クローネの覚悟
沈んだ顔で、クローネはスカートをめくりあげた。折れた箇所が痛々しく青くなっている。太ももに巻きつけられたベルト。そこに収納された短剣が、光を反射している。
ゆっくりと短剣に手を重ね、ベルトから取り出した。彼女は刃の背にもう片方の手を被せる。刃は首筋へと当てられる。
「面と向かって、謝れなくてごめんね。エリス」
クローネはギュッ……と目を強く瞑る。そして勢いよくその手を引く。刃先が首筋に切れ込みを入れた瞬間だった。
――ピタッ……と刃が空間に固定されたかのように動かない。
「なんで……! どうして」
クローネは何度も、何度もそれを引こうとする。しかし、一向に動く気配がない。
――当然よ。私が抑えているのだから。私は背後からクローネに囁いた。
「面と向かって謝ればいいじゃない。それが本心なのでしょ?」
クローネが驚いたように振り向く。現実を理解できないような表情で、私の目を見ている。彼女が今、何を思っているのか、それは私にはわからない。
「離して……離してよ!!」
彼女の虚しい訴えが、私の心を締め付ける。刃を掴む私の手に伝わる震え。私は目を伏せながら呟いた。
「離すわけないでしょ」
「あんたには関係ない! 離してよ……離してお願い」
――もう疲れたの。
彼女がそう言った瞬間、私は短剣を奪い取り、壁に向かって投げつけた。刃のほとんどが壁の中に隠れる。そして彼女の胸元のシャツを掴み、強く引き寄せる。
「だったら休めばいいじゃない……! 私の前で疲れたなんて言って死なないで!」
クローネが唖然としている。次第に涙が溢れ、歯を食いしばろうとする。けれど、嗚咽が漏れて閉じることができていなかった。
「休めるわけないじゃない! 私は貴族よ!」
「だからなんなのよ! あなたこのまま死んで満足なの? それで幸せだったって言える? 私は許さない。絶対許さないんだから!」
「ッ……」
クローネは私の勢いに気圧され、死ぬための次の言葉を探さなくなった。彼女は私の手に手を重ねて言った。
「苦しい、離して。大丈夫だから。あんたが感情的になるなんて思わなかった。もっと冷静沈着だと思ってたから」
私は手を離した。クローネの体が尻もちをつきながら、ピチャッ……と浴槽の水を揺らす。私は取り乱していたことに気づき、静かに謝った。
「ごめんなさい。乱暴……しちゃったわね」
「……いいわよ。別に」
クローネは膝を抱えた。背後にいる私に話しかけるように言葉を続ける。
「全部見てたの? いつから?」
「決闘の後からよ。エリスが私に目で合図を送ったのよ。あなたの様子がおかしかったからでしょうね。来て正解だったわ」
「あの子が……」
クローネは膝を頭に近づける。クローネは苦笑しながら自分を落ちこぼれだと言った。
「笑えるでしょ。いつも私は落ちこぼれってあの子に言ってたくせに。本当は私の方が落ちこぼれ。親の期待に答えられない貴族の落ちこぼれ」
「……いつも、あんな扱いを受けてたのかしら?」
クローネはそっぽを向きながら、疲れたようにつぶやく。
「今日は……少し酷かった。負けちゃったからかな。エリスに」
私は浴槽の中へと入る。水かさが増し、ひどく冷たい水が服に染み込んでくる。クローネを見ると、震えている。けれど……冷たさのせいではないのでしょうね。両膝を抱える腕が、何かをこらえるように引き合う。
「休むって……どうしたらいいの。わかんないよ。だって私は……ずっとお父様の人形として生きてきたのよ。他の方法なんて思いつかない。何もわからないの……」
……きっと、自由意志なんてないんでしょうね。それを育まずに育ってしまった。貴族のような家庭に生まれる子はみんなそう。立場に縛られる。自分がどうしたいのかも……見えなくなる。
私は少しだけ声のトーンを上げた。
「反抗期にでもなりましょうか。今が辛い、嫌だって思うのなら。父に逆らいなさい」
膝に頭をつけたまま、クローネは首を小さく横に振った。
私はクローネに近づき、自分の胸に優しく抱きよせた。濡れてしまった彼女の髪を整えるように撫でる。
「大丈夫よ。私が手伝ってあげる。あなたが……自分の意思を持てるように。それに……私のペアに謝ってもらわないと困るわ。誰も居ない空席になんかじゃなく、ちゃんと……謝ってもらうわ」
くぐもった泣き声。泣き方までヘタクソなのね。本当にヘタ……何度もつっかえて、声を我慢して。
――大丈夫よ。あなたがあそこで死ななかったことを、後悔するようには絶対しないから。
クローネが私の胸元のシャツを強く掴む。とても緊張して、怖がってる。当然よね。死ぬことよりも、逆らうことの方が怖いんだから。
彼女の頬に舌をあてる。ワイングラスで傷つけられた頬を舐めた。クローネはビクッと飛び退く。頬を抑えて顔を真赤にして、抗議をするけれど、呂律が回っていない。
「はっはひゃっ?! な、なによぉいきなりっ」
私はクスクスと笑った。
「もう私が人間ではないことは分かっているでしょう?」
「それとこれとは話がっ……!」
「あるのよ。私は吸血鬼。唾液には治癒能力があるの。親に喧嘩を売る前に全部治してしまいましょ」
クローネは頬の傷があった箇所を撫でる。
「治ってる……」
私はクローネの袖をめくる。折れた箇所にキスをする。唾液が腕を伝い、浴槽へと落ちる。
「んっ……ねえ、本当にこれしかないの?」
「さぁ? どうかしら」
彼女は顔をそむけながらもチラチラと私を見ている。太ももと膝をこすり合わせ、落ち着きがない。少し時間がかかって腕の骨折は治る。
――私は彼女の太ももの裏側に片手を滑り込ませた。ぐいっと持ち上げると、水に濡れたクローネの姿勢が容易く崩れる。
「はっ……? え、はぁ?!」
今までにないほど顔を真赤にしたクローネ。背中を浴槽の底につけたまま、恥ずかしさに声を震わせる。
「あっ……まって! 足は……舐めなくてもいいでしょっ……!」
「嫌よ」
私は悪戯に微笑みながら、水面から引き上げた彼女の白い太ももを見つめる。反応を楽しむように顔を近づけると、クローネは自分の顔の前に両腕を被せて、視界を塞いだ。それでも腕の隙間から覗く潤んだ瞳と、私の目が妖しく絡み合う。




