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世界を知ることの代償

 王城の地下にある図書保管庫の一件から数日後の朝。重たい瞼を持ち上げると、ぼやけた視界の先に、青く光るモノクルを回転させながら『世界の本』とにらめっこをするフランがいた。


 今日もまた……朝早くから解読しているのね。机の上、床にはフランのメモした解読書が散乱し、積み上がっている。


 起き上がろうとすると、エリスの腕が離さないと言うように私を抱き寄せる。何度か瞬きをしてから、思わず頬が緩んだ。彼女の手をそっと撫で、起こさないようにベッドを抜け出す。


 私は声をかけず、フランの少し後ろから様子を見守った。たぶん……そろそろ限界が来る。


「んっ……」


 フランの魔法術式――モノクルの青い光が、チカチカと不規則に点滅し始める。窓に映った彼女の顔がわずかに歪んだ。やがてモノクルは焼け焦げるように光を失い、そのまま消えていく。


 フランは目元を押さえ、小さく呻いた。私はその机の横へミルクティーを置く。


「お疲れ様、フラン」


「うぅぅぅ……おはよ……イルナちゃん」


 先日の忍び込んだ件で、フランが意識を失ったり、鼻血を出してしまったりしたことが頭をよぎってしまう。


 まだ目元を押さえたままの彼女へ、私は静かに問いかけた。


「もし、私のために急いでいるのなら……無理をしないで」


 私のその言葉に、フランは目を瞑ったまま私の方へ顔を向けた。


「ううんっ! ちがうよ。世界を知ることが面白いの。ずっと知らないままだったことを、自分の力で一つずつ知っていけるのが楽しい。もちろん、イルナちゃんに早く教えたいって気持ちがないかって言われたら、嘘になっちゃうけど……でも、私の心が私に言ってるの。


 ――世界を知れって」


 私は呆れたように笑った。少し、おこがましかったわね。何でも自分のせいなんじゃないかと考える癖が、いつの間にか住み着いていたみたい。


 フランのおでこに、優しく人差し指を当てた後、ピンッと軽く弾いた。彼女が頭を押さえてのけぞる。


「あたぁっ! イルナちゃん!?」


「だとしたら、今度はあなた自身の責任ね。根を詰めすぎよ。目も開けられないほど無理してるじゃない」


「うー……言い返せない」


「だから、こうなるのよ――見えないから」


「んっ――!」


 私は少しだけミルクティーを口に含み、覗き込むようにキスをした。甘いミルクが私たちの口の中を泳ぐ。舌先が甘さとフランを求める。舌を数回絡ませながら、覗き込んでいた私が上へと移動していく。フランの手が私の袖を物欲しそうにキュッと掴む。


 気がつけばミルクティーはフランの中に溶けていった。


「んぱっ……」


 互いの唇が離れると、いつもよりさらっとした唾液が私たちを繋いでいた。フランの閉じられていた目から、少し涙が滲んでいた。ほんの少しだけ隠れていたその瞳が姿を表した。涙と揺れる瞳孔、赤みを帯びた頬に私は大事そうに手を被せる。


「見える? 魔力を少し回復させる薬草が混ざっているの」


「うん……見えるよ。私を見つめるイルナちゃんの切なそうな顔」


 二回目に入りそうになり、私は止まる。小さな休憩にならなそうだったから。それにクローネやエリスの寝息が浅くなってきてる。二人の嫉妬から朝を始めるなんて、気が重いもの。


 この子の期待から目を背けるのも、気が重いけれど。あぁ、フランが泣きそうな顔で見つめてくる。


「終わりよ。私だって続けたいけれど、学院での勉強もあるんだから。動けなくなりたいの?」


「ぶーっ」


 フランは唇を尖らせながら、両手でミルクティーのカップを包み込んだ。小さく傾けながら、物足りないとぶつぶつ文句をミルクティーにこぼしている。


 目はまだ少し細い。『世界の本』を頭へ入れるだけでも相当な負荷のはず。それなのにフランは、取り込んだ知識を組み直し、意味を読み解こうとしている。


 世界を理解する。そのために彼女が何を削っているのか、私には想像もつかなかった。


 ピカッとフランの片目にモノクルが発生すると、私は呆れてほっぺを掴んだ。


「ふーらーんー?」


「ふぐっ、ふにゅにゅっ!」


 意訳――知を求めるは人なり。とでも言いたいのかしら。


「はぁ……ダメに決まってるでしょ? その霞んだモノクルで何を見るつもりかしら?」



 ――それから数日後。夜明けにはまだ遠い頃、私はフランに呼び出されて寮の屋上へ来ていた。以前と同じように、星々と月の下で寝転び、手をつないでいる。


 心臓がバクバクと存在を主張してくる。『世界の本』の真実は、この数日、何をしていても頭の隅から離れなかった。その答えを今から聞くのだと思うと、胸の奥がさらに騒がしくなる。


 フランが私の手を優しく握った。不安を打ち消すように、月を見上げたまま呟く。


「大丈夫だよ、イルナちゃん。怖がらないで。私がいるもん。それに……月明かりの下で、そんな顔しちゃだめだよ」


 フランがいるから大丈夫。その言葉には、何の疑問もなかった。


 でも――「月明かり」という言葉だけが、妙に引っかかった。


「……? どうして月明かりの下で、不安な顔をしちゃだめなの?」


 フランは答えなかった。代わりに少しだけ距離を詰め、肩をピトッ……と私へ寄せる。そして指先を夜空へ向け、静かに語り始めた。


 ――世界の真実と、私の……両親の話を。

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