血統のない才能
城壁を飛び越えた私たちは城壁と王城の間にある庭園の街頭の影にいた。壁に背を預け、身をかがめる。木陰に移動しながら警備兵の位置を確認する。
王城と、その周辺の施設や庭園まで把握しているフランが、小さな声で「こっち」と私を導く。私たちは木陰を選び、警備兵の意識が外れた隙を縫うように進んだ。
やがて王城の側面までたどり着き、私は壁に背を預けて周囲の気配を探る。
「この上に、もともと私が使ってた部屋があるの。窓が一つだけあるから、そこから入れると思う。たぶん誰も警備してないよ」
「わかったわ。一応確認してくるわね」
私は影へ潜り、壁を伝うようにフランの部屋へ入った。窓から差し込む月明かりが空気中のホコリを照らしている。ふわりとそのホコリが舞って、私の足跡を残す。
つまり、フランが居ない間……掃除する人はいなかったってことね。
小さなベッド。たくさんの本とノート。積み重なったそれらを見れば、ここでフランがどれほどの時間を過ごし、その時間をどれほど魔法術式へ注いできたのかが分かる。
始まりは、たった一人の鏡の世界の王を救い出すため――ただ、自分の話を聞いてくれた、たった一人の獣人のために。
私は下で待つフランの元へ戻ると、彼女を抱きかかえて窓から部屋へ入った。フランは散らかった室内を隠そうと、恥ずかしそうに両手をバタバタと動かす。そんなことをしても、隠せるはずもないのに。
「あははっ、えっと、ほら……」
「分かってるわよ。あなたを『いないもの』として扱わなきゃいけなかった。メイド達も、そうするしかなかったんでしょう?」
「うっ……片付けしようと思うんだよ? でも見てると、気づいたら書いてて」
「フランらしくていいじゃない」
フランは言い足りない気持ちをぶつけるみたいに、その場で両足をじたばたさせた。
「んー!! 来るって分かってたらちゃんと掃除できるのにっ」
「気にしないわよ。ほら、行きましょ?」
フランはまだ言い訳したそうだったけれど、仕方なく部屋の扉を開ける。私は先に廊下へ出て、周囲を確認した。ここは三階。目的の図書保管庫は地下にある。
今は夜。人の数が減っているぶん、少しの物音でも拾われやすい。
私は影を三階の床へ広げ、気配を探る。影は階段を伝って下の階へ伸びていく。どの通路にも数人の警備兵。一定の間隔、一定の速度で巡回している。位置さえ掴めれば、あとはその隙を抜ければいい。
私は影の中からフランを先導する。彼女は一歩、また一歩と影の上で足音を殺して進んだ。
曲がり角を抜け、階段の手前で巡回中の警備兵の背後へつく――そして、その横を抜けようとした瞬間。警備兵が振り向いた。
「……」
私まで息を止めた。けれどフランはその場に小さくしゃがみ込み、きれいに死角へ入っている。警備兵は何も気づかず、再び前を向いて歩き出した。
「緊張したぁ……」
フランが尻もちをつきながら、気を抜くように小さくこぼしたた。
気を取り直した私たちはそのまま二階から一階へ向かった。階段の位置は上下でずれていて、次の階段まで廊下を移動しなければならない。時間を稼ぐための造りなのかしら。
そして、一階へ降りようとしたところで足が止まった。上からは二階を降りてくる警備兵。下からは一階を上がってくる警備兵。
ギリッ……と歯ぎしりをすると、フランが心配そうにこちらを見てくる。
前も後ろも塞がれた。仕方ない。私はフランを影の中へ引き込み、そのまま地下へ続く通路まで移動する。そこで待っていたのは、魔法術式の彫り込まれた扉だった。
まだ警備兵の視線から逃れきれていない。少しつらそうにしているフランへ、私は声を落とす。
「もう少し我慢して。すぐに通り過ぎるわ」
フランが小さく頷く。頭上を足音が通り過ぎた瞬間、私は彼女を廊下へ出した。フランは少しでも早くと慌てるようにすぐに手をかざして、扉の魔法術式へ触れる。慣れた様子で魔法術式を解除していく。
「うん……これで――っ!?」
解除しかけた術式の上に、赤黒い魔法術式が浮かび上がる。フランの瞼が大きく開き、瞳孔が小さくなる。想定外の魔法術式に、視線が泳ぐ。
「どうして……これっ、傀儡の貴族の……」
「まずいわ、フラン。次の巡回が来る」
もう一度、影へ入れる? でも、この魔法術機を解除するのに、どれだけ時間が必要なのか分からない。何度も入れて、解除が終わるのを待つ? そんなのフランが耐えられない。
そんな混乱を切り裂くように、目つきを変えたフランが呟いた。
「付け焼き刃だよ。こんなの、余裕。私やマーカスさん、セリウスさんみたいに、ずっと魔法術式と向き合ってきた人のものじゃない。これは……真似事だから」
フランの片目を覆うように、モノクルを模した魔法術式が浮かび上がる。幾重にも重なった青く輝く術式が回転し、赤黒い術式の解析を始めた。その意図を理解した瞬間、私の全身がゾクッと震えるのを感じた。
「フラン……あなた、マーカスのモノクルの機能を、魔法術式だけで再現しているの?」
本当にこの子は……最下位で、アッシュなんて評価をされるような存在じゃないわ。
――電子音が響く。赤黒い魔法術式が逆回転を始め、扉を閉ざしていた術式が解除された。私は一瞬だけフランを影へ入れ、そのまま扉の向こうへ移動する。影から出たフランは、扉を背にして大きく息を吐いた。
すぐに先へ進まず、私はフランの息が整うまでその場で待った。
――コツッ、コツッ。
フランの小さな足音が、地下へ続く階段に響く。ラビのいる地下通路とは別の道らしく、今夜は会いに行けそうにない。もし余裕があれば会わせてあげたかったけれど、今は図書保管庫が先ね。私はフランの後ろをついていく。
深い。もう三階分は下ったはずなのに、階段はまだ終わらない。
「ついたよ、イルナちゃん」
「でも、階段はまだ続いているわよ?」
「このまま降りても、同じところをぐるぐる回るだけなの。空間が最初の扉の前に移動させちゃうんだ。だからね」
フランは、何もない空間へ指先をかざす。魔法術式が光り、その向こうに、さっきまで存在しなかった扉が姿を現した。
「さっ、私が一番長く過ごした場所――地下の図書保管庫だよっ」




