フラン? 第零席の胸をハンカチ代わり? 偉いのね」
「ごめんねっ……私のために……ありがとっ」
「どういたしまして。でも命令をしたのはエリスよ。彼女に言ってあげて」
フランは首を横に振った。
「イルナちゃんにも、言う」
「ふふっ。そう? じゃあありがたく受け取っておくわ」
「……今日王城に帰る」
「無茶言わないの。今日はすごく疲れているでしょう? 王城はなくならないから。明日にしましょう?」
「……ん」
「いい子ね。よしよし」
頭を撫でると、顔を上げたフランの目が細くなる。穏やかなその笑顔に私はキスをした。もう寝ましょうとベッドへ誘い、二人で横になる。彼女の胸に包まれながら、私は目を閉じた。
――翌朝。少し早く目を覚ますと、エリスの寝床だけが空いていた。微かに剣を振る音が聞こえる。私はその音を頼りに中庭へ向かった。朝の空気が頬にひんやりと触れる。剣を振るエリスの姿を見つけ、その背中に声をかけた。
「第零席になったのに、朝から忙しいのね」
「あっ、イルナさんっ! おはようございます!」
「ふーん。昨日やらかしたのに元気そうじゃない。酔っ払ってクローネを骨抜きにしたスローネさん?」
「きゃぁぁあああ!!」
エリスは剣を握ったまましゃがみ込み、頭を抱えていた。頭をブンブン振って記憶を消そうと必死。でも……
「うっぷ……二日酔いが」
「おっさんじゃないんだから……」
「すいません……昨日はやりすぎました」
「まぁ、クローネ死んだ魚みたいになっていたものね。ぴくんぴくん跳ねてて面白かったわ。よく跳ねるから結局帰る時、魔法で浮かせながら帰ってきたものね」
「うぅ……すいませんクローネさん。通り過ぎる人たちに変な目で見られてました」
彼女は剣を収め、私の隣へと、トテトテ歩いてくる。
「今日も大忙しですね。まだ時間はありますが……」
私はエリスの腰に収まった剣へ目を落とし、それから彼女の顔を見た。
「ねぇ、エリス。私はね。本当に最初は全部自分で解決しようと思っていたのよ。私がいれば第零席になれるって。でも次第に……それじゃ嫌だって思うようになったの。だって、私はあなたがみんなを見返す姿が見たかった。私に座らされたあなたじゃなくて、スローネにふさわしいあなたが、自らそこへ座ること。それを求めるようになった」
「イルナさん……」
「でも……おこがましかったわね。あなたを支えるつもりでいた私が、レギウスとの戦いでは取り乱した。あなたが槍で貫かれた時、全部どうでもよくなった。殺してやるって。そんな私を、あなたは止めたわ。それに、禁忌階梯魔法であなたは私の力を存分に使った。まるで最初から自分のものみたいに。それって……私をよく知っているからかしら。剣を構え、マスケット銃を構え……龍の炎と吸血鬼の氷を携え、第零席へと歩むあなたの姿は……とてもかっこよかったわ」
「かっ、かっこよかった……ですか? 私が? えへへっ……」
「本当よ? あなたと並んでレギウスに、私が銃を、あなたが剣を向けた時。私の隣にエリスがいるんだなって、すごく嬉しかったのよ。一人ぼっちじゃないなって。下から二番目だったあなたが……頂点に立った。そしてレギウスという王族に、第零席として命令した。あの時は興奮したわ。ほんっとかっこいいなって思ったんだから」
「イルナさんだってかっこよかったですよ! いつもいつも……ほんと……ずっと遠いなって思っても、イルナさんは振り向いてくれるんです。隣に立てて、すごくうれしい」
私の手に、エリスの手が優しく重なった。
「始まりのキスを思い出しますね。イルナさん」
「そうね……戸惑って下手くそだったあなたのキスを思い出すわ」
「むっ……今はイルナさんを楽しませるくらいにはうまくなりましたよ?」
「そうね。私やクローネで練習したものね」
「っ~~! もうっ! イルナさんのいじわるっ!」
静かに唇が近づいていく。エリスの熱を感じながら、そっとキスをした。入ってくる彼女の舌を……ただ受け入れた。重なった手は絡み合い、私のもう片方の手は彼女の頬へ。
「んっ……ちゅ……んぱっ、ん……」
甘い音、甘い声。私の胸に置かれたエリスの手は弱々しい。それでも、少しずつ私を押して、やがて私の背中が地面についた。唾液が二人をつなぎ、うずきで太ももをこする。私はきっと物欲しそうな顔をしている。彼女を見上げながら呟いた。
「いいわよ。エリス。まだ……時間あるから」




