第八十四話「三日前と、それぞれの準備」
三日間、普通に動いた。
採取と護衛の依頼をこなした。
飯を食べた。
夜は宿に帰った。
でも、何かが違った。
全員が、少し静かだった。
いつもと同じ動きをしていた。
でも、どこかに意識が向いていた。
三日後のことを、全員が考えていた。
一日目の夜。
部屋で羅針盤を確認した。
針が、北東を向いていた。
久しぶりだった。
でも、今夜は違う感覚だった。
引っ張られているのではなかった。
呼ばれている、という感覚だった。
俺は針をしばらく見ていた。
段取りは組んである。
三日後、動く。
羅針盤を仕舞った。
二日目の朝。
ギルドへ向かう道中、マユミが俺の横に来た。
「なあ」
「なんですか」
「三日後、危ないのか」
「わかりません。鞘を取りに行くだけです。ただ、《霧裂きの穴》の近くです。何があるかはわかりません」
「そうか」
マユミが少し前を向いた。
「アーヴィンは大丈夫か」
「大丈夫だと思います。覚悟は固まっています」
「覚悟が固まった人間が大丈夫とは限らない」
俺は少し考えた。
「そうですね」
「感情が追いついていないこともある」
「マユミさん、鋭いですね」
「経験だ」
マユミが少し間を置いた。
「父親のことを思い出した。覚悟を決めたときと、感情が追いついたときは別だった」
静かな声だった。
俺は何も聞かなかった。
マユミが前を向いた。
「アーヴィンの横に、ちゃんといてやれ」
「はい」
「お前じゃないとだめな場面がある」
「そうですね」
「段取りだけじゃなくて、人として」
俺は少し間を置いた。
「わかっています」
マユミが頷いた。
「ならいい」
前を向いた。
オレンジに近い赤の色が、穏やかだった。
信頼と、少しの心配が混ざっていた。
二日目の夕方。
コリンが俺に声をかけた。
「ヒコさん、少し時間がありますか」
「あります」
宿の廊下だった。
「三日後のことで、確認がしたいんですが」
「どうぞ」
「アーヴィンさんの状態について、俺が気をつけることはありますか」
「どういう意味ですか」
「精神的な負荷が高い場面では、体に影響が出ることがあります。回復職として、事前に知っておきたいことがあれば教えてください」
俺は少し考えた。
「アーヴィンさんが消耗しているときは、色でわかります。そのときは伝えます」
「スキルで確認できるんですね」
「はい。ただ、アーヴィンさん自身は自分の状態を口にしません。外から見て判断する必要があります」
「わかりました」
「コリンさんが気にしてくれているなら、助かります」
コリンが少し頷いた。
「師匠に言われていました。大事な場面ほど、体より先に心が折れることがある。そのときに回復職がいる意味がある、と」
「いい言葉ですね」
「そうですね」
コリンが少し笑った。
「俺にできることをします」
「頼みます」
コリンが部屋に戻った。
落ち着いた緑の色が、今日は少し明るかった。
準備している色だった。
三日目の朝。
出発の前日だった。
食堂に全員が揃った。
マルティナさんがいつもより少し多い飯を出した。
マユミが言った。
「多いな」
「文句あるか」
「ない。嬉しい」
「食え」
全員が食べた。
マルティナさんが全員を見た。
「何かあるな」
また言った。
「明日、少し大事な用があります」
「そうか」
「はい」
「危ないのか」
俺は少し考えた。
「わかりません。でも、段取りは組んであります」
「そうか」
マルティナさんが少し間を置いた。
「ならしっかり食え。大事な用の前は、腹を満たしておけ」
「はい」
「帰ってきたら飯がある」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。食え」
全員が食べた。
アーヴィンさんが、今日はいつもより多く食べていた。
俺はその色を確認した。
青白いぼやけ。
でも、今日は少し違った。
緊張と、覚悟と、少しの温かみが混ざっていた。
複雑な色だった。
でも、崩れてはいなかった。
立てている色だった。
午前中、ガデルの工房を訪ねた。
俺一人だった。
扉を叩いた。
「なんだ」
「少し、相談があります」
「入れ」
中に入った。
包みを出した。
「火山地帯で見つけました。素材の確認をしてもらえますか」
ガデルが受け取った。
布を少し開いた。
赤い光が漏れた。
ガデルが少し止まった。
「……なんだこれは」
「わかりますか」
「鉱石じゃない」
ガデルが包みを持ち直した。
「意思がある」
「そう感じますか」
「職人の勘だ。素材に触れると、わかることがある」
ガデルが俺を見た。
「お前は何か感じたか」
「声が聞こえました。二つ」
「声」
「荒々しい声と、静かな声でした」
ガデルが少し考えた。
「精霊だな」
「そう思っています」
「扱いが難しい素材だ。普通に打てるものじゃない」
「打てますか」
ガデルが少し間を置いた。
「打てないとは言わない。ただ、時間がかかる。素材と向き合う時間が要る」
「どのくらいですか」
「わからない。素材次第だ。急かすな」
「急ぎません」
ガデルが包みを返した。
「今すぐは無理だ。俺の方でも調べる。少し待て」
「わかりました」
「誰が使う武器だ」
「マユミさんです」
「あの前衛か」
「はい」
「本人を連れてこい。素材が準備できたとき、改めて話を聞く」
「わかりました」
「それだけだ」
工房を出た。
午後、セリウスさんのところへ最終確認に行った。
「明日の段取りを確認させてください」
「どうぞ」
「朝、全員でギルドに集合。セリウスさんも一緒に出発。《霧裂きの穴》の近くの岩場まで半日。目印を確認して、鞘を取り出す。その日のうちに戻る」
「問題ありません」
「何かあれば、その場で判断します」
「アーヴィンさんの状態はどうですか」
「覚悟の色です。崩れていません」
「そうですか」
セリウスさんが少し前を向いた。
「私も、準備してきました」
「どんな準備ですか」
「五年間、考えていたことを整理しました。アーヴィンさんに伝えるべき言葉を」
「そうですか」
「あなたに話すことではないかもしれませんが」
「聞きません。でも、セリウスさんが準備してくれているなら、安心です」
セリウスさんが少し笑った。
「あなたに安心させてもらうとは思いませんでした」
「段取りを組んでいるだけです」
「その段取りが、人を動かすんですよ」
俺は少し考えた。
「そうかもしれません」
「明日、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
執務室を出た。
夜。
宿の食堂で夕食を取った。
全員が揃っていた。
静かだった。
でも、悪い静けさではなかった。
それぞれが、それぞれの準備をしていた。
マユミが短剣を少し持ち直した。
リアが水を飲んだ。
コリンが道具袋を確認した。
アーヴィンさんが剣に手を触れた。
俺は羅針盤を外套の内側で確認した。
針は、北東を向いていた。
明日、動く。
段取りは組んである。
マルティナさんが出てきた。
全員を見た。
「明日か」
「はい」
「そうか」
マルティナさんが少し間を置いた。
「気をつけろ」
「はい」
「帰ってきたら飯がある」
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
マルティナさんが厨房に戻った。
全員が黙っていた。
アーヴィンさんが静かに言った。
「明日、頼む」
全員に向けた言葉だった。
マユミが言った。
「任せろ」
リアが言った。
「問題はありません」
コリンが言った。
「ついていきます」
俺は言った。
「段取りは組んであります」
アーヴィンさんが少し頷いた。
色を確認した。
青白いぼやけ。
でも、今夜は温かみが混ざっていた。
消えなかった。
五年間、一人だった色が、今夜は違った。
それだけで十分だった。
明日、動く。
第八十四話「三日前と、それぞれの準備」 了




