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 第326話 行くと決めた日

 迷いを、断ち切る言葉は。


 いつも、短い。


 ――長く、考え抜いた末に。


 最後に、残るのは。


 いつも、単純な、一言だった。

 夜。


 執務室。


 ヒコは、一人、机の前に、座っていた。


 《可視化》は、まだ、完全には戻っていない。


 揺らいだ視界のまま、南方の方角を、見つめ続けていた。


──────────────────────────────────────


 扉が、静かに開いた。


 マユミが、入ってくる。


「まだ、起きてたの」


「はい」


 ヒコは、振り返らずに答えた。


「少し」


「考え事を」


──────────────────────────────────────


 マユミは、ヒコの隣に、腰を下ろした。


「《可視化》は」


「まだ、戻らない?」


「時々」


「ぼやける程度には」


「戻ってきています」


「でも」


 ヒコは、正直に続けた。


「完全には」


「まだ」


──────────────────────────────────────


 マユミは、しばらく黙っていた。


 やがて、静かに尋ねた。


「行きたいんでしょう」


 その一言に。


 ヒコは、思わず、マユミを見た。


「マユミさん」


「顔に、書いてある」


 マユミは、少し笑った。


「ずっと」


「南方の方を、見てた」


──────────────────────────────────────


 ヒコは、しばらく、言葉を探した。


「でも」


「私が、行くのは」


「評議会の判断に」


「反することかもしれません」


「留守を任されている立場ですから」


──────────────────────────────────────


 マユミは、静かに首を横に振った。


「じゃあ、聞くけど」


「ここにいて」


「ゼドさんの無事を」


「祈るだけで」


「あなたは」


「本当に、それでいいの」


──────────────────────────────────────


 ヒコは、答えられなかった。


 マユミは、続けた。


「あなたは」


「昔から」


「そうだった」


「現場が動いている時」


「机の前に、じっとしていられない人」


──────────────────────────────────────


「私は」


 ヒコは、ようやく口を開いた。


「領主です」


「私が、動くことで」


「評議会に、混乱を」


「招くかもしれません」


「それでも」


 マユミは、ヒコの目を、まっすぐに見た。


「あなたが、本当に行きたいなら」


「私は」


「止めない」


──────────────────────────────────────


 翌朝。


 評議会の間。


 ヒコは、全員の前に立っていた。


「お話があります」


 全員の視線が、集まる。


 ヒコは、静かに告げた。


「私は」


「自ら、南方へ」


「向かおうと思います」


──────────────────────────────────────


 評議会の間が、一瞬、静まった。


 バルドが、口を開こうとする。


 だが、その前に。


 ドガンが、静かに言った。


「止めない」


──────────────────────────────────────


 バルドが、驚いたようにドガンを見る。


「ドガンさん」


「以前なら」


「止めていた」


 ドガンは、ヒコを見つめたまま、続けた。


「だが」


「今の、お前は」


「もう、以前の、お前じゃない」


──────────────────────────────────────


「この一年」


 ドガンは、静かに続けた。


「この地は」


「お前がいなくても」


「回るようになった」


「トマも、育った」


「騎士団も」


「評議会も、機能している」


「今、お前が動くことで」


「この地が、崩れる心配は」


「もう、ない」


──────────────────────────────────────


 ヒコは、黙って、ドガンの言葉を聞いていた。


 この一年。


 自分が、何もかもを抱え込まなくても。


 人が育ち。


 仕組みが動き。


 領地が、自らの力で、回り始めている。


 それは。


 ヒコが、この一年で積み重ねてきたもの、そのものだった。


──────────────────────────────────────


 バルドも、しばらく考えてから、頷いた。


「留守は」


「ドガンさんと」


「私で、引き受けます」


「マユミさんは」


「ヒコ様の護衛を、お願いできればと」


 マユミが、頷いた。


「任せて」


──────────────────────────────────────


 ヒコは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「必ず」


「ゼドさんと、サヤさんを」


「連れて、帰ります」


──────────────────────────────────────


 ドガンが、僅かに、口の端を上げた。


「行ってこい」


「留守は」


「任せておけ」


──────────────────────────────────────


 出発の準備が、慌ただしく進められる中。


 ヒコは、《可視化》で、もう一度、自分の視界を確かめた。


 まだ、完全ではない。


 だが。


 ぼやけた視界の奥に。


 行くべき方角だけは。


 はっきりと、見えていた。


──────────────────────────────────────


 迷いを、断ち切る言葉は、いつも、短い。


 「行きたいんでしょう」


 「止めない」


 その短い言葉たちが。


 ヒコの背中を、押していた。


 そして。


 ヒコは、南方へ向かうことを。


 自分自身の意志で、決めた。


 第326話 行くと決めた日 了

【次回予告】陽炎月の収支。

 誰かが、去った場所にも、日常は、続いていく。


──────────────────────────────────────


【領地収支・第326話時点】


・所持金:金貨4185枚(変動なし)


──────────────────────────────────────


【発展進捗・第326話時点】


・防衛:122%(変動なし)

・食料:101%(変動なし)

・水 :100%(変動なし)

・住居:90%(変動なし)

・インフラ:105%(変動なし)

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