灰色の決意
「ひどいです。イルナさん」
湯船のお湯が揺れる。エリスは浴槽の縁に両手を重ね、その上に顎を乗せていた。湯気の中、エリスの肌から水滴が落ちていく。
ぽちゃんっ……と、水面にもう一つ波紋が広がった。
「拗ねているの?」
「だって……イルナさんのペアは私なのに。イルナさんは私を第零席に座らせるって契約をしたんですよ? ちゃんと契約してからはキスの回数だって」
「かわいいところあるのね」
ムッと唇を尖らせるエリス。ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「からかわないでください。嫉妬くらい……しますよ。私は……その、イルナさんのことが大好きですし、私を見ていてほしいのに。フランさんやクローネさんとイチャイチャ。最近はベールさんとも仲良さそうじゃないですか」
「言い逃れできないわね。別にあなたをないがしろにしているわけじゃないのよ?」
「そんな気分になるんですー」
「あなただってレストランでクローネを骨抜きにしたじゃない。打ち上げられた魚みたいになってたわよ」
「あっ、あれは……酔ってたからです! イルナさんは私の比じゃないじゃないですかっ!」
「へー? 酔ってなくてもベッドの上でクローネにキスしてたような気がするけど?」
「うぐっ……」
私は近づいて、自分の額をエリスの肩に当てた。分かってるわ。あなたの言いたいこと。だからちゃんと聞かないとね。
「エリス。もしあなたが本当に嫌なら誰にも手を出さないわ。主人はあなたよ。影の中から見つけ出されて、仮契約をしていろんなことがあって。少しの暇つぶしじゃなく、私の人生になった。とても大切でとても大事で――とても大好きな人。なによりもあなたを優先する」
「そ、そんなこと言って……ッ」
振り向いたエリスの目を私はじっと見つめた。私の濡れた前髪から水滴が顔を伝っていく。私の目はエリスにどう映っているのかしら。
――本気よ。エリス。
「イルナさん。本当に約束できますか。誰にも手を出さないって。私の……私のために。お友達のクローネさんにも、フランさんにも、ベールさんにも一切手を出さないって。私だけにキスをしてくれるって、私だけの血を吸ってくれるって」
「約束するわ」
迷いなんてなかった。即答した私を見て、エリスは一度だけ目を瞬かせる。それから唇をつぐみ、頬を赤く染めながら静かに言った。
「わかり……ました。今は、そうなってしまうのは私は嫌です。私だってクローネさんにキスしちゃってますし。でももし、私がイルナさんを独り占めしたいって言ったらその時は……私だけを見てください」
「当然よ。ご主人様」
湯船の水が少し揺れた。どちらからともなく距離が縮まり、いつものエリスの唇が重なる。舌先が触れ、慣れたキスが私を溶かしていく。湯船の熱のせいでのぼせてしまうんじゃないかと思うほど、どちらが求めて、どちらが求められているのかも分からない。
吸血鬼にはあつすぎるわ。
「んっ……エリス」
攻めていたはずなのに、いつの間にか私は湯船の端へ追いやられていた。エリスがキス越しに魔力を流し込んでくる。その熱に腰が勝手に跳ねた。
気づいたエリスが、さらに唇を深く重ねてくる。舌に翻弄され、二人の間に手を入れても、その手にうまく力が入らない。熱い。感覚が溶けて、視界が揺れて――真っ白になる。
「ッ――!!」
私は体を小さく丸めて肩を跳ねさせた。
「はっ……はぁっ」
白く飛んでいた視界が戻る。いつの間にか涙が頬を伝い、呼吸もまだ整わない。目を向けると、エリスも頭を下げたまま荒い息を繰り返していた。余裕がないのは、どうやらエリスも同じらしい。
ただのキスなのに。私も、エリスもどうしようもないわね。
「ふふっ……エリスのえっち」
「なっ……先にキスをしたのはそっちです」
「そうだったかしら? エリスじゃなかった?」
互いにそう言い合って、笑いあった。私は口元に手を当て、エリスは私におでこをあてたまま。ひとしきり笑ったあと、エリスはふと浴室を見渡した。口元にはまだ笑みが残っていたけれど、その目だけが少し遠くなる。
「イルナさん。私はイルナさんと出会うまでずっと泣いていました。ここはずっと泣く場所でした。みんなからバカにされて、ずっと落ちこぼれって言われて。誰にも認めてもらえない一人ぼっち。何もない空虚さの中で、誰かに気づいてもらいたいと泣いていたんです」
エリスは一度まぶたを閉じた。ゆっくりと開いた瞳は、もう過去ではなく、まっすぐ私を捉えていた。
「最後の一手です。この学院の頂点に立って証明します」
エリスは勢いよく立ち上がった。胸元に手を当て、まっすぐ私を見下ろす。
「私には価値があるって認めさせます。灰色のエリスは――第零席なんだって!」
思わず笑みがこぼれた。胸がとても熱いの。だって、だって……待ち望んでいたんだもの。私は立ち上がったエリスを見上げながら、自分の胸に手を重ねて誓った。
「私は必ずあなたを第零席に座らせる。あなたは太陽の龍と月の吸血鬼の子を従えた存在。レギウスとガレスを叩き潰すわよ――ご主人様」
ちゃぽんっと、エリスが湯船に肩まで浸かった。
「うぅ……寒かったです」
「エリス……台無しよ……」
「すっ、すいません……」




