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お仕置き

 クローネは頭を下げ続けているメイドのラディエと、すれ違うように入口から大広間へと入る。人を出迎えるこの場所を……彼女は見上げる。高い天井、二階へと続く両端の豪華な階段。冷たい大理石の床の上で彼女は立ち止まる。


「……ここに来るといつも、ちっぽけって感じるわ。私って本当に」


 大理石の上を歩いていく。階段を上がり、汚れ一つ無い赤いカーペットの廊下を歩いていく。奥の扉が近づくに連れ、速度が落ちていく。


 扉の前で立ち止まる。ノックの後、震えを必死に抑えた声を出す。


「お父様……クローネです」


「入りなさい」


 ドアノブに手をかける。過呼吸が始まる。無理やり自分の喉を掴んで押さえつける。深く息を吐いて部屋の中へと足を踏み入れた。


 どうやらクローネの父の執務室。多くの本に囲まれ、重厚な机がひときわ存在感を見せている。それ以上に存在感があるのはクローネの父。姿勢を崩し、白い手袋を身に着け、ワイングラスを小さく揺らす。視線は鋭く、髪はオールバック。筋肉質には見えないが、その正装の奥には確実に鍛え上げられたものが存在している。


「クローネ」


 クローネの肩が跳ねる。彼女は俯き、必死にスカートを掴んでいる。父の低く攻撃的でありながら落ち着いた声。詰まりながらもクローネは「はい」と返事をした。


 父はグラスを傾け一口飲み込む。深く、深く息を吐いた。


「負けたそうだな」


 クローネの息が荒くなる。視線が泳ぎ、必死に言葉を積み重ねる。


「その、いっ一度は勝ったのですが……」


「”負けた”のだな?」


「っ……」


 言葉で返すことができず、頷く。クローネの父はイスから立ち上がる。ワイングラスを回しながらクローネの背後へと移動する。耳元で囁く。


「十二の貴族、その落ちこぼれに負けた。そうだな?」


 クローネの体がワインによって赤く染まっていく。ポタポタと、頭からかけられたワインが赤いカーペットへと染み込んでいく。クローネの父がワイングラスをクローネの首に当てた。その冷たさと赤いワインがまるで、首を切ったかのような錯覚を起こさせる。


 必死に息を吸うクローネ。けれど喉が開かないのか、かすれた音だけが聞こえてくる。


「ごめんなさ――」


 勢いよく蹴り飛ばされたクローネは本棚へと衝突する。地面にうずくまるクローネに衝撃で落ちてきた本が、まるで追い打ちをかけるように落ちていく。足音が近づいてくる。


「ごめんなさい! ごめんなさいお父様っ!」


 クローネの父は惨めな娘を見下ろしながら口を開く。


「私は幾度と待った。娘が一番を取ることを」



 バキッ、という嫌な音が響く。彼女の細い骨が重さに耐えきれずにへし折れる音だ。間髪入れずに、執務室に響くクローネの絶叫。さらにワイングラスを頭に叩きつけて鋭利な箇所を作った。クローネの頬にそっと押し当て、丁寧に引いていく。血が頬を伝う。


「貴族としてそんな声の出し方を教えた覚えはない」



 歯を鳴らしながら必死にクローネは歯を食いしばる。よしよしいい子だと頭を白い手袋をはめた手が彼女の頭を撫でる。


「君は人形だ。しかしお仕置きが必要だと私は思っている」



 クローネの頭を掴み、引きずり始める。執務室の扉を開け、廊下を進んでいく。すれ違うメイド達が目を背けて表情を曇らせる。

 ……クローネから苦痛の声は聞こえない。聞こえるのは歯と歯が当たる音だけ。


「――私は常に二番だった。屈辱的だ。常に私の上に立つものがいたんだよ。貴族の血すら引かぬ、ただの一般生徒ごときに。そんなものに負けたまま、学生生活は終わったのだ」


 シャワー室の扉を開ける。蛇口をひねり、湯船に水を溜めていく。そしてクローネを湯船の中へと投げ入れる。湯船は傷ついたクローネの血とワインが滲み出し、赤く染まっていく。


 ――突如頭を掴まれ、湯船の中へと押し込まれるクローネ。


「ごぼぁっ――」


 大量の気泡が水の中から吹き出す。必死に暴れて顔を上げようとする。


「ノクト・グラビティア――グラウィス」


 クローネの体が風呂の底へと叩きつけられる。数秒後、クローネを水から出すように少しだけ持ち上げる。咳き込みながら謝る姿は見ていて痛々しい。


 クローネの父は自分の方へとクローネの顔を掴み寄せた。


「私の言ったことはすべてやった。本当にそうだな?」


「全部……! 全部やりましたっ。みんなと一緒に……教科書をダメにしたり、食事をまともに食べられないようにもしました。決闘で足首にヒビを入れたり……何度も罵って、お父様の言う通り私は――ごぶぁっ!」


 彼はクローネを水の中に沈めながらため息をつく。


「程度が低かったのではないか?」


 クローネは水の中で首を横に振った。


「……そうか」


 クローネは手を離され、次にいつ吸えるかわからない酸素を必死に溜め込む。水に濡れた髪をクローネの父は優しく撫でる。


「分かった。信じようその言葉を」


 クローネは安堵の息を吐いた。


「お父様……!」


 骨が軋む音と共に湯船の水が激しく波立つ。不意をつかれたクローネは息を溜め込んでいなかった。魔法を唱える余裕もない。頭を押さえつけられ、どんなに必死にもがこうが手が緩まない。泡の音と共に聞こえる抵抗の声。クローネの目が上に向いた瞬間だった。手が離れ、魔法も解除される。


 ザバッ! と両手を浴槽の床について水から逃げ出したクローネ。滝のように水が落ちていく。そんな彼女に……父は背を向けた。


「そのまま明日の朝までそこで反省していろ。炎の貴族、その落ちこぼれに負ける恥知らずが」


 無機質な扉の閉まる音。


 赤く染まった浴槽の中で、クローネは力なくぺたんと座り込んだ。ぽちゃん、ぽちゃんと水に濡れた髪から滴る水の音が静寂に響く。


 赤色の湯船を見つめていた彼女の虚ろな視線が、ゆっくりとスカートの下へと移動していく。


 ――頬を伝う浴槽へと落ちる水の音が、少しだけ増えた。

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