完成された終幕
――世界から音が、一瞬消える。不気味なオーケストラも、妖精の笑い声も、拍手喝采さえ完全に消え失せた。
私たちを見下ろしていた天井のガイコツが、完全に静止する。瞬きよりも早く凍りついたそれが、少しずつ動き始めた。凍った骨を軋ませ、終わりを拒むように。
「イヤダ……シニタ、ク」
言葉は遮られた。ガイコツの背後で、巨大な龍の目が開いた。睨みつけるその目の下から、黒い影の龍の腕が伸びる。ガイコツを包み込み、凍った骨を割りながら、天井にまで広がる影の世界へと引きずり込んでいった。最後まで、それは抵抗した。けれど、圧倒的な影の龍に呑み込まれるほかなかった。
妖精たちも例外じゃない。赤い月と、影から覗く龍の目の下で、怯えて震えていた。そのうちの一体が、凍りついた身体を無理に動かして走り出す。
たちまち白銀の炎が全身を包んだ。悲痛な叫びごと灼き尽くし、灰すら残さない。他の妖精はもう動けず、伸びてくる影に一体ずつ呑まれていった。
すべてが凍りついた世界で、白銀の炎は執政を行う。龍の目に囚われた炎の海も、地面を這っていた黒い根と不気味な黒い森も、落ちていた雷も、水面でさえも。何一つ動くことを許されない。凍りつき、魔力に変わることすら許されない。
カタッ、カタカタカタ。レギウスの手が震えている。本物の龍に睨まれ、動くことを禁じられている。天井の黒い魔法陣も影に呑まれ、実体化した黒い長槍が地面へ落ちた。彼は、目の前で灼けて消え去るそれを眺めることしか出来ない。
ひどく冷たい空気の中、ガレスはその場に座り込んでいた。疑似禁忌階梯魔法術式は消え去り、本人まで凍りついたように動かない。その表情は、終わりを実感しているように見えた。
一瞬、エリスの背後に魔法陣が浮かぶ。キィン……と、耳をつんざく高い音が響いた。炎を纏った氷の槍が天井から一直線に降り、その魔法陣を切り裂く。その速さは、きっとレギウスには認識すら出来ない。
「終わり……だと。この私が? ここまでどれだけのものを積み重ねたと思っている。私が溜め込んだ魔力を持ってしても敗北だと。認められるものか。私は……私は王位継承権第二位、レギウス・エルワース・ファニスだ! エルワースの名にかけて負けるわけにはいかない! いずれ国を背負い、国を守り、民を豊かにするため、私は剣を掲げるのだ!!」
彼は踏み込んだ。その全身を白銀の炎が包む。炎を纏った氷の槍が片足を貫いても、もう片方の足を前へ出した。ガレスが悲痛な声を上げる。
「レギウス様!! いけませんっ! もうっ……」
「黙れガレス!! たとえ焼け死のうと、一つの失敗を背に国民の上に立つことなど……許されない!!」
身体が凍りついていく。足を氷に取られても、彼は無理に踏み出そうとした。氷にはりついた皮膚が、その場に残って剥がれていく。
私は冷たく言った。
「ずいぶんと脆い国家なのね。間違いの許されない王政。それだけで滅んでしまうような国など最初から運命は決まったようなものだわ。私にとってはどうでもいいことだけれど、その王政で一人の女の子が泣いていたわ。その女の子は龍と吸血鬼の少女に出会い、認められるに至った。その女の子がすべてを覆しただけの話よ。間違いを認めたくないからと、また泣いてと言うのかしら? 女の子は受け入れないし、少女は許さない」
二本目の槍がレギウスのもう片方の足を貫き、地面へ深く突き刺さった。彼は膝をつく。私はその前へ歩み寄り、見下ろした。
「言ったわよね。私はエリスほど優しくないわ。女の子なら『もう終わりです』と言って、それで許すでしょうね。でも、私は許さない。あなたたちのルールで王女は自由を奪われ、私たちに笑って大丈夫と言った。そして、女の子を何度も殺そうとした。少女の大切なものを奪おうとした。傷つけた。負けを認める必要なんてないわ。圧倒的敗北を与えてやればいいのだから。吸血鬼と龍の怒りを知りなさい――頭が高いわよ」
上空に引力が生まれる。影が舞い上がり、白銀の炎と共に会場の中を吹き荒れた。炎がレギウスとガレスを呑み、その身体を氷が覆う。二人の姿が、荒れ狂う影の中へ消えた。存在するすべてのものが、天井の影へと呑み込まれようとしていた。
舞台に立つのは二人の演者のみ。太陽と月に呑まれ、動けぬすべては、この世界から退場する。
――すべて消え去れ。
静かな世界が戻ってきた。観客たちは何が起こったのか分からないのか、周囲を見回している。
私はくらりと視界が揺れ、身体を支えきれなくなった。クローネの魔力も全部使っちゃった。エリスが剣を捨て、滑り込むように私を抱きかかえる。
「イルナさん!」
「エリス……ふふっ。さすがに本当に終幕を最後まで演じたら、観客も含めてみんな死んでしまうものね。途中で止めたけれど……あなたの言う通り、勝つのなら徹底的に。守れたかしら?」
レギウスとガレスは、全身が黒焦げになっていた。地面に座り込み、その身体を氷に閉じ込められたまま、ぴくりとも動かない。それでも、レギウスは王族の剣だけは握りしめていた。




