第八十五話「北東へ、五年後の道」
翌朝。
全員が早く起きた。
マルティナさんが早い飯を出した。
「食え」
「はい」
全員が食べた。
静かだった。
マルティナさんが全員を見た。
何も言わなかった。
でも、いつもより少し多く盛ってあった。
それだけで十分だった。
ギルドの前に出た。
セリウスさんが待っていた。
冒険者の装備ではなかった。
でも、動きやすい格好だった。
剣を持っていた。
「来てくれましたね」
「お待たせしました」
「いいえ。では、行きましょう」
六人で、北東へ向かった。
朝の街は静かだった。
道を歩いた。
六人の足音が、静かに続いた。
アーヴィンさんが先頭を歩いた。
自然にそうなった。
誰も何も言わなかった。
アーヴィンさんが道を知っている。
それだけのことだった。
でも、それ以上の意味があった。
五年間、向き合えなかった道を、今日は先頭で歩いている。
俺はその背中を見ながら歩いた。
羅針盤が、静かに反応していた。
北東だった。
方向は変わらなかった。
街を出た。
道が続いた。
木が増えた。
草が多くなった。
鳥の声がした。
セリウスさんが俺の横に来た。
「スキルの反応はどうですか」
「安定しています。北東の方向に、何かがあります」
「重さはありますか」
「少し。でも、昨夜より落ち着いています」
「そうですか」
セリウスさんが少し前を向いた。
「五年前、私もこの方向へ歩きました」
「一緒に行ったんですか」
「後を追いました。間に合わなかった」
静かな声だった。
「今日は、間に合います」
「そうですね」
セリウスさんが少し目を細めた。
「ありがとうございます。あなたがいなければ、アーヴィンさんはまだ一人だったかもしれません」
「俺は段取りを組んだだけです」
「その段取りが、五年間止まっていたものを動かしました」
俺は少し間を置いた。
「動かしたのはアーヴィンさんです。俺は道を整えただけです」
セリウスさんが少し笑った。
「現場仕込みですね」
「そうです」
並んで歩いた。
二時間ほど歩いた。
《霧裂きの穴》の入り口が見えてきた。
全員が少し止まった。
見覚えがあった。
以前、全五層を制覇した場所だった。
でも、今日は中には入らない。
アーヴィンさんが入り口を見た。
少し、足が止まった。
色を確認した。
青白いぼやけ。
重さがあった。
でも、崩れていなかった。
「大丈夫ですか」
俺が聞いた。
「大丈夫だ」
アーヴィンさんが前を向いた。
「入り口から少し東だ。ついてきてくれ」
歩き始めた。
《霧裂きの穴》の入り口から外れた。
東へ進んだ。
岩場だった。
大きな岩が並んでいた。
草が少なかった。
アーヴィンさんが慎重に歩いた。
五年前の記憶を辿っているように見えた。
俺は羅針盤を確認した。
針が、少し揺れた。
近づいている。
「近いです」
「ああ」
アーヴィンさんが立ち止まった。
大きな岩の前だった。
岩に、小さな傷がついていた。
人の手でつけた傷だった。
アーヴィンさんがその傷を見た。
少し、手を伸ばした。
触れた。
「……ここだ」
静かな声だった。
全員が黙って見ていた。
アーヴィンさんが岩の前にしゃがんだ。
岩の下を確認した。
「退かせる」
「手伝います」
マユミが来た。
「俺も」
コリンも来た。
「俺も」
三人で岩を動かした。
重かった。
でも、動いた。
岩の下に、何かがあった。
布に包まれていた。
古い布だった。
五年間、ここにあったものだった。
アーヴィンさんが手を伸ばした。
受け取った。
両手で持った。
重さを確認するように、少し持ち直した。
布を少し開いた。
鞘だった。
古かった。
でも、錆びていなかった。
刃に合わせた形をしていた。
文字が刻まれていた。
剣と同じ文字だった。
アーヴィンさんが鞘を持ったまま、しばらく動かなかった。
全員が静かに待った。
セリウスさんが一歩前に出た。
アーヴィンさんの横に立った。
何も言わなかった。
ただ、横にいた。
アーヴィンさんが顔を少し上げた。
「……五年かかった」
「そうですね」
「長かった」
「長かったですね」
セリウスさんが静かに言った。
「でも、今日来られました」
アーヴィンさんが少し目を伏せた。
「レインがいたら、怒ったかもしれない」
「何と言うと思いますか」
「遅い、と言う。それだけだ」
セリウスさんが少し笑った。
「そうかもしれませんね」
「でも、怒った後で、よかったとも言う。そういうやつだった」
「そうですね」
アーヴィンさんが鞘を持ち直した。
「取ってきた。これで、少しは返せるか」
「返せると思います」
「そうか」
アーヴィンさんが剣を取り出した。
《沈黙の長剣》だった。
刃に光がなかった。
でも、静寂を纏っていた。
鞘を、剣に合わせた。
ゆっくりと、納めた。
音がした。
静かな音だった。
でも、確かに聞こえた。
収まった、という音だった。
変化があった。
俺はその場で感じた。
アーヴィンさんの色が、変わった。
青白いぼやけが、薄れていった。
ゆっくりと、でも確実に。
完全に消えたわけではなかった。
でも、今まで見えなかった色が、少し見えた。
深い青だった。
静かで、強い色だった。
剣が完全になった。
鞘があれば、漏れ出ていた力が収まる。
五年間、制御できなかったものが、今日初めて収まった。
羅針盤が、静かに揺れた。
反応していた。
でも、引っ張られる感覚ではなかった。
落ち着いた、という感覚だった。
収まった。
マユミが静かに言った。
「アーヴィン」
「なんだ」
「顔が違う」
「そうか」
「いい顔だ」
アーヴィンさんが少し前を向いた。
「そうか」
それだけだった。
でも、口の端が少し上がった。
初めて見る表情だった。
笑っている、とは言えなかった。
でも、笑いに近かった。
コリンが全員を確認した。
「怪我はありませんか」
「ありません」
「問題はありません」
「俺もない」
「ありません」
「そうですね」
コリンがアーヴィンさんを見た。
「アーヴィンさんは」
「ない」
「よかったです」
コリンが少し目を赤くした。
でも、何も言わなかった。
リアがコリンの横に立った。
何も言わなかった。
ただ、横にいた。
セリウスさんが全員を見た。
「戻りましょう」
「はい」
「マルティナさんが飯を取っておいてくれています」
マユミが少し笑った。
「そうだな。帰るか」
全員が歩き始めた。
アーヴィンさんが最後に歩き始めた。
振り返った。
岩場を、一度だけ見た。
何も言わなかった。
前を向いた。
歩き始めた。
その背中が、少し違った。
まだ重さはあった。
でも、ぼやけていなかった。
はっきりとした背中だった。
俺は羅針盤を確認した。
針は、静かだった。
北東を向いていなかった。
落ち着いていた。
役目を終えた、という感覚だった。
でも、次がある。
段取りは、続く。
一歩ずつ、進む。
第八十五話「北東へ、五年後の道」 了




