第八十八話「翌朝と、新しい段取り」
翌朝。
食堂に下りた。
アーヴィンさんが先にいた。
いつもと同じだった。
でも、違った。
背筋が、少し違った。
前を向いていた。
重さを背負っているようには見えなかった。
マルティナさんがパンを出した。
「食え」
「ありがとうございます」
座った。
食べた。
アーヴィンさんが俺を見た。
「ヒコ」
「はい」
「食い終わったら、セリウスのところへ行く。一緒に来るか」
「Bランクのことですか」
「ああ」
俺は少し間を置いた。
「行きます」
「そうか」
二人で食べた。
マルティナさんが出てきた。
アーヴィンさんを見た。
「今日は、いい顔だな」
「そうか」
「昨日よりいい」
「昨日もいい顔だったか」
「まあまあだった」
アーヴィンさんが少し目を細めた。
「今日はまあまあより上か」
「そうだ」
マルティナさんが厨房に戻った。
アーヴィンさんが少し前を向いた。
口の端が上がっていた。
食事が終わった。
二人でギルドへ向かった。
道中、アーヴィンさんが言った。
「昨日、考えていた」
「何をですか」
「Bランクを拒否していた理由だ」
「聞きます」
「ランクが上がると、依頼の範囲が広がる。遠くまで行くことになる。そうなると、鞘の近くを離れることになると思っていた」
「鞘を守るために、近くにいたということですか」
「……そうかもしれない。自分でも、はっきりわかっていなかった」
アーヴィンさんが少し前を向いた。
「でも、昨日鞘を取った。もう、近くにいる必要はない」
「そうですね」
「だから、動ける」
「Bランクに、ですか」
「ああ」
俺は少し考えた。
「もう一つあります」
「なんだ」
「Bランクになると、固定給が上がります。金貨五枚になります」
「そうか」
「パーティの依頼の幅も広がります。より難しい依頼を受けられる」
「そちらはあまり考えていなかった」
「でも、大事なことです」
「そうだな」
アーヴィンさんが少し俺を見た。
「段取りを組んであるか」
「昨夜から考えていました」
「さすがだな」
「現場仕込みなので」
アーヴィンさんが少し笑った。
短かった。
でも、確かに笑った。
ギルドに着いた。
セリウスさんの執務室を訪ねた。
扉を叩いた。
「どうぞ」
入った。
セリウスさんが書類から顔を上げた。
二人を見た。
「来てくれましたね。座ってください」
座った。
アーヴィンさんが口を開いた。
「Bランクへの昇格を、申し出たい」
セリウスさんが少し間を置いた。
「そうですか」
「ずっと断っていた。申し訳なかった」
「気にしないでください」
「気にする」
アーヴィンさんが静かに言った。
「断り続けていた理由は、俺の問題だった。ギルドに迷惑をかけた」
「迷惑とは思っていません」
「そう言ってくれるのはわかっている。でも、俺はそう思っている」
セリウスさんが少し前を向いた。
「わかりました。受け取ります」
「頼む」
「昇格の手続きは、実力審査が必要です。ただ、アーヴィンさんの実力は十分に把握しています。形式的なものになります」
「いつでもいい」
「では、三日後はどうですか。準備が整い次第」
「構わない」
セリウスさんが俺を見た。
「ヒコさんも立ち会いますか」
「はい。パーティリーダーとして」
「わかりました」
セリウスさんがアーヴィンさんを見た。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「昨日、鞘を取りに行って、どうでしたか」
アーヴィンさんが少し間を置いた。
「剣が、静かになった」
「そうですか」
「五年間、ずっと何かが漏れている感じがした。昨日、初めて収まった」
「よかったです」
「レインのことは、まだ終わっていない」
セリウスさんが静かに聞いた。
「でも、一歩は動いた」
「そうですね」
「それで十分だ。今は」
セリウスさんが頷いた。
「十分です」
執務室を出た。
廊下を歩いた。
アーヴィンさんが言った。
「終わった」
「そうですね」
「あっさりしていたな」
「セリウスさんは、ずっと待っていましたから」
「そうか」
アーヴィンさんが少し前を向いた。
「三日後か」
「はい。それまでに、全員に伝えましょう」
「頼む」
「わかりました」
掲示板の前に戻った。
全員が待っていた。
マユミが俺を見た。
「どうだった」
「アーヴィンさんがBランクへの昇格を申し出ました。三日後に手続きです」
全員が静かになった。
マユミが一番に口を開いた。
「そうか」
短かった。
でも、色が鮮やかだった。
オレンジに近い赤が、明るく揺れていた。
嬉しい色だった。
「おめでとう」
マユミがアーヴィンさんに言った。
「まだ昇格していない」
「先に言っておく」
「そうか」
コリンが言った。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
リアが言った。
「合理的な判断です。Bランクになれば、パーティの依頼の幅が広がります」
「そうだな」
「期待しています」
アーヴィンさんが少し目を細めた。
「リアに期待されると、やらなければならない気がする」
「そのつもりで言いました」
マユミが笑った。
コリンも笑った。
アーヴィンさんが少し前を向いた。
口の端が上がった。
その日の依頼は採取だった。
近場の森だった。
五人で向かった。
道中、いつもより軽かった。
全員が、少し軽かった。
アーヴィンさんが、全員と並んで歩いた。
後方ではなかった。
中にいた。
リアが索敵を展開した。
「反応、なし。安全です」
「わかりました。採取を始めましょう」
採取が始まった。
コリンが丁寧に掘り出した。
リアが周囲を監視した。
マユミが荷を持った。
アーヴィンさんが外周を確認した。
俺は全体を見た。
いつもと同じ動きだった。
でも、何かが違った。
全員の色が、今日は明るかった。
それぞれの色が、それぞれに鮮やかだった。
マユミのオレンジに近い赤。
リアの澄んだ青。
コリンの落ち着いた緑。
アーヴィンさんの深い青。
全部が、今日は重なって見えた。
羅針盤が、静かに揺れていた。
反応していた。
でも、何かを指しているわけではなかった。
全員を、感じている反応だった。
こういう反応は、初めてだった。
スキルが、また少し変わっている。
セリウスさんに報告する必要があった。
でも、今日はまずこの現場だ。
全員が動いている。
俺も動く。
それだけだ。
採取が終わった。
ギルドに戻った。
報酬を受け取った。
銀貨五枚。
一人あたり銀貨一枚。
マユミが受け取りながら言った。
「今日は早く終わったな」
「段取りを組んでいたので」
「また段取りか」
「いつも段取りです」
マユミが少し笑った。
「まあ、おかげで余裕がある。悪くない」
「そうですね」
アーヴィンさんが銀貨を受け取った。
「ヒコ」
「はい」
「三日後、よろしく頼む」
「段取りは組んであります」
「そうか」
アーヴィンさんが少し前を向いた。
「……楽しみだ」
俺は少し驚いた。
アーヴィンさんが楽しみと言った。
初めて聞いた言葉だった。
「俺もです」
「そうか」
並んで、宿へ向かった。
今日も、段取りは合っていた。
次の段取りが、すでに見えていた。
三日後。
アーヴィンさんのBランク昇格。
パーティ全体の、大きな節目だった。
第八十八話「翌朝と、新しい段取り」 了




