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 第273話 学びの声

 覚えた文字は、一生、消えない。


 誰かに奪われることも、ない。


 ――だから、学びは、この領地にとって、最も、静かで、最も、確かな備えだった。

 凍氷月、八日。


 施設の一角に、新しく、教室が、設けられていた。


 この日、領地初の学校が、開かれた。


 バルドが、先生役として、教壇に、立っていた。


「今日から、ここで、文字と、数を、学びます」


 子どもたちが、木の椅子に、腰かけている。


 その中に、ルナの姿も、あった。


 少し、緊張した顔で、目の前の、木の板を、見つめている。


──────────────────────────────────────


 バルドが、板に、文字を、書いた。


「まずは、自分の、名前から、覚えましょう」


 子どもたちが、それぞれ、木の棒で、砂の上に、文字を、なぞる。


 ルナが、自分の名前を、一文字ずつ、ゆっくりと、書いていく。


「ル、ナ」


 書き終えて、少し、誇らしげに、顔を、上げた。


 バルドが、頷いた。


「上手です」


 初めて、自分の名前を、文字にした子どもの、その顔は、この日、教室にいた誰よりも、明るかった。


──────────────────────────────────────


 施設の廊下を、ヒコが、通りかかった。


 教室から、子どもたちの、声が、聞こえてくる。


 文字を、読み上げる声。


 数を、数える声。


 時折、笑い声も、混じる。


 ヒコは、その場に、しばらく、立ち止まった。


「この声が、聞こえるうちは、まだ、大丈夫です」


 誰に、言うでもなく、ヒコは、そう、つぶやいた。


 声が、響いているということは、この領地に、まだ、余裕が、あるということだった。


 余裕がなければ、子どもは、学ぶ時間を、持てない。


──────────────────────────────────────


 放課後。


 ルナが、施設の庭で、遊んでいた。


 バルドが、その様子を、見ていると、ルナが、ふと、駆け寄ってきた。


「先生」


「どうしましたか」


「今日ね、お母さんは、どこ?って聞かれた」


 バルドの、動きが、一瞬、止まった。


「知らないおじさん、ですか」


「うん」


 ルナが、頷く。


「どこから、来た人ですか」


「年は」


「服装は」


「覚えていることはありますか」


「分からない。でも、優しかったよ」


 ルナは、屈託なく、そう、答えた。


 子どもにとって、それは、ただの、他愛のない、出来事だったのだろう。


 バルドは、それ以上、ルナに、深く、尋ねなかった。


 子どもの記憶は、誘導すると、簡単に変わってしまう。


「そう、ですか。教えてくれて、ありがとう」


 ルナは、それだけ、言うと、また、遊びに、戻っていった。


──────────────────────────────────────


 夕方、バルドが、ヒコの執務室を、訪れた。


 いつもより、静かな、足取りだった。


「一つ、お耳に、入れておきたいことが」


「何ですか」


「放課後、ルナが、話していたことです」


 バルドが、聞いた話を、そのまま、伝えた。


 ヒコは、黙って、それを、聞いていた。


 聞き終えて、少し、間を、置く。


「……どんな、顔でしたか」


「ルナは、優しかった、くらいしか覚えていないそうです」


 その答えに、ヒコは、しばらく、何も、言わなかった。


 子どもの記憶に、輪郭を、残さない顔。


 それが、偶然なのか、そうでないのか、今の段階では、判断が、つかなかった。


「気に、留めておきます」


 ヒコは、短く、そう、言った。


「学校の周りの、見回りを、少し、増やしてください」


 バルドが、頷いた。


「承知しました」


──────────────────────────────────────


 夜、教室の灯りは、すでに、消えていた。


 子どもたちの声も、今は、聞こえない。


 ただ、静かな、施設の中に、今日、覚えたばかりの、いくつかの名前が、砂の上に、まだ、残っていた。


 その一つ一つが、この領地の、確かな、財産だった。


 そして、その財産の傍に、また一つ、輪郭のない影だけが、その教室の場所を、覚えていた。



第273話 学びの声 了

【次回予告】産業省から、ようやく、返事が来た。

 待っていた返事は、いつも、予想と違う形で来る。


──────────────────────────────────────


【領地収支・凍氷月八日時点】


・所持金:金貨2281枚(変動なし)


──────────────────────────────────────


【発展進捗・第273話時点】


・防衛:122%(変動なし)

・食料:101%(変動なし)

・水 :100%(変動なし)

・住居:85%(変動なし・工事進行中)

・インフラ:105%(+1・学校制度正式発足)

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