世界の本盗み見作戦
数日後の夜。クローネとエリスが寝静まったのを見計らい、私とフランは寮の部屋を抜け出した。今夜、陛下は他国へ赴いている。そのぶん王城の警備も薄い。忍び込むなら、この夜を逃す手はなかった。
寝間着から制服に着替えた私たちは、夜の街を歩いていた。石レンガの道は街頭に暖かく照らされている。馬車なら早いけれど、足がつくのは避けたい。時間はあるのだから、ゆっくり行けばいい。
フランがこうして自由に外を歩くのは、ギルドハウスへご飯を食べに行く時くらいだった。今では私たちのレートも増えて、そこへ顔を出す機会も減っている。
久しぶりに行けばみんな嬉しそうにしてくれるし、帰る時には名残惜しそうにしてくれる。でも、少し遠いのよね。夜は眠たくなってしまうし。
それでもフランは街へ行きたがる。学院へ来るまでは王城から自由に出ることすらできず、街のこともほとんど知らなかった。だから今も、道沿いの窓から漏れる家族の声に耳を傾けながら、楽しそうに街を眺めている。自然と、その足取りも軽くなっていた。
「相変わらず外を歩くの好きね。もう新鮮さもなくなってきたんじゃないかしら?」
「んーんっ! そんなことないよっ。今日は違う道だし」
私には、まだ少し理解しづらい。私とは逆だったもの。自由すぎるほど自由で、だからこそ何も知らなかった私。幽閉され、知ることさえ許されなかったフラン。
少し満足した様子の彼女は、夜空の下で小さな足音をリズミカルに鳴らしながら、ふいに口を開いた。
「ねぇイルナちゃん。『世界の本』について、少し話してもいい?」
「いいわよ。どこかのタイミングで聞こうと思っていたから」
「上巻ではね。世界が最初、どんな世界だったかが書かれてるんだぁー。今とは違って、魔力は選ばれたものだけが持っていた。持たざるものには何も約束されず、持つものはすべてを手に入れていた。だって」
私は少し歩調を緩め、フランの話に耳を傾けた。フランは街頭と、小さな魔法を使って上巻を照らす。
原初の世界――種族によって魔力には大きな差があり、世界は強者と弱者に分かれていた。
持つものには神、龍、吸血鬼、ギガス、妖精などがいたという。そして龍の王は、決して覆ることのないその世界を良しとしなかった。仲間の龍たちから異端とされても、その考えを捨てることはなかった。
龍の活動する時間を抜け出し、魔の活動する時間へ足を踏み入れた龍の王は、本来なら出会うはずのなかった吸血鬼の女王と出会った。彼女は龍の王の理想を聞き、「あなたの理想に興味がある」と告げた。
龍の時間と魔の時間、その境目のまどろみで二人は会うようになった。持つものの日々。持たざるものの日々。互いの時間でしか知り得なかった世界を、少しずつ語り合った。
やがて持たざるものとの交流も始まり、龍の王の考えに賛同する者も増えていく。人々の中には、持つものを信仰する者も現れ始めた。それは龍の王に対しても例外ではない。
本来は平等を求めたはずの考えが、いつしか世界を二分していった。
そして、話は世界そのものを巻き込む争いへと変わっていく。
――原初の大戦。
持つものの中でも、神は最も強く世界を支配していた。龍、ギガス、吸血鬼は、その神を相手に戦いを繰り返した。
けれど戦いは終わらない。そんな中でも龍の王と吸血鬼の女王は、まどろみの時間にだけ互いへ寄り添っていた。
「ごめんね。ここで終わり」
フランは取り出していた『世界の本』の中巻を半分ほどページを残して閉じた。私は視線を落とし、少し考え込む。力の偏った世界。神が率いる維持の勢力と、龍の王が率いる変革の勢力。今の世界を見れば、最終的には神が敗れたということになるのでしょうけど……。
それに、龍の王と吸血鬼の女王の関係。その二人の血が、私にも流れている……? もしそうなら、私の出自へつながる可能性はある。両親が誰なのかまでは、まだ分からないでしょうけど……
「ふぅ……やっぱり、これだけじゃ中途半端ね。フラン、内容はそれで全部?」
「ううん。イルナちゃんに関係ありそうなところだけ。他にも神に従った人のお話とかあるよ。信仰によって人が天使に昇格したりとか、いろんな物語が同時に進んでる感じー!」
私とフランは足を止めた。見上げれば、以前にも目にした巨大な城壁。その向こうに、十二の貴族を描いたステンドガラスや細かな彫刻を持つ王城がそびえている。
これまでのように招待されて来たわけじゃない。今夜はここへ忍び込み、フランを地下の図書保管庫まで連れていかなきゃならない。
私はフランと顔を見合わせた。
「いい? フラン。万が一の時は影に潜れるけれど、長時間は無理よ。長く入れば入るほど辛くなる。いいわね?」
「うん、大丈夫。覚悟はもうとっくのとうに決まってるから」
フランは腰に手を当て、人差し指を自分を追い出した王城へ向けた。
「世界の本盗み見作戦、スタートッ!!」
その声を合図に、私は影の中へ落ちる。まず確かめるのは、王城を囲む城壁。上は大人が三人並んで歩けるほどの幅があり、警備兵が巡回している。壁には当然のように魔法術式も張り巡らされているけれど、王城を知り尽くし、魔法術式に長けているフランがいる以上、それだけで私たちを止めることはできない。
それに今日は、フランの言った通り警備が手薄だった。私は警備兵の位置と巡回の間を見極める。さすがにフランを自力で登らせるわけにもいかない。彼女をお姫様抱っこすると、その隙を縫って一気に城壁を駆け上がった。
――トンッ。
城壁の上へ足を置く。影が私の足音を呑み込んだ。私たちが通り過ぎた風に警備兵が振り向く。けれど、その時にはもうそこに私たちはいない。
フランがいれば、ここまでは障害にすらならない。問題は王城の中。フランの逃げ場が影しかなくなる場面が、これから増えるかもしれない。




