第七十五話「近場の依頼と、それぞれの時間」
数日が過ぎた。
近場の依頼を続けた。
採取、護衛、討伐。
街から遠く離れない範囲で動いた。
物足りなさはあった。
でも、今はそれでいい。
段取りには、待つ時間が必要なことがある。
ある朝。
食堂に下りると、マユミが一人だった。
珍しかった。
いつもより早い。
「早いですね」
「眠れなかった」
また、だった。
俺は何も言わずに座った。
マルティナさんがパンを出した。
「食え」
「ありがとうございます」
しばらく、二人で食べた。
マユミが不意に言った。
「なあ」
「なんですか」
「最近、なんか張り合いがないな」
「近場の依頼が続いているからですか」
「そうかもしれない。あと」
マユミが少し間を置いた。
「なんか、落ち着いてきた。それが逆に変な感じがする」
「落ち着いてきた、ですか」
「前は、毎日必死だった。借金があって、ランクが低くて、先が見えなかった。今は、全部ある程度見えてる」
「それは悪いことではありません」
「わかってる。でも、なんか」
マユミが短剣を少し見た。
「もっと速くなれる気がする。でも、どこで試せばいいかわからない」
俺は少し考えた。
「限界を試したいということですか」
「そう言うと大げさだけど、まあ、そうかもしれない」
「今は状況的に遠出ができません。でも、状況が落ち着いたら、難しい依頼を選びましょう」
「いつ落ち着く」
「わかりません。でも、急がずに待ちます」
マユミが少し俺を見た。
「お前はよく待てるな」
「待つのも段取りです」
「段取りに待つが入るのか」
「一番大事な段取りかもしれません」
マユミが少し笑った。
「変なやつだな、やっぱり」
「よく言われます」
マユミが前を向いた。
オレンジに近い赤の色が、穏やかだった。
焦りと、落ち着きが混ざっていた。
悪くない色だった。
その日の依頼は採取だった。
街の東、いつもの森だった。
五人で向かった。
道中、リアとコリンが並んで歩いていた。
何か話していた。
小声だった。
聞こえなかった。
俺は前を向いた。
マユミが俺の横に来た。
「あの二人、最近よく話してるな」
「そうですね」
「なんか変わったか」
「どういう意味ですか」
「なんか、距離が近くなった気がする」
俺は少し考えた。
「師匠の繋がりがきっかけだったと思います。共通点があると、話しやすくなります」
「そうか」
マユミが少し考えた。
「俺とお前も、そうか」
「どういう意味ですか」
「共通点があったから、話しやすかったのかな、と」
「俺たちの共通点は何ですか」
マユミが少し考えた。
「段取りとか、現場とか、そういう話をするお前が変じゃないと思った。他の冒険者と違う感じがした」
「それが共通点ですか」
「うまく言えないけど、まあ、そんな感じだ」
マユミが少し顔を逸らした。
俺は何も言わなかった。
悪くなかった。
採取が終わった。
帰り道。
コリンが俺の横に来た。
「ヒコさん」
「なんですか」
「少し聞いてもいいですか」
「どうぞ」
コリンが少し声を落とした。
「リアさんのことです」
俺は少し前を向いたまま聞いた。
「なんですか」
「最近、よく話すようになりました」
「そうですね」
「師匠の話をしたのがきっかけで。リアさんの師匠と、俺の師匠が知り合いだったこともあって」
「共通点がありましたね」
「はい。それで、いろいろ話すようになって」
コリンが少し間を置いた。
「リアさんって、話すと面白い人ですね」
「そうですか」
「効率とか合理性とか、そういう言葉をよく使うけど、本当は人のことをよく見ています。俺が気づかないことを、さらっと言う」
「そうですね」
「ヒコさんは、前から知っていましたか」
「なんとなく、そういう人だと思っていました」
コリンが少し笑った。
「俺は気づくのが遅かったです」
「気づいたならいいじゃないですか」
「そうですね」
コリンが少し前を向いた。
「……報告というか、そういうわけじゃないですが。なんか、言いたくなりました」
「聞きました」
「ありがとうございます」
コリンが少し頭を下げた。
落ち着いた緑の色が、少し明るかった。
俺は何も言わなかった。
余計なことは言わない。
それだけでいい。
宿に戻った。
夕食まで少し時間があった。
部屋で羅針盤を確認した。
針は落ち着いていた。
北東を向いていなかった。
今日も、静かだった。
俺は窓の外を見た。
夕方の空だった。
橙色だった。
それぞれが、それぞれの時間を過ごしていた。
マユミは限界を試したがっている。
コリンはリアのことを話したかった。
リアは索敵の精度をまだ上げようとしている。
アーヴィンさんは、待っている。
俺は、全員が動ける段取りを組んでいる。
今はまだ、近場で動く時間だ。
でも、この時間は無駄じゃない。
積み上がっている。
見えないところで、確実に。
夕食が始まった。
全員が揃った。
マルティナさんがシチューを出した。
「今日は肉が多いですね」
コリンが言った。
「文句あるか」
「ありません。嬉しいです」
「食え」
全員が食べた。
リアがコリンの横に座っていた。
自然にそうなっていた。
マユミが俺の横に座っていた。
これも、自然にそうなっていた。
アーヴィンさんが端で黙って食べていた。
色を確認した。
青白いぼやけ。
今夜は、少し薄かった。
待つことを、受け止めている色だった。
マユミが小声で俺に言った。
「なあ」
「なんですか」
「今夜、星がきれいだぞ」
窓の外を見た。
確かに、星が出ていた。
「そうですね」
「飯の後、少し外に出るか」
俺は少し考えた。
「いいですね」
「じゃあ、行くぞ」
マユミが飯を食べ続けた。
俺も食べた。
マルティナさんが厨房から出てきた。
全員を見た。
「いい顔をしている」
誰も何も言わなかった。
「それでいい」
マルティナさんが戻った。
コリンが小さく笑った。
リアが少し目を細めた。
アーヴィンさんが黙って食べた。
マユミが俺を見た。
「早く食え」
「食べています」
「遅い」
「マユミさんの方が速すぎます」
「それが俺の取り柄だ」
「緋閃ですからね」
マユミが少し止まった。
「……そういうこと言うな」
「なぜですか」
「照れるだろ」
「そうですか」
「そうだ」
マユミが飯を食べ続けた。
俺も食べた。
笑わなかった。
でも、笑いたかった。
食後。
二人で外に出た。
星が多かった。
風が少しあった。
マユミが空を見上げた。
「きれいだな」
「そうですね」
しばらく、二人で空を見ていた。
マユミが言った。
「お前、前の世界でも星を見てたか」
「見ていました。現場の帰りに、よく空を見ていました」
「どんな空だった」
「同じです。星があって、暗くて、広かった」
「同じか」
「空は変わらないのかもしれません」
マユミが少し俺を見た。
「変わらないものって、いいな」
「そうですね」
「なんか、安心する」
俺は少し間を置いた。
「マユミさんも、変わらないものですよ」
「俺が?」
「速くなっても、強くなっても、マユミさんはマユミさんのままです」
マユミが少し黙った。
しばらく、何も言わなかった。
不意に、マユミの手が俺の手に触れた。
握った。
強くはなかった。
でも、確かだった。
俺は何も言わなかった。
握り返した。
空に、星が多かった。
風が少し吹いた。
それだけだった。
それで十分だった。
第七十五話「近場の依頼と、それぞれの時間」 了




