第五十八話「引き継ぎと、新しい段取り」
翌日から、引き継ぎを始めた。
後任は、ドガンさんが選んだ若い人間だった。
名前はタッド。
二十代の前半だった。
細身で、目が真剣だった。
初日。
倉庫に連れていった。
棚を見せた。
記録帳を開いた。
「これが三ヶ月分の記録です。日付、品目、数量、入出の別、担当の印。この五つが揃っていれば、基本は問題ありません」
タッドが真剣に聞いていた。
メモを取っていた。
「数字の不一致が出たときは、すぐに記録してください。理由がわかってからでなくていい。まず記録する」
「理由がわからなくていいんですか」
「わからなくていい。記録が先です。理由は後からついてくる」
タッドが少し考えた。
「なぜですか」
「記録は現場の証拠です。理由を探している間に、証拠が消えることがある」
「……なるほど」
真剣な顔だった。
こういう人間は伸びる、と思った。
二日目。
数字の読み方を教えた。
どの棚が動きやすいか。
どの時期に入出が多いか。
普段と違う動きはどう見えるか。
タッドが質問してきた。
「普段と違う、というのはどうやって判断するんですか」
「慣れです」
「慣れる前は」
「記録を読み返すことです。三ヶ月分あれば、流れが見えてきます」
「三ヶ月分、全部読むんですか」
「最初だけです。一度読めば、後は感覚になります」
タッドが記録帳を手に取った。
「読んでいいですか」
「どうぞ。わからないところは聞いてください」
タッドが読み始めた。
俺は別の作業をしながら、待った。
三十分ほどで、質問が来た。
「ここの数字、他の月と比べて少なくないですか」
俺は覗いた。
先月の一箇所だった。
「よく気づきました」
「なぜ少ないんですか」
「それはドガンさんに確認してください。俺の仕事は気づくことまでです」
「気づくことまで」
「報告する人間が気づかなければ、動く人間も動けない。現場では、気づく人間が一番大事です」
タッドが少し黙った。
「わかりました」
いい人間だ、と思った。
三日目。
タッドが先に倉庫に来ていた。
棚を確認していた。
メモを取っていた。
「早いですね」
「昨日、記録帳を全部読みました」
「全部、ですか」
「三ヶ月分」
俺は少し驚いた。
「気になるところはありましたか」
「いくつか。でも、ヒコさんが印をつけていたところと大体同じでした」
「そうですか」
「一箇所だけ、印がついていないのに気になる数字がありました」
「どこですか」
タッドが記録帳を開いた。
二ヶ月前の一日だった。
俺は見た。
確かに、少し動きが違った。
俺が見落としていた箇所だった。
「正しいです。よく見つけました」
「でも、印がついていませんでした」
「俺が見落としていました」
タッドが少し目を丸くした。
「ヒコさんでも見落とすんですか」
「見落とします。だから記録を続けます。何度見ても新しい気づきがある」
「……そうですか」
タッドが少し考えた。
「記録って、一度つけたら終わりじゃないんですね」
「終わりません。記録は生きています」
タッドが少し笑った。
「面白いですね」
「そう思ってくれると、長続きします」
五日目。
引き継ぎ資料を書いた。
記録の方法。
数字の読み方。
不審な動きの判断基準。
報告の手順。
全部、書き残した。
タッドが横で見ていた。
「ヒコさん、字が丁寧ですね」
「読む人間のために書くので」
「誰のために書くかで、変わるんですか」
「変わります。自分のためだと崩れる。他人のためだと丁寧になる」
「なるほど」
タッドがまた少し考えた。
よく考える人間だった。
考えて、自分のものにしていた。
これなら大丈夫だ、と思った。
一週間が経った。
ドガンさんに報告した。
「タッドは問題ありません。記録の読み方は十分に理解しています」
「そうか」
「二週間、と言いましたが、もう少し短くできるかもしれません」
「急ぐな」
「はい」
「お前が引き継いだら終わりだ。丁寧にやれ」
「わかりました」
ドガンさんが少し俺を見た。
「タッドは、お前に懐いているか」
「懐いているかどうかはわかりません。でも、ちゃんと学ぼうとしています」
「それで十分だ」
「そう思います」
ドガンさんが窓の外を見た。
「お前みたいな人間が、冒険者をやるのはもったいない気もするが」
「どういう意味ですか」
「段取りができて、記録ができて、人を育てられる。商人の方が向いている」
俺は少し考えた。
「前の世界でも、同じことを言われました」
「前の世界」
「少し変わった事情があります」
「聞かないでおく」
「ありがとうございます」
ドガンさんが少し目を細めた。
「冒険者として、いい仕事をしろ」
「はい」
「記録をつけることを、忘れるな」
「忘れません。習慣になっています」
「そうか」
それだけだった。
十日目。
コルテさんの倉庫へ最後の依頼に行った。
タッドも連れていった。
作業を見せた。
「品目の確認から始めます。棚の番号と記録帳を照合しながら進めます」
タッドが俺の動きを見ていた。
作業が終わった。
「どのくらいで終わらせればいいですか」
「一時間が目安です。慣れれば四十分でできます」
「今日は何分でしたか」
「四十五分です」
「ヒコさんより速くなります」
俺は少し笑った。
「なってください。それが引き継ぎの意味です」
コルテさんが俺を見た。
「今日で最後か」
「はい。タッドに頼みます」
コルテさんがタッドを見た。
「冒険者にしては仕事の進め方を知ってるな、と言おうとしたが」
コルテさんが少し笑った。
「お前は冒険者じゃないな」
「商人ギルドの見習いです」
「そうか。なら、期待する」
「はい」
コルテさんが俺を見た。
「ヒコ、縁があったらまた来い」
「はい」
「冒険者として来てもいい。依頼は出せないが、飯くらいは出す」
「ありがとうございます」
倉庫を出た。
十四日目。
引き継ぎが終わった。
最後にドガンさんの執務室に寄った。
「終わりました」
「そうか」
「タッドは大丈夫です。記録帳の読み方も、報告の仕方も、理解しています」
「わかった」
ドガンさんが立った。
机の引き出しから、小さな袋を出した。
俺に渡した。
「最後の月給だ。少し多い」
受け取った。
中を見た。
銀貨が十五枚あった。
「十枚のはずですが」
「餞別だ。受け取れ」
俺は少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「行け」
扉を出た。
廊下を歩いた。
袋を持っていた。
重さがあった。
銀貨の重さだけじゃなかった。
三ヶ月分の仕事の重さだった。
ドガンさんと動いた時間の重さだった。
一つの現場が、終わった。
外に出た。
空が青かった。
次の現場が、待っている。
一歩ずつ、進む。
それだけでいい。
第五十八話「引き継ぎと、新しい段取り」 了




