第七十二話「積み重ねと、緋閃の噂」
数日が過ぎた。
依頼をこなしながら、日常が続いた。
採取、護衛、討伐。
五人の動きが、さらに噛み合ってきていた。
ある朝。
ギルドの掲示板の前で、依頼票を確認していた。
後ろから、声が聞こえた。
「なあ、緋閃って知ってるか」
男の声だった。
振り返らなかった。
「知ってる。最近よく聞く名前だ。Cランクの前衛らしい」
「速いんだろ。グレイウルフの群れを単独で片付けたって話だ」
「単独じゃないだろ。パーティで動いてたはずだ」
「でも、一番動いてたのはその子らしい」
俺は掲示板を見たまま、聞いていた。
マユミは今日はまだ来ていなかった。
よかった、と思った。
「どのパーティだ」
「五人組。Cランクで揃えてる。最近よく依頼をこなしてるやつらだ」
「強いのか」
「無傷で終わらせることが多いらしい。受付が言ってた」
俺は少し驚いた。
受付まで話が広がっていたとは思っていなかった。
「緋閃って、女か」
「そうらしい。短剣使い。速さが売りだって」
「会ってみたいな」
「ギルドにいるんじゃないか。毎朝来てるって話だ」
俺は静かに掲示板から離れた。
依頼票を一枚持って、受付へ向かった。
受付の前に、コリンがいた。
「おはようございます」
「おはようございます。先に来ていたんですね」
「はい。リアさんに頼まれた素材の確認があって」
「そうですか」
コリンが少し声を落とした。
「さっき、緋閃の話をしている人たちがいましたね」
「聞こえていましたか」
「少し。マユミさん、知ったらどうなるでしょう」
俺は少し考えた。
「照れます」
「そうですね」
「否定はしないと思います」
「悪くない、と言いそうですね」
「そうですね」
コリンが少し笑った。
「楽しみです」
「内緒にしておきましょう。本人が気づくまで」
「わかりました」
マユミが来たのは、それから少ししてからだった。
アーヴィンさんと一緒だった。
「遅かったか」
「問題ありません」
「アーヴィンと話してたら遅くなった」
アーヴィンさんが何も言わなかった。
俺はアーヴィンさんの色を確認した。
青白いぼやけ。
でも、今日は少し薄かった。
マユミと話すと、色が少し落ち着く。
依然として続いていた。
「今日の依頼を確認しましょう」
掲示板に向かった。
マユミが並んで立った。
さっきの冒険者たちは、もういなかった。
その日の夕方。
ギルドで依頼を終えて報告していると、受付の女性がマユミを見た。
「あの、少し確認させてください」
「なんだ」
「緋閃と呼ばれているのは、マユミさんですか」
マユミが少し止まった。
「……なんでそれを」
「ギルド内で、そういう話が広まっていまして」
マユミが俺を見た。
俺は何も言わなかった。
「……悪くない」
マユミが前を向いた。
「俺の名前はマユミだ。緋閃は、まあ、そう呼びたいなら止めない」
「ありがとうございます。記録に残してもよいですか」
「好きにしろ」
受付が少し微笑んだ。
「実績を見ていると、納得の二つ名です」
マユミが少し顔を逸らした。
オレンジに近い赤の色が、明るく揺れた。
外に出た。
五人で並んだ。
リアが言った。
「正式に広まりましたね」
「そうですね」
「二つ名は実力の証明です。合理的な評価だと思います」
「リアさんに言われると、重みがありますね」
「事実を言っています」
コリンが言った。
「おめでとうございます、マユミさん」
「別にめでたくはない」
「そうですか」
「ただ、まあ」
マユミが少し間を置いた。
「悪くない」
コリンが笑った。
アーヴィンさんが一言。
「似合っている」
全員が少し驚いた。
マユミが固まった。
アーヴィンさんはすでに歩き始めていた。
「帰るぞ」
マユミが俺を見た。
顔が少し赤かった。
「……なんだよ」
「何もないです」
「見るな」
「見ていません」
「嘘つけ」
マユミが歩き始めた。
俺も歩いた。
マユミの色が、今日一番明るかった。
宿に戻った。
夕食の前、俺は部屋で羅針盤を確認した。
針は、落ち着いていた。
北東は向いていなかった。
でも、いつかまた動く。
そのときのために、段取りを考えていた。
アーヴィンさんが鞘を取りに行く覚悟を決めたとき。
どう動くか。
誰が一緒に行くか。
何を準備するか。
まだ決まっていない。
でも、考えておく。
現場は、準備したものしか活きない。
夕食が始まった。
全員が揃った。
マルティナさんがいつもの飯を出した。
マユミが食べながら、ふと言った。
「緋閃か」
誰も何も言わなかった。
「悪くないな」
マユミが短剣を少し見た。
「この剣で、緋閃か」
俺は黙って聞いていた。
マユミが少し笑った。
「もっと速くなる」
宣言するような言い方だった。
リアが言った。
「期待しています」
「リアに言われると、なんか本気にさせられるな」
「本気でなければ意味がありません」
「そうだな」
マユミが飯を食べた。
コリンが笑った。
アーヴィンさんが黙って食べていた。
でも、今夜の色は穏やかだった。
青白いぼやけが、いつもより薄かった。
何かが、少しずつ動いていた。
パーティの中で。
それぞれの中で。
静かに、確実に。
それでいい。
第七十二話「積み重ねと、緋閃の噂」 了




