できること
「どうしたの? クローネ。いつもより真剣な顔をして」
行き詰まっていることに気づかれたのかしら。私はそう思っていた。けれど……クローネの行動は私の予想を裏切った。
シャツの擦れる音が聞こえてくる。視線を壁から横に移すと、目を逸らしながらもクローネが自身のシャツのボタンを一個ずつ外していった。一つ、二つ。開かれるたびに顕になる柔肌と白い下着。
「ク、クローネ?」
「あんたがこういうので、戸惑うなんて思わなかった。いつも襲う側だもんね。私からなんて初めてだっけ」
一筋の汗がクローネの鎖骨から胸へ落ちていく。それから視線を外せなかった。ふと気がつくとクローネの目が私を見ていた。目があうと、彼女はまた逸らして首を傾けた。つばを飲み込む筋肉の動きで、クローネが緊張しているのが分かる。
ドクンッ……と吸血鬼の本能がそれに吸い寄せられそうになる。
「明日、ついに第零席との戦いでしょ。先に座って待っててよ。私たちがいつかあんた達を倒してそこに座るから。だから……まずは座らないとじゃん」
「クローネ?」
彼女は下唇を噛んでから苛立つように言った。
「あぁ、もう。据え膳なんだから……吸いなさいよ。血……必要でしょ。少しでも多くさ。別に……吸いすぎてもいいから。私のじゃ嫌? やっぱりエリスの方がいい?」
気づけば私はクローネの首に牙を立てていた。舌先に触れる肌からは汗の味がする。クローネの手が私のシャツを擦るように背中に触れた。
「明日……絶対に勝って」
ガリッ……私の牙がクローネの首に傷をつけた。染み出してくる血を口の中へと吸い出していく。血と一緒に魔力と甘さが流れ込んでくる。
「んっ……あぁっ……ねっ……はやっ」
クローネの腰が跳ねて、私のお腹に強く当たる。
「ッ……! いッ……はっ」
悶える声も耳に入らないほど、私は夢中になった。クローネは私の背中を掻きむしるように爪を立てる。太ももの間に入った私の足に体を押し付けてくる。
「はっ……あっ、あぁっ!」
強く締め付けられ、クローネが私の肩に噛みついた。足が震え、息が出来ないみたい。
「ふーっ! ふーっ! イッ」
肩から血が出そうなほど強く噛まれる。震えが収まっていく。でも――足りない。
「はっ? ちょっ」
言ったじゃない。吸いすぎてもいいって。カタカタッていう歯の当たる音が聞こえる。唾液か、それとも涙か。それが私の肩に染みていく。力なく私の背中を叩く。
もうちょっと。
「ダ……メッ、もう、ダメっ! イルナッ! あぁっ、あっ」
そんなことを言うくせに、強く抱きしめてきて離してくれない。素直じゃないことは知ってる。
「まっ、またっ……ねぇっ、ダメッ、イル……ナァ」
クローネがまた激しく跳ねた瞬間、ベッドに押さえつける。それでも私は自身の下で、激しく震える彼女の血をもうちょっとだけ吸い続ける。
「あっ……あっ……あ」
カパッ……と私は牙を離した。少し離れて顔を見る。
「……ひどい顔」
私の一言に、文句も言えそうにない。口を開けて、カタカタと顎を揺らし、必死に私のシャツを掴んで唾液を垂らし、涙が溢れていた。継続した水音が聞こえる。離れようとすると、私のシャツをクローネが掴んで離してくれない。
私の体の中を、クローネの魔力が巡っている。吸血鬼の回路を通って、龍の器へと貯蔵されていくのを感じた。クローネが少しずつ落ち着いて来たのか、彼女の目がちょっと睨むように私を見た。
「……しねっ、バカッ」
「あなたが言ったんでしょう? それともやめてほしかった?」
「なっ……それはっ……」
返事はせずに、そっぽを向いて顔を赤らめた。ポスッと脇腹を優しく殴られる。私はクスッと笑いながら影で綺麗にした。それでもまだ涙や汗が止まらないらしい。私は寝ているクローネの上に被さり、抱きしめていた。
「イルナ……私、本当に感謝してる。あんたがいなかったら、あんたが守ってくれなかったら。今もきっとお父様の顔色を伺ってビクビクしてた。虚ろな目をして、死にそうな顔をして。あるいは死んでたかも。生きがいも見つけて、ちゃんと友達が出来て、ベールと仲直りして、強くなって。順位まで上がっちゃってさ。だから……お礼みたいなもん」
「じゃあ吸いすぎたの許してくれる?」
ゴツンッとおでこを当てられる。
「バカッ。それとこれとは別」
「夢中になっちゃったのよ。許して」
「……はぁ。今回だけね」
そう言った後、クローネは私の頭を撫でながらこう問いかけてきた。
「あんた確か、フランを助ける時に一回禁忌階梯魔法使ったんでしょ」
「えぇ。使ったわよ。でも真似事みたいなものだったけど」
「その時のことを聞いてさ。これ、役に立たないかなって」
クローネはグラウィスを使って一冊の本を取り出してきた。私はそのタイトルを見ながら首をかしげた。
「天体の……本?」
「そ。結構面白いから。ていうかあんたそろそろどきなさいよ。お風呂入らないと……って、ちょっとまっ……なんで近づいてっ……んんっ!」
「もうちょっとだけ。据え膳でしょう?」
「あれはっ、血のことでっ」
私はクローネの太ももに手を滑り込ませた。
「はっ? ちょ……あんた」
「愛してるわ」
クローネの顔がどんどん赤くなっていく。私を蹴ろうとした足が静かに降りていく。
「体力……使っちゃうでしょうが」
「むしろ元気になるかもしれないわ?」
「都合良すぎ」
――二時間後。パジャマに着替えたクローネはすでにベッドでダウンしていた。夕食はいらないと言っていたので私はそれを帰ってきたエリスとフランに伝える。
スンスンッと、エリスは匂いを嗅ぐとじとーーッと私の目を見た。私はてへっと舌を出すとぽかぽかと叩かれた。
「んーっ! 主人は私なのにっ、ですっ!」
「魔力のためよ。魔力のため」
「他の匂いが混ざってます!!」
「どーどー」
エリスをなだめながら、フランの方を見た。彼女は手元に目を落とし、慎重に手を動かしていた。
「フラン」
「ん? どーしたの? イルナちゃん」
「ありがと」
「マーカスさんみたいには……うまくいかないかもだけど」
フランの片目を覆う、魔法術式で作られたモノクルが青く輝きながら回転していた。その前には、私のマスケット銃の複雑な魔法術式が幾重にも展開されている。フランはそれを見つめながら、一つひとつ確かめるように手を動かす。
「むしろ、私の方がありがとーって言いたいよ。だって……大事なマスケット銃の調整を私にさせてくれてるんだもん。絶対、いい調整にするからね」
その声に顔を見ると、目の下には深いクマが出来ていた。無理をさせたんじゃないかって、胸が痛む。
――調整を終えたフランは、ベッドで泥のように眠ってしまった。その後、私はエリスとお風呂に入った。




