戦略家
ガレスが姿を消した? 守るべき主人を置いて?
「いいのかしら? あなたを守る盾がいなくなったけれど」
そんなこと、レギウスだって分かっているはず。何も考えずにやっているとは思えない。でも……このチャンスを逃すほどエリスは甘くない。私も銃を構える。
「行きますッ!!」
エリスが地面の氷を踏み砕いた。龍の魔力が循環する彼女は、常人の目では追えない速度でレギウスへと迫る。迎える彼の口角が上がった。
「私を見る余裕があるのか?」
「何のことかわかりませんッ!! 今あなたを倒すことが優先です!」
エリスが斬り込む。切っ先が、レギウスの喉元へと走り勝負がついたと思ったその時だった。
ドスッ……と、重なる衝撃が走った。氷の上に、大量の血がボトボトと落ちていく。視界が揺らぐ。”私”は片膝をつくことすら許されなかった。
「は?」
レギウスの黒い長槍が脈打っていた。その身を包む呪いのような布がほどけ、宙に浮いたままゆらゆらと揺らめいている。
ズキッと手の平が痛んだ。私は痛みを感じる場所へ、順に視線を落としていく。両手の平に一本ずつ、左の太ももに一本、胴体に一本。貫かれるまで、何の予兆も感じなかった。唐突に現れた黒い長槍の複製体が、私の身体を貫いている。ズキッ、ズキッと傷口が脈打ち、槍に血が伝っていった。
シュンッと四本の槍が丸く縮み、姿を消した。私はそのまま座り込んでしまった。立とうと足に力を込める。太ももの傷が引きつり、腰を浮かせることもできなかった。
やられた。私に矛先を向け続けていたのは条件かなにか? ずっとおしゃべりだと思っていたけれど、時間稼ぎだった? どっちでもいい。もう攻撃された。吸血鬼の能力で回復を……
「イルナさんッ!!」
声に顔を上げた。表面の氷が溶け始める中、エリスの剣先はレギウスの喉に触れる寸前だった。けれど、彼女は私へ顔を向けてしまった。剣の勢いが鈍る。その一瞬に、レギウスの槍が剣を弾き、続く二撃目でエリスを遠くへ弾き飛ばした。
「これは退魔の槍だ。とても貴重なものでな。次に使えるまでに三日はかかる。しかしお前の吸血鬼の能力には十分だろう」
「……その通りみたいね。回復、しないわ」
だらりと垂れた腕を、血が伝っていく。傷口が塞がらない。マスケット銃を握る手に力を込めようとしたけれど、痛みに息が詰まった。構えようにも持ち上げることができない。
龍にも再生機能はある。でも……すごく遅い。太陽が――とても遠いから。
レギウスは持っていた黒い長槍を、用済みとでも言うように地面へ投げ捨てた。カラン、カランと転がる音が響く。その間に彼の手は背中へ回り、彫刻の刻まれた大剣を引き抜いた。あれが飾りじゃないことくらい、分かっていた。
「ガレスは私を守るための盾ではない。そして吸血鬼、お前はその傷でエリスの第七階梯魔法に耐えられるのか?」
大剣を高く振り上げ、構えるレギウス。ジリッ……と服が焦げ、鼻先にその匂いが届いた。肌まで熱い。見上げる先で、レギウスの炎の大剣とは比べものにならない太陽が、落ちようとしていた。
その時、レギウスが片足を踏み込んだ。大剣が轟音を響かせ、エリスの頭上へ振り下ろされる。彼女は自分の剣を横にして、その刃を受け止めようとした。火花が散る。細い剣身が軋み、エリスの顔色が変わった。
「折れっ……!」
すかさず刃を傾け、半身を引く。大剣が剣身を滑り、エリスのすぐ脇へと逸れた。押しとどめられていた刃が勢いを取り戻し、地面を強く叩く。
カチンッ。
まるで爆発したかのように、地面が円形に砕け散った。エリスの足元まで崩れていく。岩が空へと落ちる中、彼女はレギウスの大剣を蹴り、距離を取った。レギウスの視線がその姿を追った。
宙にいるエリスの全身が業火に包む。反魔法が炎を弾き飛ばした時、エリスの大きな影が覆っていた。木の拳が彼女を叩き潰そうと迫っていたからだ。大剣を蹴り飛ばしてからおよそ一秒足らずの攻防。
着地が間に合わないと判断したのか、エリスは木の拳に剣先を当てた。その力を利用し、刃を滑らせながら身体を後ろへ反転させる。後方へ降り立つと、靴底が地面を擦り、砂埃が上がった。木の拳は切り刻まれ、ばらばらに落ちていった。
「はぁっ……はぁっ」
「さすがだエリス。アッシュにしてはな」
レギウスの顔が曇った。地面に広がる黒い影の盤上に気づいたのだろう。マスケット銃へ血を滴らせながら、私は引き金を引いていた。指を曲げるだけで、手の平の傷が痛む。それでも、こんなことでエリスの足など引っ張りたくなかった。
地面がひび割れ、剥がれた岩が太陽へと落ちていく。その太陽も、今や地面へ接触しようとしていた。
「私が……もう何もできないとでも思った?」
「あぁ、驚いた。まさか”意味のないこと”をするとはな」
――待って。なんで、なんで、あなたは今黒い長槍を持っているの? エリスが遠ざかっている間に拾い直した? どうして……
恐る恐る、目をエリスへと向けた。
「いやっ、いやっ!! 嘘でしょ、エリス!!」
喉が裂けるんじゃないかってくらい叫んだ。
太陽が動きを止め、引力を失う。頭上では、上へと落ちていた瓦礫が向きを変え、地面へ降ってくる。私は立ち上がってエリスのもとへ行こうとした。足に力を込めた途端、膝がカクンッと折れ、顎が地面を擦った。
エリスは剣を握ってる。でも、地面から突き出した黒い長槍が、エリスの腹部を貫通していた。彼女の足は宙に浮いている。怖いほどに血が地面と槍に落ちていく。
エリスは吸血鬼じゃない、龍じゃない! 死んじゃう。エリスがっ!!
「エリスッ!!」
私の進んだ後には、血が線を引いていた。傷ついた手をまた前へ伸ばし、身体を引きずる。いやだいやだいやだっ! 私の前で死なないで、こんな死に方しないで!! もう嫌よ!
「嫌……よ」




