第7話-あのバカ
皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。
お待たせしました。ついに新しい話の更新です!
今回はかなりボリューム多めの内容になっています。
佐伯とキューピッドの二人は、“最もシンプルで、そして最も難しい最後の試練”へ挑むことに。
果たして二人は試練を乗り越え、無事に現実世界へ帰ることができるのか――?
それでは、どうぞ。
イタリアのとある海辺では、眩しいほどの日差しが照りつけていたが、それでも人々の楽しい気分を邪魔することはできなかった。黄金色の砂浜にはパラソルやビーチチェアが並び、水着姿の人々が砂遊びや海水浴を楽しんでいる。だが、それ以上に多かったのは、家族や友人たちとゆったり談笑したり、美しい海や波をぼんやり眺めたりしている人々だった。
近くの店では懐かしいラブソングが流れ、食べ物や飲み物が売られている。子供たちはアイスを片手に楽しそうに走り回り、大人たちは瓶ビールを飲みながら穏やかな時間を過ごしていた。
――だが、その時だった。
海の方から、どこか異様な気配が漂い始めた。
「おい、見ろよ! あれ何だ!?」
誰かの叫び声に合わせ、人々が指差す先へ視線を向ける。
すると海面から、黒い触手のようなものがゆっくりと姿を現していた。
一本だけではない。
次々と、さらに多くの触手が海中から浮かび上がってくる。
しかも、それらは異様なほど巨大だった。
岸へ近づくにつれ、その存在から放たれる得体の知れない威圧感と不気味さが、嫌でも肌に伝わってくる。
人々はざわつき始めた。
「映画の撮影か?」
「なんだあれ……?」
面白半分に騒ぎ立てる者もいれば、スマホを取り出して撮影を始める者もいる。
一方で、本能的に危険を察知した人々は、ゆっくりと後ずさりし距離を取っていた。
だが逆に、好奇心に負けて近づいていく者たちもいた。
最初に被害を受けたのは、近くで泳いだり遊んだり、サーフィンをしていた人々だった。
触手の近くにいた者たちは、無差別に襲われていく。
巨大な触手に締め上げられ、その圧力だけで負傷し、気絶する者。
まるで獲物を弄ぶかのように捕らえられ、遊ばれる者。
ふざけているように振り回されるだけで、人間の身体は簡単に傷だらけになっていった。
軽く叩きつけられただけで意識を失い、勢いよく放り投げられた人間は、高く宙を舞った後、海面や砂浜へと激しく叩きつけられる。
一見すると鈍重にも見えるその触手は、しかし異常なまでの精密さを持っていた。
まるで食材でも捌くかのように、人体を容易く引き裂き、四散させていく。
災害は瞬く間に拡大していった。
海と砂浜は次第に鮮血に染まり、海面には死体が浮かび始める。
そこでようやく、人々は理解した。
これは悪ふざけでも、映画の撮影でもない。
本物の災厄だ。
悲鳴が響き渡り、人々は我先にと逃げ惑う。
誰もが岸へ向かって必死に走り始めた。
そして――。
巨大な黒い人影が、ゆっくりと海面から姿を現した。
無数の触手を背後に従えたその存在は、まるで“災厄そのもの”だった。
周囲のあらゆるものを踏み潰し、破壊していく。
人間の世界など、彼にとってはあまりにも脆すぎた。
荒れ狂う波。
砂塵舞う海岸。
いつの間にか、“古神”は陸へと上陸していた。
周囲の人々はすでに逃げ去っている。
逃げ遅れた者たちは、その足元で無残な亡骸へと変わっていた。
だが古神にとって、それらは虫けら同然。
何の意味も価値もない存在だった。
古神は周囲の案内標識へ視線を向ける。
「……辿り着いたか。ローマ……」
低く呟くと、再び歩き出した。
嵐のように周囲を破壊しながら、ゆっくりと市街地の中心部へ向かって進んでいく。
============================================
「うわ……俺たち、いったい何日風呂入ってないんだよ……」
佐伯は自分の服の匂いを嗅ぐと、露骨に嫌そうな顔をした。
それだけではない。
髪は脂っぽくボサボサになり、無精髭もかなり伸びている。
全体的に、まるで放浪者のようなボロボロでやつれた姿だった。
「ん? でも俺は別にそんな汚れてない気がするけど?」
キューピッドは不思議そうに首を傾げる。
そこで佐伯は改めて気づいた。
ここまでほとんど同じ冒険をしてきたはずなのに、キューピッドは相変わらず妙に整っている。
むしろ多少汚れていることさえ、終末系ロードムービーの主人公みたいな渋さと色気に変わっていた。
佐伯は呆れたように白目を向け、首を振ってため息をついた。
そして空になったグラスへ酒を注ぎ足す。
「どうぞ、兄貴。」
わざとらしく丁寧な態度でキューピッドへ酒を差し出す。
二人がいるのは、ボロボロに荒れ果てた酒場だった。
店内には戦闘の痕跡が至る所に残り、床にはすでに動かなくなった敵たちが何人も転がっている。
キューピッドは苦笑しながらグラスを持ち上げ、佐伯と軽くぶつけた。
「乾杯。」
「Cin cin。」
「は? ち○ち○?」
「……は?」
「冗談だって。イタリア語の乾杯くらい知ってるよ、はは。」
「くだらねぇな、ガキかよ。」
「おっさんに比べればな。」
くだらない言い合いをした後、二人は思わず少し笑った。
そしてそのまま静かになり、ボロボロのソファへ身体を預けながら、蓄積した疲労を少しでも誤魔化すように力を抜く。
「なぁ……俺たち、ここにどれくらいいるんだろうな……。あとどれくらいでクリアして元の世界に戻れるんだ?」
佐伯は力なく問いかける。
ここまでの一連の出来事によって、二人とも肉体的にも精神的にも、少しずつ限界へ追い込まれていた。
「俺にも分からない。でも、たぶんもうすぐだ。……ただ、もし俺たちがあのタコに間に合わなかったら……」
「おいおい、そんな心配すんなって。世界にはまだ他のスーパーヒーローもいる。あのタコだって、そう簡単には好き勝手できないだろ。」
「……だといいけどな。」
キューピッドはグラスの酒を一気に飲み干し、そのまままた酒を注いだ。
短い沈黙が訪れる。
酒場の古びたスピーカーからは、ノイズ混じりに様々な曲が途切れ途切れで流れていた。
いくつかのネオンライトはチカチカと不安定に点滅している。
佐伯はグラスの酒面に映る自分の顔をぼんやり見つめた後、向かい側で何もない窓の外をどこか物寂しそうに眺めているイケメンへ視線を向けた。
少し酔いの回った佐伯は、ゆっくりと口を開く。
「なぁ……お前って、失恋したことあるのか……?」
キューピッドはその言葉を聞くと、ゆっくりと振り向き、佐伯の目を真っ直ぐ見つめた。
数秒ほど沈黙した後――
「……あるに決まってるだろ。」
「えっ……マ、マジで?」
「そんなに意外か?」
「い、いや……お前なら絶対そういうのとは無縁だと思ってたっていうか……。そ、それで、どうやって立ち直ったんだ?」
佐伯は唾を飲み込みながら、興味半分、不安半分といった様子で尋ねる。
「毎回同じってわけじゃないけどな。どの話が聞きたい? まぁ、俺が覚えてればだけど。」
「じゃあ……一番最近のやつとか?」
「一番最近か……」
キューピッドは腕を組み、どこか無表情のまま考え込む。
決して楽しい話ではないのだろう。
だが同時に、諦め混じりの苦笑も浮かべていた。
残っていた酒を一気に飲み干し、ゆっくりと語り始める。
「その頃の俺は、お前たちの本に書かれてる通りだったよ。毎日弓を持って、あちこちで矢を射って、本来結ばれるべき人間たちを恋に落とす。それが仕事だった。」
「毎日遊んで飲んで、気楽で、何の責任も苦労もなくてさ。みんな俺のことが好きだった。……まぁ、平和で楽しい日々だったよ。」
「――俺が、一つの間違いを犯すまではな。」
キューピッドの笑みが、そこでふっと消えた。
「あの日……俺は、あの矢を撃たなかった。」
「……愛しちゃいけない相手を、好きになったからだ。」
「そのせいで、俺はあの日、自分の役目をちゃんと果たせなかった。」
「その相手って……すごい美人の女神とか?」
「いや。別にそんな大層な相手じゃない。」
キューピッドは静かに首を横へ振る。
「むしろ、俺からすれば神界じゃ無名も同然だった。特別な力もない、どこにでもいるような普通の奴だよ。」
「……なのに、気づいたら好きになってた。」
「なんで惹かれたのか、自分でもよく分からなかった。」
「……それで、その後どうなったんだ?」
「上の連中にバレた後、俺は命令されたよ。“彼女を元に戻せ”ってな。本来運命で結ばれるはずだった相手を、ちゃんと愛させろって。」
そこまで言いかけて、キューピッドは不意に言葉を止めた。
「……お前、手放したくなかったんだろ?」
佐伯が静かに言葉を継ぐ。
キューピッドは小さく頷いた。
「それで上の神どもと揉めた。最初は口論だったのに、気づけばどんどん大事になっていってさ。」
「最後には完全に手がつけられなくなった。」
キューピッドはそこで一度目を伏せる。
「その後、俺たちは無理やり引き離された。……しかも俺は、彼女に関する記憶まで奪われたんだ。」
「今じゃ、顔も、声も、何一つ思い出せない。」
「……あいつに関することは、本当に全部だ。」
「俺は完全にブチ切れた。」
「それからは自分の力を使って、あちこちで好き放題に報復したよ。」
「神界中をめちゃくちゃにしてやった。」
キューピッドは自嘲するように笑う。
「お前らが知ってる“愛の争い”の半分くらいは、たぶん俺のせいだ。」
「……まぁ、その結果、俺は重い罰を受けた。」
「神力の一部を奪われて、人間界へ追放されたってわけだ。」
「その後のことは……まぁ、お前も知ってる通りだよ。」
「じゃあ、お前が人間界に来たのって……」
佐伯は呆然と目を見開く。
「彼女を守れなかった上に、自分の世界まで失った。」
キューピッドは乾いた笑みを浮かべた。
「笑えるだろ?」
「愛の神なのに……愛のせいで全部失ったんだからな。」
「……あぁ。あの時初めて理解したよ。」
「俺は、完全にやらかしたんだって。」
平然としているフリをしていても、その表情がすべてを物語っていた。
「そ、それは……なんていうか……とても残念だな……」
「別にいいさ。もう今さら何も気にしてない。」
キューピッドは投げやりに笑いながら、また酒を煽る。
「今の俺は毎日遊んで、飲んで、女と遊んでりゃそれで十分なんだろ? クソくらえだよ、神界なんて。」
「全部あいつらと、あのクソ女のせいだ。」
「大して美人でもなかったくせに……なんで俺は……」
酔いも回っているのか、キューピッドは乱暴に酒を飲み続けた。
「……嘘つけ。」
「……は?」
佐伯は軽くキューピッドの手を掴み、酒を飲む勢いを止めた。
キューピッドは面倒そうに彼を見る。
だが、佐伯の目は変わらなかった。
真っ直ぐに、キューピッドの瞳を見据えている。
「本当に何も気にしてないなら、なんであのカジノの夢を突破できたんだよ。」
「まだ自分の世界に未練があったからだろ? 偽物の思い出の中で満足したくなかったからじゃねぇのか?」
「俺は……別にそこまで考えてたわけじゃ……」
キューピッドは視線を逸らしながら呟く。
「ただ、なんとなく……あれは違うって感じただけだ……」
「それで十分答えになってるだろ。」
「お前はまだ、自分の世界を諦めてない。」
「どうでもいいなら、あのタコに全部壊されても平気なはずだ。」
佐伯は少し迷いながらも、ゆっくりと言葉を続ける。
「それにさ……もしかしたら、お前ってまだ……その人のこと、完全には吹っ切れてないんじゃないか?」
その言葉を聞いた瞬間、キューピッドは黙り込んだ。
どこか図星を突かれたような、驚いた表情をしている。
「……とっくに吹っ切れたつもりだった。」
キューピッドは静かに呟く。
「全部あいつのせいにしてれば、楽に終われると思ってたんだ。」
「……でも、あの夢の中で、もう一度あいつを見た時――」
彼はそこで小さく息を吐いた。
「俺は気づいた。」
「……たぶん、まだ忘れてなかったんだ。」
「本当のあいつのことを。」
「……うん。なんとなく、その気持ちは分かる気がする。」
佐伯はグラスを軽く掲げながら言う。
「結局、お前も俺とあんま変わらないんだな。」
「つまり俺たちは、ただの失恋した惨めな犬ってことか。」
キューピッドは吹き出すように苦笑し、佐伯のグラスへ軽くぶつけた。
「お前には分からねぇよ。あいつは本当に完璧だったんだから。」
「おい、俺の先輩をナメんな! 俺にとってはあの人だって女神なんだよ!」
子供みたいな言い争いをした後、二人は思わず笑ってしまう。
「……でもさ。」
佐伯はグラスをテーブルへ置き、少し寂しそうに目を伏せた。
「俺、もう一回先輩に会えるのかな……。」
「もし本当に会えたとしても、その時俺、どんな気持ちになるんだろうな……」
「お前は当日どんな服着てくかだけ考えてりゃいいんだよ。」
キューピッドは真面目な表情でそう言った。
「俺たちはここから出る。じゃなきゃ、ここまでずっと俺がお前をキャリーしてきた意味ないだろ。」
「……俺はもう、あいつに会えないかもしれない。」
「でも、お前にはまだチャンスがある。」
「無駄にするな。俺と同じ失敗もするな。」
まるで過去の自分に言い聞かせるような声音だった。
「……サンキュ。」
佐伯は少し照れ臭そうに笑う。
「でもさ、お前って本当にもう帰れないのか? せめて自分の世界くらい。」
「……分からない。」
キューピッドは静かに視線を落とした。
「俺は取り返しのつかないことをした。」
「今さら可能性なんて残ってるのか……正直、自分でも分からない。」
「人間はさ、間違えたら謝って、責任取って、できる限り償おうとするんだよ。」
「お前ら神がどうなのかは知らねぇけど……。」
佐伯は少し考えてから続ける。
「それでも、何かやってみる価値くらいはあるんじゃねぇの?」
「お前たちの言う……スーパーヒーローってのは、そういう時どうするんだ?」
「スーパーヒーローだって、別にいつも正しいわけじゃない。」
佐伯は少し苦笑しながら答える。
「毎回すげぇことしてるわけでもないし、完璧でもない。」
「ただ……その時その時で、少しでも“より正しい選択”をしようとするだけなんじゃねぇかな。」
「……たぶん。俺も他の奴らから聞いただけだけど。」
「……そうか。」
キューピッドはどこか考え込むように頷いた。
だが、その表情にはまだ迷いも残っている。
「――あ、そうだ。」
佐伯はふと何かを思い出したように口を開く。
「もっと早く言うべきだったんだけどさ。」
一瞬言葉を区切り、キューピッドの目を見ながら笑った。
「ここまでずっと助けてくれてありがとな。」
「お前がいなかったら、俺絶対ここまで来れてなかった。」
佐伯の真っ直ぐな表情を見たキューピッドは、呆れたように肩をすくめる。
だが、その口元はわずかに笑っていた。
「なんだよ急に。そんな湿っぽいこと言うな。」
「俺を崇拝するのは、本当に脱出してからでも遅くねぇだろ。今は――」
キューピッドが最後の酒を飲み干した、その瞬間だった。
酒場の奥に、二つの扉が現れる。
扉の向こうは、何も見えない真っ暗な闇。
だが佐伯もキューピッドも、特に驚いた様子はなかった。
まるで最初から、こうなることを分かっていたかのように。
「――まずはラストステージをクリアしてからだな。」
佐伯とキューピッドは互いに視線を交わし、小さく頷き合う。
そしてそれぞれ、別々の扉の中へ足を踏み入れた。
次に佐伯が意識を取り戻した時――。
彼は、自分がゲームセンターのような場所にいることへ気づいた。
広い空間には軽快な音楽が流れ、ゲーム機の電子音が鳴り響いている。
明るい照明。
カラフルな装飾。
どれも見慣れた、安心感のある光景だった。
――だが。
その安心感は次第に、言いようのない違和感へと変わっていく。
「……誰も、いない……」
ゲームセンターとは、本来いつだって人で溢れている場所のはずだった。
だというのに――。
正常に営業しているように見えるこの空間には、人影が一つも存在しなかった。
佐伯は一人でゲームセンターの中を歩き回った。
辺りを見回しても、何度呼びかけても、返事はない。
誰一人として姿を見せなかった。
試しにいくつかゲームを遊んでみても、特別な反応は何もない。
ミッションらしき異変も存在しない。
どう見ても、ただの普通のゲームセンターだった。
――人がいないこと以外は。
この場所には時計もなく、時間の流れを感じさせるものも存在しない。
佐伯は一人きりのまま、途方に暮れてその場に留まり続けていた。
何をすればいいのか分からない。
どれだけ時間が経ったのかも分からない。
気づけば彼は、理由の分からない疲労感に蝕まれていた。
不安と、得体の知れない恐怖だけが、少しずつ膨れ上がっていく。
――その時だった。
ふと顔を上げた佐伯は、クレーンゲーム機のガラスに映る自分の顔へ視線を向ける。
最初は特に気にしていなかった。
だが、何となく見つめ続けているうちに、佐伯は違和感に気づく。
ほんの一瞬だけ。
映っている“自分”の表情が、佐伯本人と完全には同期していなかった。
その異常に気づいた瞬間、佐伯は全てを理解した。
「……ッ!」
勢いよく立ち上がると、そのままガラス面へ拳を叩き込む。
激しい音と共にガラスが砕け散る。
――そこには、鏡など存在していなかった。
機械の向こう側にいたのは。
佐伯とまったく同じ顔をした“何か”。
そいつはニヤリと悪戯っぽく笑いながら、佐伯を見つめていた。
「やば、見つかっちゃった♪」
「てめぇ……ずっとここに隠れてやがったのか……。」
佐伯は警戒しながらも、どこか納得したように笑う。
「まぁいい。これで全部ハッキリした。」
「要するにラストステージは“自分自身との戦い”ってわけだろ?」
「自分に勝てば脱出できる。ベタだけど王道だな。嫌いじゃねぇ。」
佐伯は拳を鳴らしながら構える。
「来いよ。何のゲームで勝負する?」
ようやく調子を取り戻しかけていた佐伯だったが――。
もう一人の佐伯は、そんな彼へ冷水を浴びせるように言った。
「落ち着けよ。別にゲームするわけじゃないから。」
「……は?」
佐伯は間抜けな声を漏らす。
「ゲ、ゲームしない? じゃ、じゃあ何するんだよ?」
「ただお前と……少し話したいだけだよ。座れって。」
もう一人の佐伯には、今のところ露骨な敵意は見えなかった。
本当に、ただ会話をしたがっているように見える。
二人は向かい合うように座った。
目の前にいるのは、自分とまったく同じ顔をした存在。
鏡を見ているような、強烈な違和感。
佐伯は未だ相手を信用しきれず、どこか警戒したままだった。
「お前、また偽物の記憶とか幻覚とか……そういう類じゃねぇだろうな?」
「無駄話はやめようぜ。」
もう一人の佐伯は淡々と言う。
「お前たちが今やろうとしてることは、成功しない。諦めろ。」
「……は? ど、どういう意味だよ?」
「お前たち、この世界から脱出しようとしてるんだろ?」
「そんなこと、俺が知らないと思ったか?」
もう一人の佐伯は、クレーンゲームの中に積まれたぬいぐるみたちを指差した。
どれも奇妙な姿をしている。
佐伯が今まで見たこともないような、不気味なデザインだった。
「でも無理だ。」
「今まで、誰一人成功した奴なんていない。」
「あれは、過去にここへ閉じ込められた連中だ。」
「英雄、怪物、神様みたいな奴ら……色んな存在がいたよ。」
「どいつもお前より遥かに強かった。」
「でも全員、ここから出られなかった。」
もう一人の佐伯は、薄く笑う。
「なのに、なんでお前だけは成功できると思ってるんだ?」
「……なんでお前の話を信じなきゃいけねぇんだよ。キューピッドは――」
「じゃあ、そいつは“実際にここから脱出した奴”を見たことがあるのか?」
もう一人の佐伯は即座に言い返す。
「お前たちは、自分の目で確認したのか?」
「それは……」
佐伯は言葉に詰まった。
「別にあいつが嘘をついてるとは限らない。」
「でも勘違いするなよ。」
もう一人の佐伯は両手を広げ、笑みを浮かべる。
「――今、お前が話してる相手は、この“世界そのもの”なんだから。」
その瞬間だった。
もう一人の佐伯の身体と、周囲の空間全体に、バグのような異様なノイズが走る。
映像が乱れるように世界が一瞬ちらつき――。
次の瞬間には、何事もなかったかのように元へ戻っていた。
同じ頃――。
別の空間。
誰一人いない、クラシカルなヨーロッパ風建築が並ぶ街並みの中で。
もう一人のキューピッドもまた、同じ言葉をキューピッドへ告げていた。
その瞬間、佐伯とキューピッドはほぼ同時に冷や汗を流す。
「……お前、何が目的なんだ……?」
佐伯は唾を飲み込み、不安げに問いかける。
すると、もう一人の佐伯は笑いながら、小さなボタンを差し出した。
同時に、テーブルの上へ砂時計を置く。
「さぁ――ゲームをしようぜ。」
「ルールは簡単だ。」
「今からお前とキューピッド、それぞれがこのボタンを持つ。」
「先に押した方だけが、現実世界へ帰れる。」
「残された方は――永遠にここへ閉じ込められる。」
もう一人の佐伯は、ゆっくりと砂時計を指差した。
「ただし、二人とも押さなかった場合――」
「この砂時計が落ち切った時、お前たちは二人揃って永遠にここへ残ることになる。」
「はぁ!? そんなの理不尽すぎるだろ……!」
「俺はルールを破らない。」
もう一人の佐伯は不気味に笑った。
「――それじゃあ。」
「ゲーム開始だ。」
その宣言と同時に。
佐伯の空間でも、キューピッドの空間でも、砂時計の砂が落ち始める。
最後のゲームが、静かに幕を開けた。
佐伯とキューピッドは別々の空間に隔離されていた。
互いの姿は見えない。
連絡を取ることなど、当然できるはずもない。
二人とも状況を飲み込めず、どこか呆然としていた。
最初はまだ動こうとせず、他に方法がないか探ろうとしていたが――。
残り時間が少しずつ減っていくにつれ、他に突破口を見つけられない二人は、次第に焦り始める。
気づけば、自然とボタンへ手を伸ばいていた。
一方で、もう一人の佐伯はただ黙って座り、佐伯の様子を観察しているだけだった。
(このボタンを押せば……俺は帰れる……。)
(でも、その代わりキューピッドはここに残される……どうすれば……。)
――同じ頃。
(このボタンを押せば……俺は帰れる……。)
(でも、その代わり佐伯がここに残る……どうすればいい……。)
二人は緊張した面持ちでボタンを見つめる。
指を少し動かすだけで済む話。
それなのに、どうしても押せない。
自分の運命は、自分自身と、姿の見えない相手の両方に握られている。
張り詰めた鼓動が、今にも胸を突き破りそうだった。
半分以上の時間が過ぎても動こうとしない二人を見て、もう一人の佐伯とキューピッドは露骨につまらなそうな顔を浮かべた。
「おい、何を迷ってるんだよ!」
もう一人の佐伯が苛立ったように叫ぶ。
「そんなにあいつを信じてるのか?」
「あいつはただの自信過剰で、お前を見下してるイケメン野郎だぞ?」
「ボタンを押せば、お前は元の世界へ帰れるんだ!」
「見慣れた日常へ戻れる! 大事な奴らにも会える!」
「――先輩にも、また会えるんだぞ!?」
「お前の世界はもう滅びかけてるんだぞ!」
今度は、もう一人のキューピッドが叫ぶ。
「佐伯なんて、ただのお荷物の凡人だ!」
「そんな奴どうでもいいだろ!」
「お前は早く帰って、自分の世界を救うべきなんだよ!」
「もしかしたら、本当に全部取り戻せるかもしれないんだぞ!?」
その姿も声も、まるで自分自身が本音をぶつけてきているかのようだった。
「「……でも……」」
「「大丈夫だって。本当にそんなに仲が良いなら、相手だってお前を責めたり恨んだりしないさ。」」
「「さぁ――押せよ。」」
天使の囁きにも、悪魔の誘惑にも聞こえるその言葉。
だが、そのどちらも痛いほど心に刺さる。
二人は同時に沈黙し、そのまま動けなくなっていた。
残り時間は、すでに三分の一ほどしか残っていない。
それでも二人は決断できず、ボタンを押せないままだった。
「もう時間がないんだぞ!」
もう一人の佐伯が焦ったように叫ぶ。
「早く選べ! 頼むから!」
「俺はお前のためを思って言ってるんだ!」
「押せッ!!」
「もう迷うな!!」
「ほら! 早く! 早く!!」
時間が減っていくにつれ、もう一人の自分はどんどん取り乱し、狂ったように叫び続ける。
同時に、佐伯は気づき始めていた。
もう一人の佐伯も、この世界そのものも、徐々に不安定になっている。
先ほど見えた“バグ”のようなノイズが、さらに激しくなっていた。
空間が歪む。
景色が乱れる。
そしてその中に――。
自分の知っている世界が見えた。
日常。
仲間たち。
先輩。
帰りたい場所の全てが、目の前へ現れる。
まるで、「ボタンを押せ」と誘惑するように。
佐伯は一瞬、その光景へ飲み込まれかけた。
無意識のまま、ゆっくりとボタンへ指を伸ばしていく。
――あと少しで押してしまう。
その瞬間だった。
ほんの一瞬だけ。
キューピッドと一緒にいた時の光景が脳裏をよぎる。
その途端、まるで魂を引き戻されたように、佐伯は動きを止めた。
「……無理だ。」
佐伯は俯きながら、ゆっくりとボタンから手を離す。
「なんでだよ!? もう時間がないんだぞ!!」
もう一人の佐伯が怒鳴る。
「何を迷ってる!?」
「……キューピッドには、帰るべき世界がある。」
佐伯は静かに答えた。
「俺より、あいつの方がここを出るべきなんだ。」
「……たとえ俺の世界がもう手遅れだったとしても。」
別の空間で、キューピッドもまたゆっくりとボタンから手を離していた。
「佐伯には、まだ帰る場所がある。」
「……俺より、あいつの方が帰るべきなんだ。」
「なっ……本気かよ!?」
もう一人のキューピッドが叫ぶ。
それでも二人はボタンを押さなかった。
残り時間は――あと十秒。
10、9、8――。
「もう間に合わなくなるぞ!!」
「いいから押せ!! もし二度と出られなくなったらどうする!?」
もう一人の佐伯が狂ったように叫ぶ。
「……そりゃ、帰りたいよ。」
佐伯は唾を飲み込みながら、静かに言った。
「でも、キューピッドがいなかったら、俺はここまで来れなかった。」
「それに――」
佐伯はゆっくりとボタンを置く。
「初めて会った時から、俺はあいつをちゃんと面倒見るって決めてたんだ。」
「……だから、もしあいつがボタンを押しても。」
「俺は、あいつを恨まない。」
7、6、5、4――。
「もし帰れないのが俺の運命なら、それでも構わない。」
キューピッドもまた、静かにボタンを置いた。
「佐伯はスーパーヒーローだ。」
「だから、あいつがどんな選択をしたとしても――」
キューピッドは小さく笑う。
「俺は、それが正しい選択だって信じる。」
「やめろォォォォッ!!」
最後の数秒。
もう一人の自分は完全に発狂したように絶叫する。
「押せ!! 押せよクソがァァァ!!!」
二人の胸ぐらを掴み、無理やりボタンを握らせようとしてくる。
3、2、1――。
それでも。
最後の最後まで、二人は動かなかった。
ただ静かに目を閉じ、結末を待つ。
「――時間切れだ。」
最後の砂粒が落ち切る。
その瞬間、もう一人の自分は動きを止めた。
信じられない、と言わんばかりに俯いたまま固まっている。
佐伯はゆっくりと目を開いた。
……まだ、自分はここにいる。
「……ってことは、キューピッドが帰れたのか?」
同じ頃、キューピッドも目を開く。
「……佐伯は、脱出できたのか?」
「……いや。」
もう一人の自分は、震える声で呟いた。
「お前たち、二人とも押さなかった……。」
佐伯は数秒ほど呆然とした後、小さく苦笑する。
「「……あのバカ。」」
「……いいだろう。」
もう一人の自分はゆっくりと顔を上げる。
「だったらお前ら二人まとめて――ここに閉じ込めてやるッ!!!」
怒号と共に両腕を広げた瞬間。
世界そのものが激しく歪み始めた。
もう一人の自分の身体も、周囲の景色も、極度に不安定化していく。
形が次々と変わり、無数のノイズが走る。
まるでウイルスに侵されたコンピューターのように、世界全体が暴走していた。
もう一人の自分の身体には、無数の情報やノイズが奔流のように流れている。
だが――。
その両目だけは違った。
まるで底の見えない深淵の中で、宝石だけが妖しく光っているような存在感。
佐伯はその異様さに気づき、思わず目を見開いた。
「……あれって、まさか……!」
「世界の核……そこにある!」
別空間のキューピッドが勢いよく立ち上がる。
「死ねェェェェッ!!!」
次の瞬間、もう一人の自分が襲いかかってきた。
だがキューピッドは即座に目の前のテーブルを蹴り倒し、そのまま相手へ叩きつける。
攻撃がわずかに崩れた隙を逃さず――。
そのまま踏み込み、胸元へ強烈な拳を叩き込んだ。
相手の身体が少しだけ後退する。
キューピッドは続けて拳を振るう。
しかし相手はそれを受け止めると、即座に反撃のフックを叩き込み、キューピッドの胴体を吹き飛ばした。
そのまま、もう一人の自分はキューピッドを掴み上げようとする。
「……何だ?」
一方その頃。
佐伯は攻撃を避けようと身を沈めかけていた。
だがその瞬間、何もしていないはずの目の前の敵が、突然ダメージを受けたように動きを崩す。
胸や身体の数カ所から、不安定なノイズが激しく弾けていた。
佐伯は深く考えなかった。
一瞬の判断で前へ飛び出す。
そのままタックルのように相手へ組みつき、もう一人の自分をゲーム筐体へ叩き込んだ。
激しい衝突音。
クレーンゲーム機のガラスが派手に砕け散る。
だが、もう一人の自分も即座に反撃してきた。
片手で佐伯の首を掴み、そのまま強く締め上げる。
「ぐっ……!」
呼吸が止まり、佐伯は身動きが取れなくなる。
その一方で。
別空間では、もう一人の自分がキューピッドを捕らえ、攻撃を仕掛けようとしていた。
――しかし次の瞬間。
突然、背中へ衝撃を受けたかのように身体を仰け反らせる。
バランスが大きく崩れた。
「……っ?」
キューピッドは何が起きたのか理解できなかった。
だが、好機を逃すつもりはない。
拘束から一気に抜け出すと、振り向きざまに肘打ちを顔面へ叩き込み、そのままアッパーを顎へ突き上げた。
その瞬間、佐伯の目の前にいる敵の頭部にも同じようなダメージが走る。
身体が激しくブレた。
佐伯は即座に重心を落とし、勢いよく足を振り上げる。
「っらぁ!!」
そのまま股間へ全力の蹴りを叩き込んだ。
敵は苦悶し、拘束が緩む。
もう一人の自分が股間を押さえた、その隙を逃さず――。
佐伯は踏み込み、ゲームのコンボ技みたいな勢いで腕を大きく振り抜く。
バチィンッ!!
手刀にも近い勢いで、腕全体を顔面へ叩きつけた。
「よく分かんねぇけど……!」
「結局、自分で自分をボコればいいってことだろ!!」
佐伯は赤く痺れる手を振りながら、興奮と怒りのまま再び突っ込んでいく。
もう一人の自分の顔面が激しくブレたことで、攻撃動作にも隙が生まれる。
キューピッドはその瞬間を逃さなかった。
素早く身を翻して攻撃を回避すると、振り向きざまに拳を叩き込み、相手の体勢を崩す。
さらにそのまま掴みかかり――。
膝蹴りを胴体へ思い切り叩き込んだ。
一方その頃。
佐伯は背後から押さえ込まれ、半ば地面へ跪かされていた。
だが次の瞬間。
敵が突然、腹部へダメージを受けたように動きを止める。
「今だッ!」
佐伯は近くにあったシューティングゲーム用の銃型コントローラーを掴み、その銃床を相手の胴体へ思い切り叩きつけた。
衝撃によって拘束が緩む。
佐伯はすぐさま相手の腕を振り払い、立ち上がる。
そしてそのまま、銃型コントローラーで何度も頭部を殴りつけた。
「うおおおおッ!! 死ねぇぇぇ!!」
怒鳴りながら猛攻を叩き込む。
敵は徐々に押し込まれ、防戦一方になっていく。
両腕で必死に攻撃を防ぐしかなかった。
しかし。
もう一人の自分も、一瞬の隙を見逃さなかった。
道具の銃をガシッと掴み取る。
互いに短く力比べとなった後――。
相手は力任せに銃を奪い、そのまま遠くへ投げ捨てた。
直後、両手で佐伯の首を強く締め上げる。
「ぐっ……!!」
佐伯は必死に抵抗する。
だが相手の力は、自分自身とは思えないほど異常だった。
呼吸が潰され、視界が暗くなっていく。
もう一人の自分が勝利を確信したように笑った、その瞬間――。
佐伯は震える腕を伸ばし、真っ直ぐ相手の左目を狙った。
「がああああぁぁぁッ!!!」
もう一人の自分が絶叫する。
佐伯の手が相手の眼球へ触れた瞬間――。
莫大なエネルギーが炸裂した。
どうやら、それこそが敵へ決定的なダメージを与えられる唯一の方法らしい。
敵はすぐさま首を締める力を強める。
このまま佐伯を殺そうとしていた。
「っ……ぁ……!」
呼吸は限界に近づいていく。
それでも佐伯は手を止めなかった。
苦しみながらも、さらに指へ力を込める。
狙うのは――。
相手の眼の奥にある、“世界の核”。
その時だった。
「ぎゃあああぁぁぁッ!!」
敵が再び絶叫する。
佐伯は気づいた。
目の前の相手の“もう片方の目”もまた、同じように激しく発光している。
まるで、別の場所から同時に攻撃されているかのように。
一方その頃。
もう一人の自分と死闘を繰り広げていたキューピッドもまた、全身傷だらけになっていた。
片手で弓を押し込みながら相手を抑え込み――。
もう片方の手で、敵の右目を死に物狂いで掴んでいた。
「「うおおおおおおおッ!!!!」」
佐伯とキューピッドは、互いの姿も存在も感じ取れないはずだった。
それなのに――。
なぜか、隣で共に戦っている感覚だけはあった。
二人は敵の反撃など気にしない。
ただひたすら、相手の眼を掴み続ける。
絶対に離さない。
もう一人の自分も、世界そのものも、限界を迎え始めていた。
空間が崩れる。
無数の情報とノイズが洪水のように溢れ出し、二人の感覚と脳を侵食していく。
砕け散った世界の破片が身体を切り裂き、傷を増やしていった。
それでも。
二人は手を離さない。
ただ意地だけで。
ただ気合いだけで。
限界を超えて踏み止まっていた。
拮抗が続くにつれ、敵も周囲の世界も、どんどん崩壊していく。
空間は砕け、景色は消え、あらゆるものが終わりへ向かっていた。
そして――。
甲高い破砕音と共に。
佐伯とキューピッドは、それぞれ敵の眼から“世界の核”を引きずり出した。
二人の手は血と傷にまみれている。
だが、その掌の中には――。
崩壊していく世界とは対照的に、闇の中で眩く輝く“核”が存在していた。
「やめろォォォォッ!! 返せェェェ!!! クソがァァァ!!!」
もう一人の自分は地面へ倒れ込み、苦痛に絶叫する。
だが周囲の崩壊は止まらない。
世界そのものが消滅し始めていた。
――まだ終わってはいない。
佐伯たちも、このままでは巻き込まれる。
「確か……核を壊せばいいんだったよな……?」
佐伯は息を荒げながら呟く。
そして、倒れ伏すもう一人の自分を見下ろし、小さく笑った。
「じゃあな、負け犬。」
「せいぜい一人で引きこもってろ。」
深く息を吸い込み――。
真珠のように輝く世界の核を高く掲げる。
そして、そのまま全力で地面へ叩きつけた。
――パリンッ。
澄んだ破裂音と共に、核は無数の欠片へ砕け散る。
同時に、膨大なエネルギーが世界中へ放出された。
崩壊していくゲームセンター。
動かなくなった、もう一人の自分。
それが、佐伯の最後に見た光景だった。
「向こうで会おうぜ、ジジイ。」
そう呟いた直後。
佐伯の意識は、闇の中へ落ちていった。
==============================================
ローマ市街地は、今や完全な大混乱へ陥っていた。
市民たちは恐怖と混乱の中、なすすべもなく逃げ惑っている。
周囲では建物が崩れ、街は炎に包まれ、爆発と破壊が至る所で起きていた。
まさに地獄絵図だった。
警察や各機関も必死に敵を止めようとしていたが――。
銃弾も、通常兵器も。
古神にとっては、まるでくすぐったい程度の意味しかなかった。
巨大な触手が無造作に振るわれるたび、警察車両や障害物は簡単に吹き飛ばされ、鉄くずへ変わっていく。
逃げられる者は、ただ必死に走った。
逃げ遅れた者たちは、すでに古神の足元で無惨な骸となっている。
そして――。
しばらくすると、辺りは不気味な静寂に包まれていた。
もう誰一人として、彼へ立ち向かえる者はいない。
「退屈だな。どれも無意味な抵抗ばかりだ。」
古神は悠々と歩きながら、とある場所で足を止めた。
そして懐から特殊な装置を取り出し、地面へ設置する。
装置が不気味に発光し始めた次の瞬間――。
巨大なエネルギー光線が天へ向かって放たれた。
莫大なエネルギーは徐々に収束し、空そのものを裂くように巨大なゲートを形成していく。
まるで天へ通じる転送門だった。
「素晴らしい……。」
古神は空を見上げ、歓喜に震える。
「全てが完成すれば、私は本来あるべき完全な力を取り戻す。」
「そして――神界への道を開くのだ!」
「ようやくだ……ここまでどれほど待ったことか……!」
「今度こそ、誰にも――」
そこまで言いかけた時だった。
古神は胸元のペンダントが突然発光していることへ気づく。
「……?」
どうやら本人ですら、この現象に心当たりはないらしかった。
「……何だ、これは……?」
ペンダントの光はどんどん強くなっていく。
そして次の瞬間――。
凄まじい光と衝撃波が炸裂した。
「っ!?」
古神ですら思わず腕で顔を庇うほどの閃光。
放出されたエネルギーは装置の出力すら妨害し始め、巨大ゲートは不安定に揺らぐ。
やがて、空の通路も徐々に閉じ始めていった。
「なっ……やめろ!!」
古神が叫ぶ。
やがて暴走した光とエネルギーが徐々に収束していくと、ペンダントは何事もなかったかのように元の静かな状態へ戻っていた。
そして古神は気づく。
すぐ近くの地面に、二つの人影が倒れていることに。
「ゲホッ……ゴホッ……ここ、は……?」
一人が咳き込みながらゆっくりと身体を起こす。
眩しい日差しを手で遮り、自分の身体を確認する。
どうやら大きな怪我はないらしい。
「……戻ってきたのか?」
もう一人は半ば膝をついたまま周囲を見回し、目を細めながら相手の姿を確認する。
「さ、佐伯……? 本物か? それともまた幻覚じゃないだろうな……?」
「お、お前たちは……。」
古神は信じられないものを見るように二人を見つめる。
「……そんな、馬鹿な。」
その声で、佐伯たちもようやく敵の存在に気づいた。
「うおっ、マジかよ!? 本当に戻ってきたのか!!」
二人は同時に飛び起き、すぐさま距離を取って戦闘態勢へ入る。
「サプライズだぜ、タコ野郎!」
佐伯はニヤリと笑った。
「パパが帰ってきたぞ!!」
「貴様らァ……よくも私の計画を……!」
古神の声には怒りが滲んでいた。
「もう諦めろ!」
キューピッドが弓を構えながら叫ぶ。
「お前の計画は失敗だ! 俺たちが止める!」
「……いいだろう。」
古神は静かに俯く。
「むしろ最初から、こうするべきだったのかもしれんな……。」
「――最初から貴様らを殺しておくべきだった!!」
古神は激昂し、無数の触手を一斉に放つ。
巨大な触手が高速で佐伯たちへ襲いかかった。
二人は別世界から戻ってきたばかりだった。
まだ完全に身体が回復していない。
そのため反射的に後ろへ飛び退き、遮蔽物を探しながら逃げる。
キューピッドは即座に弓を召喚し、走りながら矢を放って援護を始めた。
薔薇型の爆弾矢は確かに触手へダメージを与え、数本を吹き飛ばす。
だが――。
これだけで敵を倒せるほど甘くはない。
古神はさらに大量の触手を放つ。
今度は四方から一斉に襲いかかってきた。
すでに逃げ場も遮蔽物もない。
「やべぇぇぇぇ!! 俺まだ死にたくねぇぇぇぇ!!!」
佐伯が情けない声で叫ぶ。
――ドドドドドドドッ!!
次の瞬間。
轟音と共に機械音が響き渡る。
弾丸。
ミサイル。
レーザー。
エネルギー砲。
あらゆる武装が一斉に火を噴き、大量の触手を吹き飛ばした。
「……は?」
二人は恐る恐る顔を上げる。
そこにいたのは――巨大な機体だった。
四本の腕すべてに武装を搭載した巨大メカが、古神へ照準を向けている。
その一撃が、佐伯とキューピッドを救ったのだ。
直後、機体の無線から聞き覚えのある声が響く。
『ソロプレイヤー! ギリギリ間に合ったか! 無事か!?』
「高瀬さん!?」
佐伯は一気に表情を明るくした。
「うおぉぉ!! 人生で初めて、あんた見て嬉しいと思ったかもしれねぇ!!」
「俺の機体だ! しかもなんかパワーアップしてる!?」
興奮する佐伯だったが、キューピッドは呆れながらもすぐ彼の腕を引っ張る。
「喜ぶのは後だ! また来るぞ!」
『今はこっちで遠隔操作しながら、AI補助も使ってる! おいお前ら! もっと丁寧に扱え! それめちゃくちゃ高いんだからな!?』
無線の向こうでDSAスタッフたちの怒鳴り声が飛び交う。
『……まぁ、とにかくだ。お前が消えた後、もう一回機体を大改修した。』
『全体的にはそこまで変わってないが――』
その瞬間、遠方から再び巨大な触手が襲来する。
すると機体は即座にレーザー砲を展開。
高出力レーザーが触手を真っ二つに切断した。
「なっ……!? 馬鹿な……!!」
古神は信じられないものを見るように、自らの触手を見下ろした。
人間の兵器が、自分へダメージを与えている。
『その通り。前回お前が残してった粘液やサンプルを解析して、武装を調整したんだよ。』
高瀬が少し得意げに言う。
『つまり今のお前には、もう“無敵チート”は通用しないってわけだ。』
「聞いたかタコ野郎! 人類ナメんなよこの野郎!!」
佐伯はテンション高めに叫ぶ。
『こっちでも機体操作はできる。だが、どう頑張っても“地上最強のゲーマー”には勝てねぇ。』
高瀬の声が少し真面目になる。
『だからここから先は、お前に任せる。――行け。』
機体が軽く膝をつき、コックピットハッチが開く。
佐伯はすぐさま駆け出し、そのまま機体へ飛び乗った。
「うわぁぁ……実家みたいな安心感……。」
佐伯は感動したように操縦席を見回す。
「って、おい! エナドリまで用意してくれてんの!? 愛してるぞお前ら!!」
『はいはい感動してる暇あったら集中しろ。』
高瀬が呆れたように返す。
『ここから先は任せたぞ。気をつけろ。たぶん俺たち、“神”相手に戦うの初めてだからな。』
「……まぁ、俺にとっては初めてじゃないかもしれないけどな。」
佐伯は隣のキューピッドへ視線を向ける。
キューピッドは小さく笑った。
『それじゃ俺たちはここまでだ。幸運を祈るぜ、ソロプレイヤー。』
『お前らも今日はもう上がっていいぞ!』
無線の向こうで、高瀬がそう言った直後――。
『……いや待て。やっぱ全員残れ。今日は徹夜だ。まだ仕事山ほど残ってる。』
『えぇぇぇぇぇぇぇ!?』
DSAスタッフたちの悲鳴のような抗議が微かに聞こえた後、通信が切れる。
佐伯はすぐ近くに置かれていたエナジードリンクを掴み、そのまま半分以上を一気飲みした。
「っしゃぁ……!」
深く息を吸い込む。
そして専用ヘルメットを装着し、ゆっくりと操縦桿を握った。
『――Welcome, ソロプレイヤー。』
AIシステム音声が響く。
その瞬間。
佐伯の表情が、完全に“プレイヤーの顔”へ切り替わった。
「久々だな、この感覚……。」
ソロプレイヤーは小さく笑う。
「――あぁ、ただいま。」
「貴様らァァァァッ!!! 今度こそ殺してやる!!!」
古神が怒り狂ったように再び迫ってくる。
背後では無数の触手が蠢き、今にも襲いかかろうとしていた。
先ほどの失態程度で退くつもりは、一切ないらしい。
「やれるもんならやってみろよ!」
ソロプレイヤーは即座に大量の武装を展開する。
砲身。
ミサイルポッド。
レーザー発射口。
巨大機体が完全戦闘モードへ移行した。
「準備はいいか、ジジイ?」
ソロプレイヤーが隣のキューピッドへ声をかける。
「当然だ。」
キューピッドは軽く身体をほぐしながら弓を構えた。
「ちょうどあいつをたこ焼きにしたくて仕方なかったところだ。」
「指揮はお前に任せるよ、若者。」
「おっしゃ、最高だ!」
ソロプレイヤーは操縦桿を強く握り締める。
キューピッドもまた、すでに弓弦へ指をかけていた。
二人は並び立ち、正面の敵を見据える。
世界の命運を懸けた最後の戦いが、今まさに始まろうとしていた。
「――ラストステージ。」
ソロプレイヤーはニヤリと笑う。
「ゲームスタートだ!!」
ご覧いただきありがとうございました!
いかがでしたでしょうか?
特に問題がなければ、次回はいよいよ最終話になる予定です。
その時はぜひ、佐伯とキューピッド二人の結末を見届けていただけたら嬉しいです。
できるだけ早く更新できるよう頑張ります……!
それでは、Noah Novaでした。
ご覧いただき本当にありがとうございました。
皆さんが素敵な一日を過ごせますように。




