灰色の第零席
私は彼を見ながらまぶたを伏せた。黒焦げでも分かるその表情。怯えていても、それを顔には出さない。その様は立派だと思った。
「キャッ!」
エリスが私を強く抱きしめる。背中へ回った腕に、ぎゅっと力がこもった。
「ちょっ、エリス……痛いわ」
「ごめんなさい……ごめん、なさいっ」
謝る声が途中で詰まる。それでも腕は緩まなくて、触れ合った身体から震えが伝わってきた。この子……涙まで流して。第零席らしくないわよ。もっと悠然と、毅然に……なんて、いいわよね。こんなにうれしそうなんだから。私はそっとエリスの頬を優しく撫でた。指先が涙に濡れても、そのまま、もう一度。
「約束、守ったわよ。第零席に……スローネに座ったわ」
「ふふっ、イルナさん。ほんの少し手伝ってあげるって言ってたのに。どこがほんの少しなんですか?」
涙を浮かべながら彼女はニコッと笑った。私の大好きなエリスの顔。ずーっと見たかった顔。このために私は。
私もニコッと笑ってみた。うまく笑えてるかしら。
「そうね、頑張りすぎちゃったわ」
会場のあちこちから、声が耳に届き始める。私はエリスの肩越しに、観客席へ視線を上げた。禁忌階梯魔法を初めて見た人も多いのだと思う。その規模、隔絶された世界、終幕の意味。何が起こったか分からない子も多いのね。学院祭では席も限られていたから見れない子も多いし。
だから観客たちの反応は……
「おわっ……たのか?」
「あれ……まさかレギウス様?」
黒焦げになり、氷漬けになった姿だけでは、誰なのか判別できないのだろう。けれど、彼が握りしめたままの王族の剣が証明している。
「じゃっ、じゃあ……勝ったのは……アッシュクラス、だってのかよ。王族が負けたのか? アッシュに」
私は目を閉じた。歓迎なんか、されないのでしょうね。
そう思った、次の瞬間。
私とエリスの身体が、びくりと跳ねた。会場中から一斉に歓声が上がる。目を開けても、その声は途切れない。いくつもの声が重なり、次から次へと押し寄せてきた。
この歓声が、私たちに。
肌がピリピリする。声が重なると、こんなにも身体を震わせるんだ。エリスに抱かれたまま、しばらく声も出なかった。胸の奥まで響いてくるものに、ただ耳を傾けていた。
「んっ……クローネ?!」
真っ先に駆けつけたクローネが、私とエリスをまとめて抱きしめる。頬までぎゅっと押され、その顔がすぐ近くにあった。
「良かった……! 最初あんたら押され気味だったから、心配したんだから。あんなのできるんならさっさとやりなさいよ! 心臓が持たないじゃない!」
「んっ……ほっぺがむにって……できるかどうか分からなかったのよ。相手の禁忌階梯魔法次第でどうしようかと思ってたし。二つあるうちのどっちにしようか悩んだんだから」
ちゅっとクローネにキスをする。
「ひゃぁっ!! ちょっ、なによ急に!」
「……あなたのおかげで勝てたも同然よ。魔力の供給、探してきてくれた本。あなたがあなたなりにしてくれたこと。うれしいわ」
みるみるうちに彼女の顔は赤くなっていく。
「はっ、なっ、なによ。べつにそんなっ……あんたなら、私の助けなんてなくったって」
「友達がいたから勝てた。それでいいじゃない。そうでしょう?」
「……まっ、まぁ感謝してよね――うわっ」
私たち全員にフランが飛びついた。視界いっぱいに、笑ったフランの顔。
「わーっ!! やった、やったね! スローネだよ! すごいよっ!!」
「フラン……」
この子にも、感謝してもしきれないわ。禁忌階梯魔法について調べてくれたこと。そして、あのマスケット銃。フランが調整してくれた銃は、龍と吸血鬼の最大魔力をちゃんと受け止めてくれた。今、こんなに近くで笑っているこの子に、どれだけ助けられたかしら。
ふと、クローネとフランの肩の隙間からリゼットが見えた。目が合うと、そっと手を振って背を向ける。ありがと。見ていてくれたのね。その背中を見送っていると、ためらうような小さな声が聞こえた。
「あっ、うっ……ん……」
ベールがもどかしそうに両手を胸の前で重ねておどおどしている。一歩踏み出そうとしつつも、その足を戻してしまう。まだ輪の中に入るべきじゃないって思ってるのかしら。
私は影で、彼女の背中を押した。
「わっ! あっ、あっ!!」
くしゃっ。ベールまで加わって、全員を支えていたエリスも耐えきれなくなる。みんなで折り重なって倒れ込んだ。
「うぅ……重いです……」
私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ、あははっ、あははははっ」
それにつられてエリスも、クローネも……フランも。そしてベールも。
あぁ、とても幸せ。頑張りすぎて――良かった。
でもやっぱり重いわ。影でペシペシと全員剥がしていく。私はまだ起き上がれず、彼女の胸の中。落ちこぼれだった彼女の上にはもう誰もいない。夢を叶えた彼女の胸の音は……とても静かだった。
疲れちゃった。少し眠るわ。いつもみたいに……彼女の腕の中で。今日はとても……よく眠れそう。まだまぶたの裏に、好きな顔が浮かんでる。
おやすみ、エリス。




