遅すぎた愛の言葉
片目の色が違う。その言葉にエルワースはコップに映った自分の片目を確認する。金色に輝くその目を見て、エルワースは呟いた。
「……天使の目」
その呟きはエンバーには聞こえなかった。エルワースは仮説を立てた。おそらく世界再構築時、自身の身体は崩壊しかけており、材料が足りなかった。消えかけていた天使の回路を利用して片目を補った……と見るのが自然か……
何はともあれ、生きていた。エルワースは長く息を吐いた。まだ答えを待っているエンバーと目が合う。
エンバーが知っているのは、彼がスパイをしていたことだけだ。天使になっていたことまで話せば、三日三晩の説教になる。エルワースは肩をすくめた。
「生きてたんだから、それでいいだろ」
「で、エンバー。これからどうするんだ? 見ての通り太陽と月の娘はこっちからは観測すらできない。今はこことは違う空間に、時間ごと切り離されているんだろ?」
「あぁ、イルナ様は太陽と月の循環の中で生命を維持しながら未来まで眠る。私も……イルナ様の声を聞いてみたかったよ」
エンバーは黒い空間に包まれた祭壇をしばらく見つめ、それから空の太陽へと顔を上げた。もう一度エルワースを振り返る頃には、その声に熱が戻っていた。
「再構築の魔力も太陽に適しているらしい。多分龍王様から魔力を借りていた影響だろう。見ろよエルワース! 借りた魔力で魔法術式を使わずに魔法が使えるんだ!」
エンバーは嬉しそうに、大三階梯魔法で白銀の太陽の炎を空中に描いてみせた。エルワースはそれを眺め、自分も魔法を試す。小さな魔法が、詠唱もなしに次々と現れた。
規模は小さいが、どの属性も扱える。天使の回路の影響か、神の加護を受けていた時と同じような力が残っているらしい。
エンバーは自分の炎から目を離し、親友の魔法をまじまじと見つめた。どうやっているのかと問いただされても、エルワースは例によって秘密とだけ答える。隣で手を合わせて懇願する親友を尻目に、今度は白銀の炎を無詠唱で再現しようとした。けれど、それだけはできなかった。
――正午。エンバーがふと、空を仰いだ。
頭上の太陽へ向き直り、静かに片膝をつく。先ほどまで弾んでいた声を収め、祈りを捧げた。
たとえ、もう私の声が届かなくとも。
たとえ、その御身が世界の一部となろうとも。
私はあなたを崇め続けます。
――太陽となったあなたの従者として。
ゆっくりと目を開ける。
「エルワース。頼みがある」
「おいおい、今度は何をさせる気だよ」
「……真面目な話だ」
「分かってるって。言ってみろ」
「私は太陽の従者として、後世に太陽への忠誠心を残し続ける。それとは別に、この世界の真実を残し続けたい。いずれ薄れゆき、意味も変わってしまうかも知れないが」
「……それで?」
「この世界の、創世の真実を残し続けられる本を作りたい。どんなことがあっても消えることのない世界の真実を残した世界の本を」
「はぁ、まあそのくらいならいいか。命をかけるもんでもない。ただ、本当にそれだけか?」
「……もう一つ頼まれていたんだ」
「王と女王から?」
エンバーは頷き、黒い空間に包まれた祭壇の下で片膝をついた。二人から頼まれていたのだ。たった一言でいい。どうしても会えない娘に伝えたいことがある。太陽と月となって見守り続けることになっても、それだけは伝えたいのだと。
――フランの語りが途切れた。寮の屋上でつないでいた私の手を、彼女がそっと持ち上げる。指にはめられた指輪に優しく触れ、魔力を流した。本当に小さな……小さな魔法術式が展開する。フランの指が、その輪をそっとなぞった。
魔法術式――イルナ・ヴァレス・ドラクシス。
ほんのたった一言。初めて聞いた両親の声。
――愛してる。
「あっ……あぁ……」
指輪を見つめたまま、息の仕方が分からなくなった。返事をしようとしても、声が震えるだけだった。私はフランの服を掴み、その胸に顔を埋めた。何も整理がつかないまま、子どもみたいに泣きじゃくる。フランは急かさない。どんなに泣いても、泣き叫んでも、私を抱きしめ続けてくれた。
「苦労したわよ。当然でしょう!? 私がどんな……」
息を継ぐたびに、両親へ言いたかったことがあふれた。最初は人間にたくさん傷つけられた。石を投げられて、言葉も分からなくて、周りに敵しかいなくて……!
言葉を教えてもらった……愛を教えてもらった。楽しいことも、敵じゃないことも、家族というものも、名前も……教えてくれた人がいた。でも、人の悪意の底を見て、その人を病で失った。心が壊れて、そうしてまたかけがえのない子達に出会った……でもまた戦争でその子達を失って、苦しい、辛かった……!
長い人生で辛いことがいっぱいあって……!
「死んでしまいたいって……何度思ったと思ってるのよ……でも、また出会ったのよ。影の中にいる私に声をかけた子がいた。興味本位と娯楽の為だった。気づけば離れたくなくてっ。王族なのを隠して明るい笑顔を振りまく子とも出会った。家の重圧で死んでしまおうとした子にだって出会った。みんなっ、みんな自分の苦労の中で前を向いて生きようとした――嬉しかった」
友達ができた。毎日じゃれ合って、笑い合って。思い浮かべると、泣いているのに口元が緩んでしまう。笑顔って、こんなに……いいものなんだって。
「遅いわよ……愛してるって、もっと早く言いなさいよ……パパ、ママァ……会いたい」
知ってる、会えないって。言ったっていいじゃない。
フランの胸から、ゆっくりと顔を上げた。まどろみの時間へと変わっていく空に、太陽と月が同時に浮かんでいる。涙で滲む二つの光を、私は見上げた。
「私も、愛してる。生んでくれて……ありがとっ。大好きよ……」




