親友のために
エンバーが気を失い、倒れていた頃。世界再構築の禁忌階梯魔法術式――エテルナ・レヴォルティオもまた、完成しようとしていた。
空を裂いていた亀裂が、それ以上広がらなくなった。ギガスは空を見上げ、手を止める。龍たちは空の庭園に降り、ようやく羽を休めた。妖精たちは飛び去り、吸血鬼を含む魔の者たちは地に降りていく。氷の檻が砕け、押し寄せていた大地と海の波も崩れていった。
その下で、神々が力なく地に両手をついた。破滅の獣は彼らに背を向け、ゆっくりと歩き出す。見上げた空では、亀裂が世界を吸い込むように塞がり始めていた。
――儀式は完了した。龍の王ドラクシスは太陽となり、吸血鬼の女王は月となる。
二人は世界の一部となり、再構築を進めながら、魔力をすべての者へ行き渡らせていく。その循環を担い、永遠に廻り続けるのだ。龍たちは太陽へと変わりゆく王を見上げ、吸血鬼たちは月となる女王を仰いで膝をついた。
その空から、一体の天使が舞い降りた。祭壇の下で倒れているエンバーの傍らへ。
「起きろよ親友」
「……エルワース」
掠れきった声が、喉から漏れた。エンバーが目を開けると、ぼやけた視界に親友の姿があった。世界再構築の影響か、傷ついた身体にも修復が及んでいるらしい。わずかに動く腕を持ち上げ、差し出された拳に自分の拳を合わせる。パキッ……と小さな音がした。けれど、その音の正体までは分からなかった。
エンバーは拳を下ろし、親友に問いかけた。
「手伝ってくれたんだろう? 私のために」
「少しはな。伝えられた計画よりだいぶ無茶はした」
「手伝う理由なんてないだろうに。君は誰も信仰していないんだから」
「親友の為に命を張ったのさ」
エルワースは倒れているエンバーの隣に腰を下ろし、空へ顔を向けた。まだ目も耳も十分には戻っていないエンバーは、その異変に気づかない。エルワースの身体にはヒビが入り、両目はもう何も映していなかった。とりわけ片目は、ほとんど元の形を残していない。
そんなことはつゆ知らず、エンバーは言葉を返そうとして喉を詰まらせた。唇を動かしても、すぐには声にならない。先に、涙が頬を伝った。
「成功した。うまく行った。けど、苦しいな……」
「エンバー……」
旧世界で、人間なんてのは塵にすぎなかった。そんなものに目を止める者なんかいない。龍からすれば踏み潰しても気づかないレベルの存在でしかなかった。にも関わらず、龍の王は足を止めたという過去がある。
「あの方は……私のような存在のために、私の言葉のために身を低くしたんだ。私の声が届くようにだぞ。あの龍の王が、世界の最高位が耳を傾けたんだ。私を塵としてではなく、一体の個としてその眼差しを向けてくれた」
視界に広がっていた龍の鱗、呼吸するたびに揺れる空気。喉に言葉が詰まっても、静かに待ち続けた。少年の世界を変えるには十分すぎるほどだった。
エルワースは少し笑った。
「覚えてるよ。お前が村に戻ってきて、すごく喜んでたのをさ。最初はなにかの冗談かと思った。ついに頭がおかしくなったのかと思ったが……村に現れた時は驚いたさ。お前の言葉と龍の王のカリスマに村の人達は信仰を作ったくらいだからな」
パラッ……と、割れた陶器のように身体が欠けていく。エルワースは無理をしすぎたかなと苦笑し、唇を結んだ。悟られないように、朽ちていく身体から意識を逸らす。
耳を傾けた先には、心の支えを失った親友の声があった。名を与えられた時、それがどれだけ嬉しかったか。空の庭園に招かれた時、どれだけ緊張していたか。エンバーはそんなことばかり漏らしていた。まるで惚気でも聞いているようで、エルワースは呆れるしかなかった。
その龍の王が、ただの人間であるエンバーに、儀式を守る指揮と大事な娘の命を託した。その信頼がどれほど大きかったか、エルワースにはよく分かる。だからこそ、すべてを果たした親友が今、泣き崩れるのも不思議ではなかった。
「世界はどうなるんだろうな……エンバー」
ピシッ……顔に亀裂が入った。エルワースは息を詰め、それからため息に紛らわせてゆっくりと横たわる。世界再構築による修復よりも、崩壊の方が早い。それでも親友の嘆きに耳を傾けながら、この先の未来を思い描いていた。
「及第点かな」
そうエルワースは呟いて、少しずつ意識が遠のいていった。最後にほんの微かな歯車の音が聞こえた気がした。
――カチッ。
エルワースはハッと目を開けた。光が飛び込んできて、思わず瞼を細める。見える。そのことに気づいて、息を呑んだ。
「……生きてるのか。俺」
空には太陽が昇っていた。エルワースは空の庭園を見渡し、祭壇へと視線を移す。世界再構築に使われたその場所は、今は黒い空間に包まれ、内側を見通せない。そこには太陽と月の娘が隔離されている。目覚めるのは数百年後か、あるいは数千年後か。誰にも確かめることはできなかった。
「あの歯車の噛み合う音……」
そう言いながら崩壊しかけていた自分の身体を見る。ひび割れは完全に修復され、元通りの人間になっていた。身体を巡る魔力は天使、つまり神のものではない。
「成功したんだな。ちゃんと」
安堵するのもつかの間、彼は親友の姿を探した。
「エンバー! どこだ?!」
「おーい」
声の方へ振り向くと、飲み物や食べ物を抱えたエンバーが歩いてきた。エルワースは詰めていた息を吐き、差し出された飲み物を受け取る。話を聞けば、一週間も眠っていたらしい。エンバーは彼の顔を覗き込み、ふと片目に視線を留めた。
「お前……なんで片目の色が違うんだ?」




