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最終話-唯一負けたゲーム

皆さん、お待たせしました。ついに最終話です。


今回はかなりボリュームがありますので、できれば時間のある時に一気読みすることをおすすめします。その方がより楽しんでいただけるかもしれません。


それでは、長かった佐伯とキューピッドの旅もいよいよ終着点です。


どうか最後まで、佐伯の結末を見届けてあげてください。

ソロプレイヤーは機体を操り、混沌と化した戦場を駆け抜けていた。

しばらくコントローラーから離れていた期間など、彼にとってはまるで問題にならない。

戦闘が始まって間もなく、彼の指先はかつての感覚を完全に取り戻していた。

レーザー、ミサイル、火炎放射器、実弾兵器――。

次々と武装を切り替えながら、四方八方から押し寄せる触手を容赦なく撃ち落としていく。

三枚のモニターを映す視線は絶えず移動し続け、両手は目にも留まらぬ速度でボタンを叩いていた。

一瞬の油断すら許されない。

その隣ではキューピッドが弓や爆弾を使い、敵の動きを妨害しながら援護を続けていた。

「本体まで近づかないと駄目だ! このままじゃ本体に攻撃が届かない!」

キューピッドが放った矢が大爆発を起こし、その轟音の中で叫ぶ。

「分かってる! 援護を頼む!」

ソロプレイヤーは火炎放射器、実弾兵器、ミサイル、レーザー、エネルギー砲を目まぐるしく切り替えながら、押し寄せる触手の群れを次々と撃退していく。

同時に機体を前進させ、少しずつ敵本体との距離を詰めていた。

やがて彼は片腕のミサイルランチャーを密かに敵本体へ向ける。

もちろん、無数の触手が飛び交う戦場で狙撃など簡単に成功するはずがない。

だがソロプレイヤーは焦らなかった。

静かに照準を合わせ、ただ最高の瞬間を待つ。

そして――

その一瞬。

触手の隙間に、一直線の射線が生まれた。

「今だ。」

迷いなく発射ボタンを叩く。

放たれたミサイルは一直線に加速し、まるで計算された未来をなぞるかのようにローマの街を突き抜けていく。

そして敵本体へ命中する――

その直前。

数本の触手が割り込み、辛うじて盾となった。

「グオオオオ……」

敵は低く唸り声を上げる。

触手は粉々に吹き飛ばされたものの、本体への直撃は防がれてしまった。

だが、その防御の代償として一瞬だけ隙が生まれる。

その瞬間をキューピッドは見逃さなかった。

先ほどのミサイルと同じ軌道をなぞるように、何本もの薔薇の矢が一直線に飛来する。

敵が気付いた時には、すでに身体へ何本もの薔薇が突き刺さっていた。

「ドォォォォンッ!!!!」

色鮮やかな大爆発が連続して炸裂する。

完全に不意を突かれた敵はまともに直撃を受け、その巨体を大きく揺らした。

明らかに有効打だった。

そして爆煙が晴れるよりも早く――

ソロプレイヤーはすでに敵の眼前まで到達していた。

四本の腕に装備されていた武器はすべて近接兵装へと換装されている。

剣。

斧。

大剣。

戦斧。

敵は明らかに動揺した様子を見せた。

対するソロプレイヤーは余裕たっぷりに口笛を吹く。

「お待たせしました。ただいまより新鮮なタコの刺身をお届けしまーす。」

次の瞬間。

四本の腕が同時に閃いた。

残像すら見えるほどの超高速連撃。

防御に回った触手は次々と切り刻まれ、肉片となって宙を舞う。

刃はそのまま敵本体へも到達し、巨大な身体へ無数の傷を刻み込んだ。

「アアアアアアアア!!!!」

敵は苦痛に叫びながら後退しようとする。

しかしソロプレイヤーは追撃の手を緩めない。

四本の腕の武装を一斉にエネルギー砲へ換装。

短いチャージの後、

全砲門を一点へ集束させる。

狙う先は――敵本体。

「ぶっ飛べぇぇぇぇッ!!」

轟音と共に放たれた極太のエネルギー砲が敵の身体を貫く。

眩い閃光がローマの街を照らし出し、敵の巨体には大穴が穿たれた。

そのまま凄まじい衝撃によって後方へ吹き飛ばされ、何棟もの建物を巻き込みながら地面へ叩きつけられる。

「グアアアアアッ!!」

敵は苦しげに身をよじらせながら立ち上がろうとした。

しかし――

上空から何かが降ってくる。

「仕上げに花びらでも添えておこうか。」

キューピッドが不敵に笑う。

空から降り注ぐのは幾輪もの薔薇。

淡く光を放ちながら敵の周囲へ舞い降りる。

そして――

「ドォォォォォォォン!!!!!!」

連続爆発。

鮮やかな花火のような閃光が次々と炸裂する。

赤、青、黄、紫。

色とりどりの爆炎が街全体を包み込み、まるでローマの中心で巨大なカーニバルが開催されているかのようだった。

先ほどから続く怒涛の連携攻撃によって、敵はすでに満身創痍。

その巨体には無数の傷が刻まれている。

「今だ! 一気に畳みかけるぞ!」

爆煙が晴れるのを待ちながら、二人は追撃へ移ろうとした。

だが――

次の瞬間。

ドンッ!!

ドンッ!!

ドンッ!!

凄まじい衝撃波が何度も周囲へ広がった。

「ッ!?」

「なにっ!?」

二人は思わず足を止める。

爆発の中心はまだ煙に覆われて見えない。

しかしその奥からは、

底知れない漆黒のエネルギーが溢れ続けていた。

そして――

まるで脳に直接響くような、

不気味な低い囁き声。

「……なぜだ……」

低く響く声。

「なぜ……私を選ばなかった……」

その声を聞いた瞬間、

ソロプレイヤーとキューピッドは思わず息を呑んだ。

背筋を冷たいものが走る。

本能が警鐘を鳴らしていた。

近付くな。

逃げろ。

その場から動くな、と。

「私は……何も悪意などなかった……」

「ただ……本来私のものだった居場所を……取り戻したかっただけだ……」

「なぜ……」

「なぜそこまで私を追い詰める……」

「私は何を間違えた……」

「私は何が足りなかった……」

「なぜ私だけが……こんな目に遭わなければならない……」

恨みとも悲しみともつかない声が辺りに響く。

やがて爆煙が少しずつ晴れていく。

そして二人はそれを見た。

新たに生えた触手。

先ほどまでとは比較にならないほど巨大で、

そして数も増えている。

さらにその奥には、

一回りどころではないほど巨大化した敵本体の姿。

その体躯は、もはや機体を見下ろせるほどの大きさへ変貌していた。

そして――

その背後。

巨大な純白の舵輪が静かに回転している。

まるで神話に登場する守護霊のように。

神々しく。

そして不気味に。

「神々だろうが……お前たちだろうが……」

低く響く声が世界を震わせる。

「天地万物が生まれるより遥か以前から……」

「我々は存在していた……」

巨大な舵輪がゆっくりと回転する。

「なのに……」

「なぜだ……」

黒いエネルギーが周囲へ溢れ出していく。

「何故お前たちは私を否定する!!!!」

轟ッ!!!!!

天を裂くような咆哮と共に、凄まじい衝撃波が発生した。

爆煙は一瞬で吹き飛ばされ、

街全体が震える。

ソロプレイヤーとキューピッドは思わず腕で顔を庇った。

空は徐々に暗く染まり、

まるで世界そのものが古き神の降臨を歓迎しているかのようだった。

「己の立場を理解しろ……」

敵がゆっくりと両腕を広げる。

「跪け。」

次の瞬間。

巨大な触手が何本も地面を抉りながら襲い掛かった。

「なっ――!?」

「まずい!!」

反応が一瞬遅れる。

触手は二人の足元を狙って横薙ぎに振るわれた。

ドォォォン!!!!

圧倒的な質量と速度。

回避する暇もなく二人は吹き飛ばされる。

重心を奪われ、

そのまま地面へ叩き付けられた。

結果として、

二人は頭を垂れたような姿勢になる。

まるで――

古神へ跪いているかのように。

「っ……速すぎる……」

「なんだよ今の……」

たった一撃。

それだけで二人の身体は本能的な恐怖に支配されていた。

指先が震える。

背筋が冷える。

圧倒的な格の差を感じてしまう。

敵はそんな二人を見下ろしながら、

静かに触手を広げた。

「私はお前たちを滅ぼす……」

一本、

また一本と、

巨大な触手が蠢き始める。

「邪魔する者すべてを滅ぼす……」

黒いエネルギーがさらに膨れ上がる。

「そして……」

敵の目が狂気に染まる。

「必ず私の居場所を取り戻す!!!!」

「Oh, shit……」

ソロプレイヤーは思わず唾を飲み込んだ。

コントローラーを握る両手がわずかに震えている。

「冗談だろ……」

「第二形態とか聞いてないぞ……」

その瞬間。

敵の背後に浮かぶ巨大な舵輪が回転を始めた。

ゴゴゴゴゴゴ……

不気味な音を立てながら速度を増していく。

そして――

無数の巨大触手が津波のように押し寄せた。

建物を薙ぎ倒し、

道路を砕き、

目に入るすべてを破壊しながら迫ってくる。

まず最初に触手が狙ったのは、

二人の中間地点だった。

「っ!?」

「しまっ――」

回避行動を取らされる。

ソロプレイヤーは右へ。

キューピッドは左へ。

結果として、

二人は強制的に分断された。

ソロプレイヤーもすぐさま反撃に転じた。

レーザー。

ミサイル。

機関砲。

あらゆる遠距離兵装を叩き込みながら触手の群れを迎え撃つ。

しかし――

効いていない。

いや、正確には効いてはいる。

だが先ほどまでと比べて明らかにダメージが通らなくなっていた。

数本の触手など、レーザーに焼かれようがミサイルを受けようが構わないと言わんばかりに突進してくる。

圧倒的な数と暴力。

それだけで機体を押し潰そうとしていた。

「くそっ……!」

ソロプレイヤーは機体を後退させながら距離を取ろうとする。

しかし機動力に限界がある以上、完全には振り切れない。

ついに数本の触手が機体へ絡み付いた。

「まずい!」

バキッ!!

外装装甲が容易く砕け散る。

圧倒的な怪力だった。

ソロプレイヤーは即座に武装を近接兵装へ切り替える。

剣を振るい、

斧を叩き込み、

どうにか触手を切断する。

だが――

感触が違う。

先ほどまでなら刺身のように簡単に切り裂けたはずの触手が、

今ではまるで筋だらけの焼き過ぎたステーキだった。

刃が食い込んでも簡単には断ち切れない。

ゴムのような弾力を持ち、

異常なまでの耐久力を獲得している。

「クソッ……!」

ようやく一本を切り落としたソロプレイヤーは、

すぐさま通信を開いた。

「キューピッド! 援護してくれ!」

「こっ……こっちも余裕がないんだよッ!!」

キューピッドの叫び声が返ってくる。

彼の身体には何本もの触手が絡み付いていた。

弓で殴り、

蹴り飛ばし、

必死に引き剥がそうとする。

しかし数が多すぎる。

「ちっ……!」

キューピッドは薔薇を一本引き抜くと、

そのまま触手へ押し付けた。

「吹っ飛べ!」

ドォォォン!!

爆発。

ようやく拘束から抜け出す。

だが立ち上がった直後、

新たな触手が四方八方から迫ってきた。

「冗談だろ……」

その顔には疲労が色濃く浮かんでいる。

むしろ状況だけ見れば、

彼の方がさらに危険だった。

「待ってろ! 今行く!」

ソロプレイヤーは即座に救援へ向かおうとする。

だが――

自分自身も余裕などなかった。

前。

後ろ。

左右。

視界のすべてが触手で埋め尽くされている。

彼はコントローラーを握り締め、

指を休みなく動かし続けた。

機体は剣を振るい、

斧を叩き込み、

目の前の触手を片っ端から切り裂いていく。

しかし。

終わらない。

一本切れば二本。

二本切れば三本。

新たな触手が次々と生まれ続ける。

まるで終わりのない悪夢だった。

指先は徐々に悲鳴を上げ始める。

筋肉が張り、

痛みが蓄積していく。

それでもソロプレイヤーは止まれなかった。

ソロプレイヤーは複数の爆弾を投げ放った。

直後、

ドォォォォォン!!!!

巨大な爆発が連鎖し、周囲一帯を炎が包み込む。

その隙を逃さず、

彼は機体を加速させた。

目指す先はキューピッド。

だが――

彼の状況は想像以上に悪かった。

薔薇の矢を放ち、

爆弾を投げ、

懸命に抵抗している。

それでも巨大触手の猛攻を止めきれない。

一本一本が重く、

そして速い。

防ぎ切れなかった触手が次々と地面を砕き、

周囲の建物を破壊していく。

「いいぞ……」

敵は不気味に笑った。

「キューピッド……」

巨大な瞳がゆっくりと彼を見下ろす。

「まずはお前から消してやろう……」

その瞬間。

背後の巨大な舵輪が一気に加速した。

ゴォォォォォォ――――ッ!!

黒いエネルギーが噴き出す。

それに呼応するように、

無数の触手が脈動し始めた。

そして。

「死ね。」

敵の命令と同時に、

触手の群れが一斉に動き出した。

まるで巨大な津波。

まるで世界を呑み込む黒い海。

圧倒的な質量と勢いを伴い、

すべてがキューピッド目掛けて押し寄せる。

黒い奔流は、

彼という存在そのものを呑み込もうとしていた。

「うおおおおおおおおッ!!!!」

ソロプレイヤーは叫んだ。

まだ諦めていない。

まだ終わっていない。

行く手を塞ぐ触手を片っ端から破壊しながら、

コントローラーを叩き続ける。

指は悲鳴を上げている。

それでも止まらない。

止まれるはずがなかった。

「待ってろ……!」

「待ってろキューピッド!!」

機体は限界寸前の状態で突き進む。

だが距離が遠い。

あと少し。

あと少しなのに届かない。

敵は狂気じみた笑みを浮かべた。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

怒号が戦場を震わせる。

触手の津波はさらに勢いを増した。

その先にいるキューピッドは、

すでに満身創痍だった。

全身に傷を負い、

息も荒い。

額から流れた血が頬を伝う。

彼は迫り来る絶望を見上げながら、

ゆっくりと歯を食いしばった。

そして。

両腕を上げる。

最後の防御姿勢。

最後の抵抗。

静かに目を閉じる。

――ここまでか。

そう覚悟した。

――だが。

ガガガガガガン!!!!!

ドゴォォォン!!!!!

凄まじい衝突音が連続して響き渡った。

金属が悲鳴を上げる。

何かが砕け散る音。

爆発。

振動。

轟音。

それらが数秒間続いた後――

「……?」

キューピッドはゆっくりと目を開いた。

痛みが来ない。

身体も残っている。

生きている。

恐る恐る腕を下ろす。

そして目の前にあった光景を見て、

思わず息を呑んだ。

そこには、

巨大な背中があった。

黒い触手の大群を正面から受け止めながら、

なお立ち続ける機体。

周囲が闇に覆われる中、

その背中だけが微かに光を放っているように見えた。

まるで――

最後まで立ち続ける英雄のように。

「なっ……おい、嘘だろ……」

キューピッドは呆然と呟いた。

自分の前へ飛び込んできたのは、

ソロプレイヤーの機体だった。

黒い津波のような触手の猛攻を、

その巨大な機体が正面から受け止めていた。

周囲には切断された触手が無数に散乱している。

まるで嵐の中心だったかのように、

肉片と瓦礫が辺り一面へ降り注いでいた。

しかし。

代償は決して小さくなかった。

機体の外装は大きく損傷し、

あちこちから火花が散っている。

黒煙が噴き出し、

装甲板はひしゃげ、

金属片が剥がれ落ちていた。

そして――

四本あった腕のうち二本は完全に破壊され、

地面へ転がっている。

操縦席の佐伯自身も無傷では済まなかった。

「ごほっ……ごほっ……!」

血を吐く。

コクピット内では警告灯が赤く点滅していた。

全身が痛む。

骨が軋む。

頭が割れそうだった。

先ほどの衝撃で意識は朦朧としている。

それでも。

佐伯は無理やり意識を繋ぎ止めた。

口の中に広がる鉄臭い血の味。

全身を襲う痛み。

それらを逆に利用し、

気力だけで失神を拒絶する。

「お、お前……大丈夫か……?」

掠れた声で、

彼はまずキューピッドの無事を確認した。

「ふざけるな……!」

キューピッドは思わず叫んだ。

「大丈夫なのはお前の方かよ!?」

その声には珍しく焦りが混じっている。

だが。

佐伯は苦しそうに息をしながらも、

わずかに笑った。

「だ……大丈夫だよ……」

血の混じった唾を吐き捨てる。

そして。

「コントローラーは無事だからな……」

そう言って笑った。

「……は?」

キューピッドは一瞬言葉を失う。

こんな状況で最初に心配するのがそれなのか。

思わず呆れそうになる。

「……フフ。」

敵が小さく笑った。

興味深そうに首を傾げる。

「面白いな、人間。」

巨大な舵輪の回転が徐々に遅くなっていく。

それに合わせて触手の攻撃も一旦止まった。

どうやらあの異常な猛攻は無制限に使える力ではないらしい。

敵自身も大きく息を吐き、

力を整え直しているようだった。

戦場に、

ほんの僅かな静寂が訪れる。

「なんでだよ……」

キューピッドは唇を噛み締める。

「下手したら死んでたんだぞ……」

怒っているのか。

呆れているのか。

それとも別の感情なのか。

自分でも分からなかった。

佐伯は少しだけ肩を竦める。

「でも……」

荒い息の合間に、

彼は笑った。

「死んでない。」

そして、

どこまでも佐伯らしく言い放つ。

「だからどういたしまして。」

顔は青痣だらけ。

口元からは血が流れている。

前歯も一本欠けていた。

どう見てもボロボロだ。

それなのに。

まるでゲームに勝った後みたいな顔で笑っている。

キューピッドはそんな姿を見つめ、

やがて諦めたように苦笑した。

「……ほんとにお前ってやつは。」

そしてその瞬間、

彼は静かにある決意を固めるのだった。

「ありがとう……」

キューピッドは小さく呟いた。

そして少しだけ視線を逸らしながら続ける。

「でも佐伯。」

「今のうちに逃げろ。」

「……は?」

佐伯は思わず聞き返した。

キューピッドは真面目な表情のまま言う。

「たぶん俺たちは勝てない。」

その言葉に迷いはなかった。

「でも、一人くらいなら逃がせるかもしれない。」

彼は遠くに立つ敵を見つめる。

「今のあいつはまだ完全な状態じゃない。」

「逃げるなら今しかない。」

静かな口調だった。

だがそれは、

自分がここに残ることを前提にした言葉だった。

「待てよ……」

佐伯の顔が強張る。

「じゃあお前はどうするんだよ?」

「今のお前の状態で、あいつと一人で戦うつもりなのか?」

「何考えてるんだよ!」

キューピッドは肩を竦めた。

「もちろん勝てない。」

あっさりと認める。

「でも、お前が安全に逃げる時間くらいは稼げる。」

その言葉を聞いた瞬間、

佐伯は何も言えなくなった。

キューピッドはゆっくりと笑う。

どこか父親のような、

兄のような、

優しい笑みだった。

「これは元々、お前の戦争じゃない。」

「忘れるな。」

彼は佐伯の胸を軽く指差した。

「お前には帰る世界がある。」

「お前を待ってる人間がいる。」

「必要としてる世界がある。」

少しだけ空を見上げる。

「だから、その世界まで一緒に心中する必要なんてないんだよ。」

そして再び佐伯を見る。

「帰れ。」

「若者。」

「大丈夫だ。」

その声音は不思議なほど穏やかだった。

まるで、

自分の最期を受け入れている人間のように。

「ふざけるなよ!」

佐伯は叫んだ。

怒りだった。

恐怖だった。

そして何より、

受け入れたくなかった。

「そんなの無理に決まってるだろ!」

「目の前でお前が死ぬのを見ろっていうのか!?」

「どれだけトラウマになると思ってるんだよ!」

「なんなんだよそれ!」

「なんでそんなこと言うんだよ!」

「頭おかしいのかよ!」

感情が溢れ出す。

今までの戦いの疲労も、

痛みも、

全部混ざっていた。

キューピッドはそんな彼を見ながら、

ふっと笑った。

「大丈夫だよ。」

その笑顔にはどこか達観したものがあった。

「俺みたいなジジイはさ。」

少し空を見上げる。

「もう十分生きた。」

「特に未練もない。」

そして佐伯へ視線を戻す。

「むしろ感謝してる。」

「最後に少しだけ楽しい時間を過ごせた。」

「お前のおかげだ。」

「……はは。」

静かな笑い声が漏れる。

戦場とは思えないほど穏やかな声だった。

「もういい。」

キューピッドは静かに言った。

「とにかく行け。」

「佐伯。」

「これ以上俺に無理をさせるな。」

少し困ったように笑う。

「本気で能力を使って追い出すぞ。」

その言葉を聞いた瞬間。

佐伯は急に頭がぼんやりし始めた。

視界が揺れる。

耳鳴りがする。

傷のせいなのか。

それとも本当にキューピッドが能力を使ったのか。

自分でも分からない。

ただ、

身体から少しずつ力が抜けていく。

佐伯は無意識にコントローラーへ視線を落とした。

機体を動かせばいい。

このまま離脱すればいい。

そうすれば――

(生きて帰れる……)

(俺にはまだやるべきことがある……)

(帰ろう……)

(家に帰ればいい……)

まるで誰かが耳元で囁くように、

その考えが頭の中へ染み込んでくる。

佐伯は朦朧としたまま、

緊急離脱プロトコルを起動しようとした。

だが――

その瞬間。

『WARNING!!』

『WARNING!!』

『WARNING!!』

コクピット内に響く巨大な警報音。

真っ赤な警告表示が視界を埋め尽くす。

その轟音が、

佐伯の意識を一気に現実へ引き戻した。

佐伯はゆっくりと周囲を見回した。

自分も満身創痍。

キューピッドも同じだ。

機体は大破寸前。

腕は二本失われ、

各部システムも次々と停止している。

そして敵。

戦況は完全に支配されていた。

もしもう一度、

先ほどのような攻撃が来れば――

終わる。

全滅だ。

それは誰の目にも明らかだった。

勝率など存在しない。

生きて帰れる保証もない。

理屈だけなら、

今すぐ逃げるのが正しい。

だが。

佐伯の視線は、

ふと一点で止まった。

コントローラー。

傷一つないそれだけが、

今も変わらず目の前にある。

沈黙。

数秒。

そして――

佐伯は警報を強制的に停止した。

『WARNING SYSTEM OFF』

続いてコクピットの収納ボックスを開く。

中から一本の緊急用アドレナリン注射を取り出し、

迷いなく腕へ突き刺した。

ガシュッ。

薬液が体内へ流れ込む。

さらに残っていたエナジードリンクを掴み、

一気に飲み干す。

ゴクッ。

ゴクッ。

ゴクッ。

空になった缶を乱暴に投げ捨てた。

「おい……」

キューピッドが目を丸くする。

「何やってるんだ?」

佐伯はゆっくりとコントローラーを握り直した。

そして――

深く息を吸う。

「勝手にヒーローぶってんじゃねぇよ。」

少し苛立ったように言う。

「まったく……」

次の瞬間。

彼の瞳に再び火が灯った。

「よく聞け。」

握る手に力が入る。

「俺はソロプレイヤーだ。」

「俺は佐伯拓海だ。」

コクピットの中で、

彼はまっすぐ前を見据えた。

「コントローラーが無事なら終わってない。」

「俺の前から誰かが消えるなんて認めない。」

「世界が滅ぶ?」

「そんなエンディング却下だ。」

口元が吊り上がる。

「俺はどんなゲームでも負けない。」

「連勝記録はまだ続いてる。」

「今日の出来事も――」

佐伯はニヤリと笑った。

「俺のハイライトに追加されるだけだ。」

その言葉と共に、

戦意が再び燃え上がる。

まるで、

残った命のすべてを燃料に変えるように。

「そうか……」

キューピッドは小さく息を吐いた。

そして苦笑する。

「今、お前は生きて帰れる最後のチャンスを自分で捨てたぞ。」

少し間を置いて、

肩を竦める。

「大馬鹿野郎だな。」

呆れたような口調だった。

だが、

口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。

佐伯も負けじと笑った。

「なんだよ。」

「もうバテたのか、ジジイ。」

コントローラーを握りながら挑発する。

「ベッドの上じゃもっと元気だったんじゃないのか?」

「はっ。」

キューピッドは鼻で笑った。

「言ってくれるな。」

そう言いながら弓を構える。

「そこまで言うなら付き合ってやる。」

そして少し真面目な顔になる。

「で?」

「まさか根性論だけで戦うつもりじゃないよな?」

「ちゃんと作戦はあるんだろうな?」

佐伯は苦笑した。

「もちろん。」

だが次の言葉で、

その笑みは少し引きつる。

「ただ……」

「たぶん人生で一番クソみたいな作戦だけどな。」

「しかも大博打だ。」

キューピッドは眉をひそめた。

「嫌な予感しかしないんだが。」

「俺を信じるか?」

佐伯は真っ直ぐ尋ねる。

数秒の沈黙。

キューピッドは真顔で考え込んだ。

「正直……」

「微妙。」

「おい。」

「でも。」

キューピッドは肩を竦める。

「他に選択肢もなさそうだ。」

そう言って笑った。

「乗ってやるよ。」

その瞬間。

遠方から再び黒いエネルギーが膨れ上がる。

ゴゴゴゴゴゴ……

巨大な舵輪が再び回転を始めた。

敵が動き出す。

そして。

無数の触手が再び蠢き始めた。

決戦の最終ラウンドが始まろうとしていた。

「後悔するぞ……」

敵が低く唸る。

「全員まとめて死ねぇぇぇぇぇ!!!!」

轟音と共に、

触手の大群が再び押し寄せる。

建物を薙ぎ倒し、

道路を砕き、

何もかもを飲み込みながら進むその姿は、

まさに黒い災害そのものだった。

ローマの街はさらに闇へ沈んでいく。

「で?」

キューピッドは矢を放ちながら叫ぶ。

薔薇の爆発が咲き乱れ、

黒い奔流へ色彩を刻む。

「具体的に何をするんだ!?」

佐伯は深く息を吐いた。

「お前は今まで通り援護しろ。」

「了解。」

「準備もしておいてくれ。」

「それでお前は?」

佐伯は目を閉じる。

首を回す。

肩を鳴らす。

指を伸ばす。

手首を回す。

まるで試合前のアスリートのように、

最後の調整を行う。

そして椅子へ深く座り直し、

コントローラーを握り締めた。

静かに目を開く。

その瞳には迷いがない。

「俺か?」

口元が少しだけ吊り上がる。

「俺はただ――」

「今までずっとやってきたことをやるだけだ。」

「たぶん、それしか得意じゃないしな。」

そして。

ソロプレイヤーは獰猛に笑った。

「ゲームだ。」

ソロプレイヤーがボタンを押し込む。

それと同時に、

半壊した機体が再び前へ踏み出した。

たった一機で。

黒い大津波のような触手の群れへ向かっていく。

恐れなどない。

迷いもない。

残された二本の腕が目まぐるしく武装を切り替えていく。

死角から迫る触手にはレーザー。

密集した群れにはミサイル。

包囲されたら爆弾で突破口を作る。

至近距離ではシールドで弾き飛ばし、

続けて斧と剣で切断。

さらに正面から大群が押し寄せれば、

エネルギー砲を最大出力までチャージし、

真正面から撃ち抜く。

次々と変化する戦況。

そのすべてに、

ソロプレイヤーは対応していた。

視線は三枚のモニターへ釘付け。

傷付いた画面の向こう側だけを見つめる。

そして。

最も適切なタイミングで。

最も適切な入力を。

最も適切な順番で。

指先だけで叩き込んでいく。

その操作精度は、

もはやミリ秒単位だった。

一瞬の遅れもない。

一瞬の迷いもない。

ただひたすらに最適解を積み重ねる。

その結果、

機体は着実に前進していた。

敵との距離が縮まる。

あと少し。

だがまだ足りない。

そして当然、

近付けば近付くほど難易度は跳ね上がる。

本当の地獄はここからだった。

「グアアアアアアアアアアアア!!!!」

敵が焦りを露わにした。

巨大な舵輪が再び加速する。

黒いエネルギーが暴走するように膨れ上がり、

それに呼応して触手の群れが狂ったように増殖した。

そして。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

天を裂く咆哮。

次の瞬間、

今までを上回る触手の大波が襲い掛かる。

視界が埋まる。

前も。

横も。

上も。

下も。

見えるものはすべて黒。

まるで世界そのものが闇へ塗り潰されたようだった。

――これを耐えられなければ終わりだ。

ソロプレイヤーも理解している。

次の一撃を受ければ、

たぶん死ぬ。

だが不思議なことに、

恐怖はなかった。

その代わり。

ふと、

ある日の記憶が脳裏に浮かぶ。

地獄モード。

誰もクリアできないと言われた理不尽な挑戦。

あの日。

彼はただの一般人から、

ヒーローになる資格を掴み取った。

そして――

初めて先輩と出会った日でもあった。

遠い昔の出来事。

それなのに、

昨日のことのように鮮明だった。

ソロプレイヤーは小さく笑う。

あの日があったから、

今の自分がいる。

そう思えた。

「悪いな。」

ソロプレイヤーは呟く。

「命懸けでゲームするのは――」

口元が少しだけ吊り上がった。

「もう初めてじゃないんだ。」

深く息を吸う。

そして。

静かに呼吸を止めた。

本来なら限界のはずだった。

全身は傷だらけ。

血も流れている。

疲労も蓄積している。

それなのに。

今この瞬間だけは、

世界が異様なほど鮮明に見えた。

触手の動き。

空気の流れ。

敵の癖。

攻撃の軌道。

すべてが見える。

一本一本の触手が、

次の瞬間どこへ動くのかまで理解できる。

もちろん。

ほんの僅かな入力ミスで死ぬ。

コンマ一秒の遅れでも終わる。

そんな状況だ。

だが――

怖くなかった。

不思議なほど。

恐怖が存在しない。

むしろ。

今の自分なら何でもできる。

そんな錯覚すら覚える。

ソロプレイヤーは静かにコントローラーを握り締めた。

そして。

最後の勝負へ踏み込む。

ソロプレイヤーは迫り来る触手を一本残らず迎撃していく。

本来なら鈍重なはずの巨大機体。

だが今のそれは違った。

まるで数百の戦場を生き延びてきたスパルタの死神のように、

圧倒的な速度で動き続ける。

武装を切り替える。

撃つ。

避ける。

斬る。

防ぐ。

反撃する。

そのすべてが一切の無駄なく繋がっていた。

もはや人の目では追えない。

機体の性能限界すら超えようとしている。

ギギギギギッ――!!

フレームが悲鳴を上げる。

本来ならあり得ない挙動。

本来なら許容されない負荷。

ただでさえ大破寸前だった機体は、

その超人的な操作によってさらに傷付いていく。

装甲が剥がれる。

火花が散る。

黒煙が吹き出す。

金属骨格が悲鳴を上げる。

機体全体が軋み、

今にも崩壊しそうだった。

それでも。

それでもソロプレイヤーは止まらない。

迫る触手はすべて撃墜する。

完璧ではない。

無傷でもない。

だが。

被害は最小限に抑えられていた。

まるで、

限界そのものと戦っているようだった。

『WARNING』

『WARNING』

『機体負荷率限界到達まで残り僅か』

『WARNING』

システムは何度も警告を発していた。

だが。

ソロプレイヤーは聞いていない。

いや、

聞く余裕すらなかった。

ここで止まれば終わる。

ここで出し切らなければ、

すべてが消える。

だから前へ進むしかない。

指が動く。

動く。

動く。

速すぎて残像になるほどに。

血走った目は限界を迎えていた。

視界も徐々に滲み始めている。

額から流れる血。

鼻血。

裂けた唇。

傷口から滲む赤。

その姿は、

まるで七つの孔すべてから血を流しているようにも見えた。

指先の筋肉はすでに痙攣している。

関節は悲鳴を上げていた。

一部の組織は壊死しかけている。

それでも。

止めない。

瞬きをする暇もない。

呼吸を整える余裕もない。

ただひたすら。

最後の意志だけで。

最後の気力だけで。

積み上げてきた膨大な経験と、

筋肉へ刻み込まれた記憶と、

そして。

最強プレイヤーとしての本能だけで、

彼はコントローラーを叩き続けた。

敵との距離が縮まる。

少しずつ。

確実に。

触手の勢いも目に見えて弱くなっていた。

敵も限界へ近付いている。

だが。

まだ終わっていない。

むしろここからが本番だった。

距離が近いということは、

反応時間が短くなるということ。

一つの入力ミス。

一つの判断ミス。

それだけで即死する。

さらに敵も最後の反撃を狙っているはずだ。

ここで気を抜けば終わる。

だから。

ソロプレイヤーは最後まで集中を切らさない。

損傷を最小限に。

少しでも前へ。

一歩でも近く。

『WARNING!!』

『WARNING!!』

『操縦者生命反応低下』

『生命維持限界接近』

『WARNING!!』

警告音が鳴り響く。

だが。

ソロプレイヤーは聞かない。

聞こえていても無視する。

今さら自分の命など優先順位の最上位ではない。

彼はただ、

残された命そのものを削りながら、

コントローラーを叩き続けた。

まるで――

自分の寿命を操作入力へ変換しているかのように。

ついに。

あと少しで届く。

勝利は目前だった。

敵もそれを理解しているのだろう。

怒りの咆哮を上げながら、

残された触手を総動員して最後の攻勢へ出る。

「グアアアアアアア!!!!」

黒い触手が乱舞する。

だが。

ソロプレイヤーは冷静だった。

このまま捌き切れば終わる。

あと少し。

本当にあと少し――

その時だった。

「――っ!?」

突然。

機体の挙動が一瞬だけ乱れた。

コンマ一秒にも満たない僅かな停止。

連続稼働による過負荷。

機体。

コクピット。

そしてコントローラー。

すべてが限界を超えていた。

過熱。

短絡。

システム遅延。

それらが重なった結果、

ほんの一瞬だけ入力が途切れた。

だが。

その一瞬が致命的だった。

本来出るはずだった操作が出ない。

本来繋がるはずだったコンボが途切れる。

リズムが崩れる。

流れが乱れる。

積み上げてきた完璧な連鎖が、

一箇所だけ歪んだ。

そして――

敵は見逃さなかった。

「ハハハハハハ!!!!」

狂気じみた笑い声が響く。

巨大な瞳が見開かれる。

「捕まえたぞォォォォ!!!!」

その声には確信があった。

勝利を確信した者の声。

「死ねぇぇぇぇぇ!!!!」

次の瞬間。

ソロプレイヤーが対処できない角度から、

数本の巨大触手が一斉に襲い掛かった。

ソロプレイヤーは悟った。

間に合わない。

今の攻撃だけは処理できない。

普通なら。

ここで終わりだった。

だが。

彼は止まらなかった。

回避もしない。

振り返りもしない。

ただ前を見る。

そして前進する。

その決断の直後――

ドォォォォン!!!!

爆発。

巨大な薔薇が空中から飛来し、

迫っていた触手へ真正面から激突した。

赤。

青。

黄。

色鮮やかな爆炎が咲き誇る。

触手は機体へ届く寸前で吹き飛ばされた。

「ビビってんじゃねぇ!!!」

遠くから声が聞こえる。

「突っ込め佐伯!!!」

キューピッドだった。

全力で叫んでいる。

「そのまま行けぇぇぇぇ!!!!」

ソロプレイヤーは思わず笑った。

そうだ。

自分は一人じゃない。

たとえミスしてもいい。

たとえ完璧じゃなくてもいい。

なぜなら――

今は二人だからだ。

自分が見落とした場所は、

もう一人のプレイヤーが見てくれている。

その時だった。

『頑張れ!! ソロプレイヤー!!』

『あと少しです!!』

『Fighting!! 』

『GO!! GO!! GO!!』

ソロプレイヤーは一瞬だけ目を瞬いた。

聞こえてきたのは、

ついさっきまで生命危険警告を連呼していたシステム音声だった。

思わず笑ってしまう。

最後の力が湧いてくる。

敵も最後を悟ったのだろう。

狂ったような咆哮と共に、

全戦力を投入した最後の総攻撃を放つ。

「グオオオオオオオオオオ!!!!」

無数の触手が押し寄せる。

これが本当に最後。

そう直感した。

そして。

ソロプレイヤーは目を閉じた。

完全に。

静かに。

そして。

機体を前方へ跳躍させる。

機体が宙を舞う。

そのまま高速回転。

同時に、

全方位へレーザーを解放した。

無数の光線が円環を描きながら周囲を薙ぎ払う。

360度。

完全無死角。

迫り来る触手は一瞬で切り裂かれ、

光の嵐の中へ消えていった。

まるで。

最後の舞台へ向けた、

最強プレイヤーからのフィナーレのように。

「な……」

敵は目を見開いた。

「なぜだ……!?」

信じられないものを見るような表情だった。

目の前の機体は満身創痍。

装甲は砕け、

黒煙を吹き上げ、

もはや立っていること自体が奇跡に近い。

それなのに。

まだ動いている。

まだ前へ進んでいる。

敵の背後で回転していた巨大な舵輪も、

徐々に速度を落としていく。

あれほどの猛攻を放ちながら、

結局機体を破壊できなかった。

つまり――

敵の攻撃フェイズは終わった。

そして今度は。

ソロプレイヤーのターンだった。

宙へ跳び上がった機体は、

残された慣性を利用しながら前進を続ける。

その途中。

残る片腕の武装が変形を開始した。

ガコン。

ガコン。

複数の機構が展開され、

巨大なエネルギー砲へと姿を変える。

同時に、

通常より長いチャージが始まった。

青白い光が砲口へ集束していく。

(取った――)

ソロプレイヤーは確信した。

勝利を。

終幕を。

『CHARGE COMPLETE』

システムが充填完了を告げる。

次の瞬間。

機体は空中から敵へ向かって急降下した。

砲口には限界まで圧縮されたエネルギー。

無防備な敵へ叩き込めば、

それで終わる。

――はずだった。

「……!」

ソロプレイヤーの瞳がわずかに揺れる。

敵もまた、

片腕を前へ突き出していた。

そこへ集まるのは、

膨大な黒いエネルギー。

次の瞬間。

轟ッ!!!!

光と闇が正面衝突した。

街全体を揺るがす爆音。

凄まじい衝撃波。

両者の力は一瞬だけ拮抗する。

だが。

「グオオオオオオ!!!!」

敵が咆哮した。

もう片方の腕にも黒い力が集中する。

そして。

圧倒的な出力差によって、

均衡は崩壊した。

ドォォォォォン!!!!

機体が吹き飛ばされる。

まるで玩具のように。

巨大な身体は街路へ叩き付けられ、

何度も何度も転がった。

その衝撃の中で、

残っていた機械腕の一本が無理やり引き千切られる。

バキィッ!!

金属が悲鳴を上げる。

機体は地面を滑り、

瓦礫を巻き上げ、

無数の破片を周囲へ撒き散らした。

「ハァッ……!」

「ハァ……ッ!」

ソロプレイヤーはようやく息を吸い込んだ。

長時間止め続けていた呼吸が一気に戻る。

肺が焼けるように痛い。

視界も激しく揺れていた。

それでも彼はコントローラーを握り直し、

倒れた機体を無理やり立ち上がらせる。

ギギギギ……

機体の関節が悲鳴を上げる。

敵本体の力は予想以上だった。

渾身の一撃。

勝負を決めるはずだった砲撃。

それを正面から押し返されたどころか、

機体そのものがほぼスクラップ寸前まで追い込まれている。

コクピットには損傷報告が次々と表示される。

画面は赤一色だった。

『WEAPON SYSTEM FAILURE』

『LEFT ARM LOST』

『ENERGY LEVEL CRITICAL』

『SYSTEM DAMAGE 87%』

既に使用不能となった武装は数え切れない。

残されたエネルギーも底が見えていた。

「見事だったぞ。」

敵はゆっくりと拍手した。

パン。

パン。

パン。

その声音には嘲笑が混じっている。

「本当に見事だった。」

巨大な瞳が細められる。

「人間にしてはな。」

敵は少し楽しそうですらあった。

「だが――」

黒いエネルギーが再び身体の周囲へ集まり始める。

「まさか本当に私を倒せると思ったのか?」

その言葉に、

ソロプレイヤーは反論できなかった。

機体は限界。

残った腕は一本。

装甲はボロボロ。

エネルギーも残り僅か。

そして自分自身も満身創痍。

次に舵輪が回転すれば終わる。

今度こそ、

もう耐えられない。

誰の目にも分かるほど状況は絶望的だった。

「さて。」

敵は首を傾げた。

「遺言くらいは聞いてやろう。」

完全に勝利を確信している顔だった。

一方のソロプレイヤーは、

コクピットの椅子へ深く身体を預けている。

全身から力が抜けていた。

腕も重い。

視界も霞む。

今にも意識が途切れそうだ。

それでも。

彼はゆっくりと手を伸ばした。

そして。

もう何度目かも分からないほど傷付いたコントローラーを、

再び握る。

「ハハ……」

小さな笑い声。

「……?」

敵が眉をひそめる。

「何がおかしい?」

ソロプレイヤーは答えない。

ただ笑う。

弱々しく。

しかしどこか楽しそうに。

敵の表情が険しくなる。

「まだ笑えるのか?」

「この状況で?」

「まさか――」

敵は目を細める。

「まだ逆転できるとでも思っているのか?」

ソロプレイヤーはゆっくりと首を横に振った。

「いや……」

掠れた声だった。

「負ける可能性くらい最初から考えてた。」

敵が眉をひそめる。

ソロプレイヤーは小さく笑った。

「だから助かった。」

「最初から別の勝ち筋を用意しておいて。」

敵の表情が変わる。

「……何?」

「今までの全部。」

ソロプレイヤーは静かに続けた。

「全部ただの目くらましだ。」

その瞬間。

残された最後の機械腕がゆっくりと開く。

中から現れたのは――

小さなペンダントだった。

「なっ――」

敵の瞳が大きく見開かれる。

「それは……!」

「いつ……!?」

その反応を見て、

ソロプレイヤーは勝利を確信した。

「その通りだ。」

ソロプレイヤーは息を吐く。

「どうやらお前の次の行き先は神界じゃない。」

ペンダントが淡く輝き始める。

「この訳の分からない異世界らしいな。」

次の瞬間。

眩い光が放たれた。

ゴォォォォォォォ……

空間そのものが歪み始める。

風が吹く。

いや、

それは風ではない。

重力だった。

ペンダントから溢れ出した力が渦を巻き、

巨大な空間の裂け目を作り出していく。

やがて。

その中心には、

底の見えない漆黒の渦が現れた。

まるでブラックホール。

まるで世界の穴。

そこに存在するだけで、

周囲のあらゆるものを呑み込もうとしている。

瓦礫が浮く。

砂塵が舞う。

建物の破片が吸い寄せられていく。

そして当然――

敵自身も例外ではなかった。

「やめろ……!」

敵の顔から余裕が消えた。

「やめろォォォォォ!!!!」

巨大な身体が後方へ引き寄せられる。

まるで船底に穴が開いた宇宙船のようだった。

どれだけ力があろうと関係ない。

どれだけ巨大だろうと関係ない。

渦は平等にすべてを呑み込む。

敵は必死に抵抗した。

地面へ爪を突き立てる。

黒いエネルギーを放つ。

全身の力を振り絞る。

だが止まらない。

少しずつ。

確実に。

身体は渦の中心へ近付いていく。

「くそっ……!」

敵は慌てて触手を召喚した。

周囲の建物。

瓦礫。

地面。

あらゆる場所へ触手を伸ばし、

命綱のように掴み取る。

しかし。

現れる触手はわずかだった。

先ほどまでのような大群はもう出せない。

力が尽きかけている。

それは敵自身が一番理解していた。

ソロプレイヤーは苦しそうに息を吐いた。

それでも笑う。

「分かってる。」

「お前の切り札は今使ったばかりだ。」

敵が睨み付ける。

ソロプレイヤーは続けた。

「もうさっきみたいな数の触手は出せない。」

「クールタイム中だ。」

「詰みだよ。」

敵の顔が怒りで歪んだ。

「黙れェェェェ!!!!」

咆哮。

黒いエネルギーが爆発的に膨れ上がる。

無理やり。

本当に無理やり。

さらに数本の触手を生み出した。

触手は周囲へ絡み付き、

必死に身体を固定する。

それでも。

渦の吸引力は止まらない。

敵は少しずつ。

少しずつ。

絶望へ引きずり込まれていった。

「マジかよ……」

ソロプレイヤーは苦笑した。

敵は想像以上にしぶとい。

だが――

まだ終わっていない。

彼は最後の力を振り絞り、

叫んだ。

「今だッ!! ジジイ!!」

その瞬間だった。

ダンッ!!

ダンッ!!

ダンッ!!

どこからともなく足音が響く。

そして。

金属が擦れる重い音。

敵が振り返るより早く、

巨大な刃が背中から突き出した。

「ガアアアアアアッ!!!!」

敵の絶叫が響く。

背後にいたのは――

キューピッドだった。

彼は地面に落ちていた機械腕を抱え、

全力疾走でここまで駆けてきたのだ。

そしてその先端に残された刀斧を、

渾身の力で突き刺した。

敵は完全に不意を突かれていた。

意識はソロプレイヤーと渦から逃れることだけに向いていた。

だから気付かなかった。

自分の背後から迫る、

もう一人のプレイヤーに。

「まだだ……」

キューピッドは歯を食いしばった。

「このクソ野郎……!」

一本で終わらない。

彼は近くに転がっていた別の機械腕を掴む。

そして。

再び突き立てた。

ドスッ!!

さらにもう一本。

ドスッ!!

巨大な機械兵器が次々と敵の身体を貫いていく。

「グアアアアアアア!!!!」

敵の身体から黒いエネルギーが漏れ出した。

力が抜けていく。

触手も減っていく。

もはや新たな触手を生み出す余裕すらない。

黒い輝きも急速に弱まっていった。

そして。

敵の抵抗は目に見えて弱くなる。

渦は容赦なく引き寄せる。

少しずつ。

確実に。

終わりが近付いていた。

「はぁっ……!」

キューピッドは大きく息を吸う。

そして。

全力で駆け出した。

加速。

加速。

さらに加速。

そして――

「おおおおおおッ!!!!」

飛び上がる。

空中で身体を捻り、

渾身の飛び蹴りを叩き込んだ。

ドォォォン!!!!

敵の巨体が前方へ吹き飛ぶ。

渦へ近付く。

だが――

まだ足りない。

あと少し。

あと少し届かない。

キューピッドは着地と同時に体勢を整えた。

そして静かに弓を構える。

いつもの薔薇ではない。

一本の花でもない。

彼が取り出したのは、

まるで花嫁へ贈るブーケそのものだった。

色とりどりの花が束ねられた、

大きな花束。

キューピッドは優しく微笑む。

「これで終わりだ。」

弦を引く。

限界まで。

「おめでとう。」

そして。

少しだけ意地悪そうに笑った。

「結婚おめでとう。」

次の瞬間。

弦が解放された。

巨大な花束が一直線に飛ぶ。

敵へ向かって。

真っ直ぐに。

そして――

命中。

ドォォォォォォォォォン!!!!!!!!

世界が白く染まる。

赤。

青。

黄。

紫。

無数の薔薇が一斉に咲き誇った。

すべてが同時に爆発する。

色彩の奔流。

祝福の花火。

その光景はあまりにも鮮やかだった。

まるで、

黒一色だった怪物へ無理やり色を塗りたくるかのように。

「ガアアアアアアアアア!!!!」

敵は吹き飛ばされた。

完全に体勢を崩す。

触手も。

黒いエネルギーも。

抵抗する力も。

もう残っていない。

そして。

巨大な身体はゆっくりと、

だが確実に、

深淵の渦へ飲み込まれていった。

「やめろ……!」

敵は手を伸ばした。

必死に。

無様なほど必死に。

「やめろォォォォ!!!!」

その叫びには、

先ほどまでの威厳も神々しさも存在しなかった。

ただ恐怖だけがあった。

「あり得ない……!」

「こんなの認めない!!」

「私が……!」

「私がこんな……!」

巨大な身体はなおも渦へ引きずられていく。

どれだけ足掻いても。

どれだけ叫んでも。

どれだけ手を伸ばしても。

止まらない。

「アアアアアアアアアアアア!!!!」

最後の絶叫。

そして――

古き神は深淵の中へ消えた。

巨体が完全に飲み込まれる。

その直後、

巨大な渦もゆっくりと縮小を始めた。

轟音は消え、

空間の歪みも消え、

やがて何事もなかったかのように静寂が戻る。

戦いは終わった。

ソロプレイヤーは手の中のペンダントを見る。

短い沈黙。

そして。

握り潰した。

パキッ。

小さな音と共にペンダントは砕け散る。

地面へ落ちた破片を、

さらに靴で踏み砕く。

もう二度と使えないように。

完全に。

徹底的に。

静寂が訪れる。

ようやく。

本当にすべてが終わった。

ソロプレイヤーはコクピットを開き、

傷だらけの身体を引きずりながら外へ出た。

キューピッドもまた、

ゆっくりと彼の方へ歩いてくる。

二人は少しだけ視線を交わした。

敵はいない。

渦も消えた。

世界は救われた。

それを確認したソロプレイヤーは、

小さく笑う。

そして――

親指で自分の胸を指しながら、

いつものように少しだけ格好つけて言った。

「Game Over.」

その言葉と同時に、

張り詰めていた緊張が一気に途切れる。

「あ。」

膝から力が抜けた。

そのまま前へ倒れそうになる。

「おい!」

キューピッドが慌てて駆け寄り、

彼の身体を支えた。

「だから無茶しすぎなんだよ!」

「はは……」

佐伯は力なく笑う。

「勝っただろ……?」

「まあな。」

キューピッドも苦笑した。

「勝ったよ。」

そのまま二人は地面へ腰を下ろした。

「ああ。」

「信じられないけどな。」

少し間を置いて続ける。

「よくやったよ、佐伯。」

佐伯も笑う。

「お前もな。」

「悪くなかった。」

「はは。」

二人は少しだけ笑い合った。

しばらくして、

キューピッドがぽつりと言う。

「せっかくローマまで来たんだ。」

「数日くらい遊んでいかないか?」

佐伯は即答した。

「いいな。」

「どうせなら観光もしよう。」

「また世界を救ったんだし。」

「俺には休暇を取る権利がある。」

「休暇はどうでもいい……」

キューピッドは力なく呟く。

「誰かビール持ってきてくれ……」

「それは分かる。」

二人は再び笑った。

そして。

見上げた空は少しずつ晴れ始めていた。

黒い雲は消え、

青空が戻ってくる。

世界は再び日常へ帰っていく。

遠くから聞こえてくるサイレンの音。

救急車。

警察。

消防。

ようやく、

すべてが終わったのだ。

=========================================

「うーん……このケーキ、美味しいな……。もう何個か追加で頼んでもいい?」

数日後。

十分な治療と休養を終えた二人は、まるでバカンス中のような服装で、ローマのカフェのテラス席に座り、コーヒーとスイーツを楽しんでいた。

佐伯は何日も何も食べていなかったかのような勢いで、テーブルいっぱいに並んだデザートを次々と平らげている。

一方のキューピッドは、相変わらず気品ある貴族の御曹司のように優雅に食事を楽しんでいた。

「もちろん。」

キューピッドが女性店員に軽くウインクを送ると、彼女は恥ずかしそうに微笑みながら頷き、足早に去っていった。

しばらくすると新しいケーキを運んできたうえ、こっそりと電話番号を書いた紙までキューピッドに渡していく。

口いっぱいにケーキを頬張っていた佐伯は、呆れたように首を振りながら白い目を向けた。

「俺は頼んでないぞ。向こうは俺がジジイだって知らないだけだ。」

キューピッドは苦笑しながら、その紙を丸めてそっと捨てた。

しばらくして二人とも食事を終え、席に座ってのんびりと休んでいた。

「それで……これからどうするんだ? もう滞在許可証は取れたんだろ?」

佐伯が尋ねると、キューピッドは紅茶を飲みながら首を傾げた。

「うーん……もう少しここにいるつもりかな。ここも俺の世界じゃないけど……お前が前に言ってたことを考えてさ。元の世界へ帰る方法が他にないか探してみようと思う。どうせ長生きしすぎて暇だからな。」

そう言って肩をすくめる。

「じゃあ、お前は?」

佐伯は周囲を見渡した。

ローマへ新婚旅行に来たらしいカップルたちがあちこちにいて、仕草の一つひとつから幸せが溢れている。

それを見てから、彼は再びキューピッドへ視線を戻した。

「俺は一度帰るよ……約束があるんだ。」

佐伯は深く息を吐いて言った。

「先輩が数日後に結婚するんだ。何があっても……一度は会っておきたい。」

「……ああ。」

空気が少し重くなる。

キューピッドも黙り込んだ。

しばらくして、周囲に誰もいないことを確認すると、手の中に魔法を集め始める。

すると、短い一本の矢が現れた。

矢と言っても先端はハート型で、武器というより可愛らしい飾り物に見える。

「それって、まさか……」

佐伯が驚いて尋ねると、キューピッドは静かに頷いた。

「これで彼女を射れば、彼女はお前を愛する。」

そして少し間を置いて続けた。

「自分を射れば、彼女への想いを忘れられる。」

「なんでそんなものを……俺は別に……」

「分かってる。」

キューピッドは穏やかに言った。

「ただ、お前が助けてくれたお礼だ。遠慮するな。もし……受け取りたいならな。」

そう言って矢をテーブルの上に置き、佐伯の方へ押し出した。

佐伯は矢を見つめたまま、長い間黙り込む。

目を閉じ、苦しそうに表情を歪める。

そしてゆっくりと目を開いた。

どこか肩の力が抜けたような、それでいて未練も残るような表情だった。

「……いや、いい。」

「本当に?」

「うん。」

佐伯は小さく頷いた。

「うまく説明できないけど……なんとなく、これは違う気がする。」

何かを思い出したように息を吐き出し、自分の腕を強く握る。

その様子から、決して百パーセント迷いがないわけではないことが伝わってきた。

「本当にいいんだな……?」

「気が変わる前に、早くしまってくれ。」

佐伯はわざと顔を背けた。

キューピッドは薄く微笑む。

そして矢を手に取ると、尾羽の一本を抜き取った。

軽く振ると、それは美しい羽根ペンへと姿を変える。

「なら、こっちを持っていけ。」

彼は羽根ペンを差し出した。

「伝えたいことをちゃんと書いて渡せ。女はこういうのに弱いんだよ。」

少し笑ってから肩をすくめる。

「少なくとも、俺の経験上はな。」

佐伯は慎重に羽根ペンを受け取り、しばらく眺めた。

「ありがとう、キューピッド。」

小さく頭を下げる。

キューピッドは佐伯の肩を軽く叩いた。

「よし、まずは観光だ! 夜は一杯奢ってやる!」

二人は席を立った。

翌日。

空港にやって来た佐伯は、荷物を手に飛行機へ乗る準備をしていた。

キューピッドは見送りのためにここまで来ている。

「俺をファーストクラスにアップグレードしてくれ! 俺が誰だか分かってるのか!? 佐伯拓海だぞ! ついこの前、世界を救ったんだ! 俺がいなかったら――」

しかし、なぜかチェックインカウンターで佐伯は客室乗務員と少し揉めていた。

キューピッドは隣で気まずそうにその様子を見守っていたが、時間だけがどんどん過ぎていく。

やがて彼はため息をつくと、その客室乗務員の前へ歩み寄った。

そして優しく、まるで恋人に語りかけるような眼差しを向ける。

「私の友人をファーストクラスにしていただけませんか? 美しいレディ。」

「えっ……は、はい……! もちろんです……えへへ……」

客室乗務員は頬を赤らめながら微笑み、あっという間に手続きを終わらせた。

「うわぁ……たぶん初めてだよ。お前の能力を最高だと思ったのは。ありがとな。」

すべての手続きを終えた二人は、別れの場所までやって来る。

「じゃあな……元気でな、兄弟。」

「おう。連絡はちゃんとしろよ。遠慮するな。」

キューピッドは少し笑う。

「もうすぐスマホの使い方も覚えられそうだからな。」

「ははっ。」

どこかぎこちなかった二人は顔を見合わせて笑った。

そしてハイタッチを交わし、握手をし、もう片方の手で互いの背中を軽く叩く。

まるで長年の親友のようだった。

最後に佐伯は軽く手を振り、

そのまま一人で搭乗ゲートへ向かって歩き出した。

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佐伯はこの日のために、わざわざ格好の良いきちんとしたスーツを着てきていた。

だが、目的地の入口までやって来ると、今度は足が止まってしまう。

なかなか中へ入る勇気が出ない。

何度も入口の前を行ったり来たりしながら、ネクタイの位置を直し、ジャケットの皺を整え、髪型を確認する。

そのたびに胸の奥で鼓動が大きくなる。

まるで心臓だけが勝手に暴走しているかのように、

時間が経つほど、その緊張は増していった。

「よう! 誰かと思ったら! 俺たちの大英雄・佐伯じゃないか! まさかお前も来るとはな! 久しぶり!」

突然名前を呼ばれ、佐伯は思わず肩を震わせた。

振り向くと、そこにいたのは昔の職場の同僚だった。

「ひ、久しぶり……」

佐伯は少し引きつったぎこちない笑顔を浮かべながら挨拶を返す。

「何を外で突っ立ってるんだよ! 一緒に入ろうぜ!」

元同僚は楽しそうに佐伯の腕を掴み、そのまま会場の中へ連れていった。

まだ挙式は始まっていない。

会場には和やかな空気が流れ、人々は自由に談笑していた。

花々で彩られた装飾、アーチ、風船、チョコレート、ピンク色の飾り付け。

そして会場中に流れ続けるロマンチックなラブソング。

どこを見ても幸せと愛情に満ち溢れていた。

「何か飲むか? チョコとかキャンディもあるぞ?」

「い、いや……大丈夫……ありがとう……」

元同僚は親切に勧めてくれたが、佐伯は少し迷った末に断った。

「それにしても本当に久しぶりだな! 元気だったか? ニュース見たぞ! この前ローマで神様を倒したんだって? すげぇじゃん!」

「まあ……うん……ありがとう……」

「先輩ともかなり久しぶりだろ? 昔、お前たち結構仲良かったじゃないか。」

同僚は懐かしそうに笑う。

「先輩もお前が来てくれて喜んでると思うぞ。俺たちもよく言ってたじゃん。あの人、お前のことほとんど弟みたいに可愛がってるよなって。」

「……そうなんだ。」

「先輩にはもう挨拶したのか? さっきウェディングドレス姿であちこち走り回ってたぞ。」

彼は笑いながら続ける。

「正直、今まで見た中で一番綺麗だったわ。」

「いや……まだ会ってない。」

「そうなのか。」

同僚は少し考えてから言った。

「そういえば、今の彼氏さんとは職場の外で知り合ったらしいな。仕事も安定してるし、人柄も良いらしいし。二人ともすごくお似合いだって聞いたぞ。」

そして何気なく続けようとした。

「まあ、今はもう彼氏じゃなくて旦――」

「お、俺……ちょっと他の人にも挨拶してくる!」

佐伯は慌てて話を遮った。

もちろん、その場にいる誰も知らない。

佐伯と先輩の間に、どんな想いがあったのかを。

佐伯は落ち着かない気持ちのまま、その場を離れる。

会場中の誰もが幸せそうに笑い、祝福に包まれている。

それなのに――

その空間の中で、自分だけがひどく場違いな存在のように感じられた。

周囲の光景は眩しすぎて、まともに見ていられなかった。

「ねえ、今日の雫さんすごく綺麗じゃない?」

「だよな。今回の結婚式、かなりお金かかってそうだし。」

「新婚旅行はどこ行くんだろ?」

「旦那さんが確か――」

周囲では楽しそうな会話が飛び交っている。

だが今の佐伯にとっては、そのどれもが妙に耳障りだった。

佐伯は人の少ない場所を見つけると、一人で腰を下ろした。

俯きながら額を軽く押さえ、疲れたようにため息をつく。

「はぁ……いっそ帰るか……。

ご祝儀も渡したし……あとでメッセージでも送れば――」

「やあ、佐伯。大丈夫?」

突然、聞き慣れた声がした。

「少し冷たいものでも飲んで休んだら?」

そう言って、誰かが目の前に飲み物を差し出す。

「……ああ、ありがとう。」

佐伯はそれを受け取りながら顔を上げた。

そして、その相手を見た瞬間――

「うわっ!? せ、先輩っ!?」

思わず勢いよく立ち上がる。

しかし慌てすぎたせいで、腰をテーブルの角にぶつけてしまった。

持っていた飲み物も少しこぼれる。

「っっ!! 痛っ!!」

あまりにも情けない失態に、自分でも思わず声が漏れる。

「だ、大丈夫!?」

先輩が慌てて身を乗り出した。

「だ、大丈夫です……」

佐伯は慌てて姿勢を整える。

乱れた服を直し、深呼吸を一つ。

そして改めて、目の前の女性と向き合った。

「ひ、久しぶりです……先輩。」

できるだけ平静を装おうとする。

だが、言葉をまとめるだけでも精一杯だった。

「うん。久しぶりだね、佐伯。」

先輩は昔と変わらない親しみやすい笑顔を浮かべていた。

丸い瞳がまっすぐ佐伯を見つめている。

だけど――

今日は少しだけ違って見えた。

「……わぁ。」

思わず声が漏れる。

皆が言っていた通りだった。

先輩は美しいウェディングドレスに身を包み、

まるで天から舞い降りた天使のようだった。

佐伯は昔から彼女を綺麗だと思っていた。

けれど――

今日の彼女は、その中でも間違いなく一番綺麗だった。

「き、今日は……その……

すごく綺麗です。

い、いや、今日だけじゃなくて! いつも綺麗なんですけど!

ただ今日は特にというか……」

言った瞬間、

佐伯は心の中で頭を抱えた。

(何言ってんだ俺……)

「ふふっ、ありがとう。」

先輩は気にした様子もなく微笑む。

そしてハンカチを取り出し、佐伯の服についた飲み物の染みを軽く拭いた。

「それで……来てくれたんだね。」

穏やかで優しい笑顔。

昔と何も変わらないその表情だった。

「うん……まあ、ちょうど最近少し暇だったし。」

佐伯は平静を装いながら苦笑した。

だが自分でも分かる。

全然平静になれていないことを。

「あれ!? 佐伯、その歯どうしたの!?」

さっき笑った時に見えたのだろう。

先輩は佐伯の欠けた歯に気付き、心配そうに顔を近づけた。

「だ、大丈夫ですよ……。

ちょっと厄介な相手と戦うことになって……

そのうち治療しますから。」

「えぇ……絶対痛かったでしょ……」

先輩は顔をしかめる。

「いや、まあ……

そこまで大げさなものでも……」

「でも、その相手はちゃんとボコボコにしたんでしょ?」

先輩が冗談っぽく笑う。

「ははっ、もちろん。

俺を誰だと思ってるんですか。

佐伯拓海ですよ?

地上最――」

「地上最強のプレイヤー、でしょ?」

先輩は楽しそうに言葉を引き継いだ。

「知ってる知ってる。」

そう言って昔みたいに拳で軽く佐伯の肩を小突く。

その何気ない仕草に、

佐伯は思わず目を奪われた。

先輩の左手。

薬指に光る、一つの指輪。

「……」

胸の奥が少しだけ痛む。

だが佐伯は何も言わなかった。

「最近は元気そうだね。」

先輩は自然な笑顔で尋ねる。

「これからはどうするの?」

佐伯は少し考えた。

そして肩をすくめる。

「まあ……

今まで通り仕事を頑張って、

友達をもう少し増やして、

それから……

機会があれば彼女でも作ろうかなって。」

「ふふっ。」

先輩は笑った。

「一人じゃなくて二人くらい作ってもいいんじゃない?」

「それは捕まりますよ。」

「じゃあ今日来てる独身の子、紹介しようか?」

「うーん……」

佐伯はわざと考えるふりをした後、

「それ、案外アリかもしれませんね。」

そう言って笑う。

「でしょ?」

先輩もつられて笑った。

ほんの短い時間だったが、

二人は昔に戻ったように自然に笑い合っていた。

「さてと、そろそろ始まる時間かな。」

先輩は会場の方を振り返った。

「せっかく来たんだから、楽しんで――」

その時だった。

佐伯のスマホが突然鳴り響く。

「ん?」

画面を確認した瞬間、

佐伯の表情が曇った。

「Oh shit……」

「どうしたの?」

先輩が心配そうに尋ねた。

「まさか、また何かあったの?」

佐伯は少し黙った後、

静かに頷く。

「……ごめん。

俺、もう行かなきゃ。」

「本当にごめん……」

先輩は一瞬だけ驚いた顔をしたが、

すぐに優しく微笑んだ。

「謝らなくていいよ。」

そして昔と変わらない口調で言う。

「そっちの方が、私よりずっと大事なんでしょ?」

「……」

「今日は来てくれて本当にありがとう。」

先輩は真っ直ぐ佐伯を見る。

「私たち、これからも友達だからね。

ちゃんと連絡してよ?」

佐伯は小さく頷いた。

「……うん。」

佐伯は返事をしたものの、

何を言えばいいのか分からなかった。

何をすればいいのかも分からなかった。

ただ、目の前の先輩を見つめる。

そして少しだけ距離を縮め、

恐る恐る両腕を少し広げた。

先輩は一瞬だけ目を丸くした後、

すぐに彼の意図を理解したようだった。

「ふふっ。」

優しく微笑みながら両腕を広げる。

二人は静かに抱き合った。

恋人同士ではない。

ただの友人としてのハグ。

そのはずだった。

だが――

佐伯にとっては短すぎて、

それでいて永遠のようにも感じられた。

数秒が過ぎる。

さらに数秒が過ぎる。

「えっと……佐伯?」

先輩が困ったように声をかけた。

「あっ……ご、ごめんなさい……」

ようやく我に返った佐伯は、

名残惜しそうに少しずつ腕を離す。

目の前にいる先輩。

もうすぐ誰かの妻になる人。

その事実が改めて胸に刺さった。

今の自分はきっと、

ひどく情けない顔をしている。

だから――

これ以上ここにいたら駄目だと思った。

「そ、そうだ。」

佐伯は慌ててポケットを探る。

「渡したいものがあって……」

取り出したのは一通の封筒だった。

少し迷いながらも、

彼はそれを先輩へ差し出す。

「ん?」

先輩は少し驚いたようだったが、

素直に受け取った。

「ありがとう。」

「大したものじゃないんです。

俺が帰った後に読んでください。」

「うん、分かった。」

先輩は優しく頷く。

「本当にありがとうね。」

「じゃあ……

俺、そろそろ行きます。」

それでも佐伯の足は少しだけ重かった。

先輩はそんな彼を見つめ、

これまで見たことがないくらい明るい笑顔を浮かべた。

「気を付けてね。」

そして、

まるで昔からずっとそうだったかのように言う。

「世界を救ってきてよ、ヒーロー。」

佐伯は少し目を見開いた後、

小さく笑った。

「……うん。」

「じゃあ、行ってきます。」

「うん。バイバイ。」

別れを告げた後、

佐伯は一人で背を向けて歩き出した。

会場の出口へ向かって。

最初はゆっくりだった。

まだ少しだけ、

そこを離れたくない自分がいたからだ。

だが時間は止まらない。

挙式の開始が近づくにつれ、

会場はますます賑やかになっていく。

笑い声。

祝福の言葉。

幸せそうな音楽。

その全てが背後から聞こえてくる。

佐伯は少し俯いた。

そして片手で顔を隠す。

そのまま歩く速度を少しずつ上げた。

もっと速く。

もっと速く。

今の顔を誰にも見られたくなかった。

ただ一刻も早く、

この場所から離れたかった。

途中、佐伯に気付いた何人かが声をかけてきた。

だが彼は振り返らない。

返事もしない。

皆が祝福へ向かう流れとは逆方向へ。

たった一人、

出口へ向かって歩き続けた。

会場を出て大通りへ出ると、

そこには修復を終えたばかりの最新型機体が待機していた。

佐伯はふらつきながらコックピットへよじ登る。

そして――

機体を起動することもせず、

そのまま大きなコンソールへ額を押し付けた。

コックピットの中は静寂に包まれていた。

時間がどれほど経ったのか分からない。

やがて佐伯はゆっくりと顔を上げる。

鼻をすすり、

気付けば一筋の涙が頬を伝っていた。

それでも彼は何も言わない。

ただ静かに前を向いた。

そして――

機体を起動する。

『Welcome, ソロプレイヤー』

機械音声が静かに響く。

佐伯はコントローラーを握り締めた。

その手はまだ少し震えていたが、

もう迷いはなかった。

ソロプレイヤーは機体を発進させる。

新たな目的地へ向かって。

前へ進むために。


一方その頃。

佐伯を見送った後、

先輩は手元の封筒を開いた。

中に入っていたのは、

一枚のカードだけだった。

「ん……?」

彼女は不思議そうにそれを手に取る。

そして書かれていた内容を読んで――

思わず小さく笑った。

そこには短い文章が記されていた。

カードの端には、

乾いた涙の跡のようなものがうっすら残っている。


先輩へ

今まで本当にありがとうございました。

どうか幸せになってください。



最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


気が付けば、また一つ作品を完結させることができました。


今は色々な気持ちが入り混じっていて、逆に何を話せばいいのかよく分からなくなっていますw


今回の作品にもたくさんの反省点がありました。


特にヴィランの描写については、全体的に少し平面的になってしまったなと感じています。

本当ならもっと丁寧に描けたはずなのに、自分の力不足でした。


申し訳ありません。


これからも頑張っていきたいと思います。


少し裏話をすると、実は当初はキューピッド自身をラスボスにする予定でした。


愛を信じる一人の凡人と、愛を信じなくなった愛の神。


そんな対立構造にしたかったんです。


ただ、途中でどうしても問題がありました。


佐伯はあくまで普通の人間です。


そんな彼がキューピッドの精神操作能力にどう対抗するのか、最後まで上手く答えを見つけられませんでした。


その結果、現在のような「二人で旅をする物語」という形に落ち着きました。


個人的には、最後の結婚式のシーンはそれなりに上手く書けたのではないかと思っています。


皆さんはどう感じましたか?


少しでも心に残るものがあったなら嬉しいです。


ちなみに、実際に好きだった人の結婚式に出席した経験はありませんw

あのシーンは、これまでの自分の失恋や上手くいかなかった恋愛の経験をもとに描きました。


でも正直なところ――


王子様が最後にお姫様と結ばれるような大団円よりも、


この結末の方が佐伯には似合っている気がしたんです。


佐伯。


こんなに辛い目に遭わせてしまってごめん。


でも、作者として本当に大好きなキャラクターでしたw

もちろん、みんなハッピーエンドは好きだと思います。


でも、ここまで私の作品を読んでくださっている方なら、


私がそういうタイプの作者ではないことも、きっとご存じですよねw

さて、次回作についてですが――


実はまだ何も決まっていません。


本当に何もありませんw

まあ、その辺はご縁とタイミングに任せようと思います。


そういえば、私が初めて「小説家になろう」に投稿してから、気付けば一年が経ちました。


そして今回で三作品目の完結になります。


本当にありがとうございます。


もしかして、一作目からずっと読んでくださっている方もいるのでしょうか?


もしそうなら、改めて心から感謝を伝えたいです。


本当にありがとうございます。


気付けば少し話しすぎてしまいましたね。


改めて――


佐伯とキューピッドの旅に最後まで付き合ってくださり、本当にありがとうございました。


それでは、いつものように。


こちらは Noah Nova でした。


皆さんが素敵な一日を過ごせますように。


そしてまた、どこかの物語でお会いしましょう。

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