第六十三話「日常と、積み重なるもの」
依頼が続いた。
採取、護衛、害獣駆除。
毎日ではなかった。
でも、途切れなかった。
ゴルフからの指名も週に一度ほど入った。
東の道も南の道も、二度目からは迷わなかった。
段取りが、体に入ってきた。
ある朝。
食堂に下りると、マユミが先にいた。
珍しかった。
マユミがいつも俺より遅い。
「早いですね」
「眠れなかっただけだ」
マユミがパンをちぎった。
視線がテーブルに向いていた。
色を確認した。
オレンジに近い赤。
いつもより少し落ち着いていた。
荒れているわけではない。
でも、何かを考えている色だった。
「何かありましたか」
「べつに」
間があった。
「……夢を見た」
「嫌な夢ですか」
「そういうわけじゃない」
マユミがスープを飲んだ。
「昔のことを思い出しただけだ」
俺は何も聞かなかった。
マルティナさんが俺の分を出した。
「食え」
「ありがとうございます」
座って、食べた。
しばらく、二人で黙っていた。
悪くない静けさだった。
マユミが不意に言った。
「なあ」
「なんですか」
「お前って、昔のこと思い出すか」
俺は少し考えた。
「思い出します」
「どんなとき」
「仕事がうまくいったとき。前の世界でも、同じことをやっていたなと」
「嫌じゃないのか」
「嫌ではないです。懐かしい、という感じです」
マユミが少し俺を見た。
「そっか」
それだけだった。
マユミが立った。
「行くぞ」
「もう少し食べてください」
「食べた」
「半分残っています」
「……食べる」
マユミが座り直した。
俺は笑わなかった。
笑うと怒るのがわかっていた。
ギルドに着いた。
掲示板の前でリアが立ち止まっていた。
一枚の依頼票を見ていた。
「どうしましたか」
「これ」
俺が覗いた。
採取依頼だった。
対象:希少薬草・深部採取。
ランク指定:Dランク以上。
報酬:銀貨八枚。
「Dランク指定ですね」
「Cランクで受けると、報酬が下がります」
「そうですね。ランク指定より上で受けると減額になる場合があります」
リアが黙った。
少し間があった。
「……悔しいです」
初めて聞く言葉だった。
リアが「悔しい」と言った。
俺は少し驚いた。
顔には出さなかった。
「Dランクのままなら、この依頼が最大効率で受けられます」
「わかっています」
「でも、実力はDランクに収まっていない」
「……そうです」
リアの色が、少し揺れていた。
澄んだ青の中に、細かい波があった。
悔しさと、焦りと、それを抑えようとしている色だった。
「リアさん」
「なんですか」
「ランクは後からついてきます。実力が先です」
「わかっています」
「わかっていても、悔しいですよね」
リアが少し黙った。
「……はい」
短い一言だった。
でも、本音だった。
「今の実力で動き続ければ、ランクは必ず追いつきます。急がなくていいです」
「急いでいるつもりはありません」
「そうですね」
「ただ」
リアがまた少し間を置いた。
「もっと、できることがあるはずです」
俺は頷いた。
「その通りです」
「だから、悔しいです」
「その悔しさは、正しいものです」
リアが俺を見た。
少し、目が揺れた。
すぐに前を向いた。
「……依頼は別のものにします。合理的な判断です」
「そうしましょう」
リアが掲示板に向き直った。
青の色が、少し落ち着いた。
その日は害獣駆除の依頼を受けた。
街の西、農地に出るイノシシ型の魔物。
三体以上の報告あり。
報酬:銀貨五枚。
五人で向かった。
農地は広かった。
作物が並んでいた。
麦だった。
農夫が出迎えた。
五十代の男だった。
顔に疲れがあった。
「来てくれたか。昨日また一頭出た。作物を踏み荒らされた」
「被害はどのくらいですか」
「一列分。まだ回復できる。でも続くと困る」
「わかりました。任せてください」
農夫が少し安堵した顔をした。
「頼む。足跡がある。あっちだ」
農地の西側を指した。
足跡を確認した。
大きかった。
深く土に刻まれていた。
リアが索敵を展開した。
「三体。西に二体、北西に一体。距離は二十メートルほどです」
「見えますか」
「索敵範囲内です。移動していません。休んでいるか、採食中です」
「アーヴィンさん、先行をお願いします」
「わかった」
アーヴィンさんが静かに動いた。
気配が薄れた。
《沈黙の長剣》の影響だった。
「マユミさんは右から回り込んでください。俺は中央で指示を出します」
「わかった」
「コリンさんは後方待機。リアさんは北西の一体を先に抑えてください」
「問題はありません」
全員が動いた。
最初の二体は、早かった。
アーヴィンさんが接近した。
音がなかった。
魔物が気づいたときには、もう遅かった。
一体目。
二体目。
続けて沈めた。
マユミが右から入った。
速かった。
短剣が光った。
三体目はリアが抑えていた。
「こちら一体、拘束中です。いつでもどうぞ」
マユミが走った。
終わった。
農夫が駆けてきた。
「早い。もう終わったのか」
「三体、駆除しました」
「助かった。本当に助かった」
農夫が頭を下げた。
「作物、大丈夫ですか」
「ああ。今日来てくれてよかった。もう一日遅ければ、また踏まれていた」
「早めに依頼を出してもらえると助かります。痕跡があれば対処できます」
「そうします。また頼む」
「はい」
農夫が去った。
マユミが俺の横に来た。
「綺麗に決まったな」
「皆さんのおかげです」
「お前の指示のおかげだろ」
「段取りを組んだだけです」
マユミが少し笑った。
夕方の光の中だった。
マユミの色が、オレンジに近い赤で、明るく揺れていた。
不意に、マユミが俺の手に触れた。
一瞬だった。
すぐに離れた。
「……帰るぞ」
マユミが先に歩き始めた。
俺は少し遅れて歩いた。
触れた手のひらの感覚が、まだ残っていた。
何も言わなかった。
言う必要がなかった。
宿に戻った。
夕食の前、コリンが俺に声をかけた。
「ヒコさん」
「なんですか」
「今日、リアさんが悔しいって言っていましたね」
「聞こえていましたか」
「少し。珍しいなと思って」
「そうですね」
「あの人、強いですよね」
「強いです」
「俺も、早くCランクに上がりたいです」
コリンが静かに言った。
「焦っていますか」
「少し。正直に言うと」
「コリンさんのペースで大丈夫です。でも、その焦りは悪いものじゃないです」
「リアさんと同じですね」
「同じです。二人とも、ちゃんと前を向いています」
コリンが少し笑った。
「ヒコさんって、そういうことをさらっと言いますね」
「現場仕込みなので」
「またそれだ」
コリンが笑った。
俺も少し笑った。
夕食が始まった。
五人が揃った。
マルティナさんがシチューを出した。
「今日は肉が多い」
マユミが言った。
「文句あるか」
「ない。嬉しい」
「食え」
全員が食べた。
話が弾んだ。
リアが珍しく、少し多く話した。
索敵の精度について、改善点を話していた。
コリンが真剣に聞いていた。
アーヴィンさんが黙って食べていた。
でも、耳は傾けていた。
今日の色は、少し落ち着いていた。
マユミが俺の方をちらっと見た。
目が合った。
すぐに逸らした。
「なんだよ」
「何もないです」
「じゃあ見るな」
「見ていませんでした」
「嘘つけ」
マルティナさんが一言。
「うるさい。食え」
二人とも黙った。
コリンが笑いを堪えていた。
リアが少し目を逸らした。
アーヴィンさんは何も言わなかった。
それでいい夜だった。
第六十三話「日常と、積み重なるもの」 了




