表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/193

第四十一話「写しの朝と、動き出す段取り」

 翌朝。


 夜明け前から起きていた。


 窓の外はまだ暗かった。

 星が出ていた。

 街の音が、何もなかった。


 机に向かった。


 記録帳を開いた。


 三ヶ月分の在庫記録。

 日付、品目、数量、入出の別、担当の印。

 全部、自分で書いたものだ。


 ペンを取った。


 写しを作る。

 三部。

 ドガンさん用。セリウスさん用。手元用。


 丁寧に、一字ずつ。


 急がない。

 崩れた字では証拠にならない。

 段取り八分。最初が一番大事だ。


 灯りが小さかった。


 書いていると、目が痛くなった。


 それでも書いた。


 夜が、少しずつ、白んでいった。



 扉を叩く音がした。


 三回、静かに。


 「はい」と答えると、扉が開いた。


 アーヴィンさんだった。


 いつもより早い。


 俺を見た。

 机の上を見た。

 記録帳と、並んだ紙を見た。


「写しか」


「そうです」


 アーヴィンさんが部屋に入ってきた。

 椅子を引いた。

 向かいに座った。


「手伝う」


 少し驚いた。


「字は書けますか」


「書ける」


「ありがとうございます」


 記録帳を真ん中に置いた。

 どこからどこまでを写すか、簡単に説明した。

 不一致の箇所には印をつけると伝えた。


 アーヴィンさんは黙って聞いた。

 うなずいた。

 ペンを取った。


 二人で、並んで書いた。


 朝の静かな時間だった。


 アーヴィンさんの字は整っていた。

 武骨だが、読みやすい。

 一字一字、押しつけるように書く。

 ゆっくり、確実に。


 似ているな、と思った。


 仕事の仕方が。


 途中で、一度だけ話が出た。


「レインの字は下手だった」


 顔を上げずに言った。


「そうですか」


「読み返すたびに解読した。面倒だった」


 口元が、少し動いた。


 俺も顔を上げなかった。


「でも、たくさん書く人でしたか」


「よく書いた。メモ魔だった。見えたものを全部残しておきたかったんだろう」


「そうですか」


 ペンを動かし続けた。


 アーヴィンさんも続けた。


 それだけだった。

 それで十分だった。



 三部、書き終わった。


 日付を確認した。

 数字を見直した。

 不一致の箇所に、端で印をつけた。先月一回、二ヶ月前一回、三ヶ月前二回。全部夜間、同じ三棟。


 ずれはなかった。


「助かりました」


「ああ」


 アーヴィンさんが立った。


 背を伸ばした。それだけだった。



 食堂に下りると、マルティナさんがいた。


 朝の仕込みをしていた。


 俺たちを見た。

 何も言わなかった。

 パンとスープを二人分、置いた。


「食え」


「ありがとうございます」


 二人で食った。


 マルティナさんは何も聞かなかった。


 いつもそうだ。


 余計なことを言わない。

 でも、全部わかっている。


 そういう人だ。



 マユミが下りてきたのは、それから少しして。


 俺とアーヴィンさんを交互に見た。


「なんで二人してこんな朝早いんだ」


「仕事がありました」


「アーヴィンも?」


「手伝った」


 マユミが首を傾けた。


 深く聞かなかった。

 椅子に座って、スープを取った。


「まあいいや」


 こういうところが、マユミらしかった。



 リアが下りてきたのは一番最後だった。


 四人分のテーブル。


 全員揃った。


「朝からよく食べますね、ヒコさん」


「頭を使いました」


「効率が悪い。使う前に食べるべきです」


「そうですね。次からそうします」


 リアが少し何か言いたそうな顔をした。


 でも、何も言わなかった。


 マルティナさんがお代わりを出してくれた。



 午前中に動くことにした。


 ドガンさんのところへ。

 それからセリウスさんのところへ。


 段取りはある。


 ドガンさんには在庫記録の話をする。

 証拠として、権限移行前の記録がここにある。それだけでいい。


 セリウスさんには、ドガンさんに渡したことを伝える。

 両方に持っておいてもらう。


 どちらかが動けなくなったとき、もう一方が残る。

 現場の危機管理と同じだ。


 アーヴィンさんが一緒に来ると言った。


「俺も行く」


「商人ギルドですよ」


「わかってる」


 マユミも来ると言った。


「あたしも行く」


「記録の提出だけですよ」


「だから行く」


 リアは少し間を置いた。


「……効率が悪い移動ですが、まあいいです」


 四人で行くことになった。


 俺は少し笑った。


 段取りは一人で組んだ。

 でも、動くのは四人だ。


 現場が一番偉い。


 そして、現場は人間で動く。



 商人ギルドの執務室。


 ドアを叩いた。


「来たか。座れ」


 いつも通りだった。


 三人は廊下で待ってもらった。


 俺一人で入った。


 記録帳の写しを机に置いた。


「三ヶ月分です。日付と品目と数量、全部入っています。不一致の箇所は端に印をつけました」


 ドガンさんが受け取った。

 めくった。

 黙って読んだ。


 俺は待った。


「四箇所か」


「はい。夜間のみです。搬入があったとされる日と重なっています」


「印の意味は」


「不一致が大きい日です。同じ三棟。同じ時間帯」


 ドガンさんがまた黙った。


 ページをめくる音だけがした。


「写しだな」


「はい。もう一部、冒険者ギルドのセリウスさんに渡します。手元にも一部あります」


 ドガンさんが顔を上げた。


「なぜセリウスに」


「ベルガンさんが動いたとき、どちらかが止められる可能性があります。両方に持っておいてもらった方が安全です」


 少し間があった。


「段取り、か」


「現場仕込みなので」


 ドガンさんが写しを閉じた。

 引き出しに入れた。

 鍵をかけた。


「ヒコ」


「はい」


「日常を変えるな」


「変えません」


「記録も続けろ」


「続けます」


「わかった」


 それだけだった。


 立ち上がった。


「一つだけ確認させてください」


「なんだ」


「記録の件、ドガンさんとセリウスさん以外には話さない方がいいですか」


 ドガンさんが俺を見た。


「しばらくはそうしろ。こっちで動きを見る」


「わかりました」


 扉を出た。


 廊下でアーヴィンさんが壁に背をつけて立っていた。

 マユミが隣でそわそわしていた。

 リアは少し離れたところで腕を組んでいた。


「終わりました」


「問題なかったか」


「はい」


 マユミが俺を見た。


「ドガンさん、何か言ってたか」


「日常を変えるな、と」


「……そっか」


 マユミが少し黙った。


 それ以上は言わなかった。



 冒険者ギルドへ向かった。


 四人で並んで歩いた。


 街は動いていた。

 荷車が通った。

 市場の声が聞こえた。

 いつも通りの朝だった。


 アーヴィンさんが少し先を歩いていた。


 俺はその背中を見た。


 昨夜のことを思い出した。


 「ランクアップの件、考える」


 その言葉が、今朝の写しの手伝いに繋がっているかどうかは、わからない。


 でも、アーヴィンさんは来た。


 それだけでいい。


 現場では、動いた人間が正しい。

 理由は後からついてくる。



 セリウスさんは、すぐに通してくれた。


 応接室に四人で入った。


「来てくれましたね」


 いつもの穏やかな声だった。


 写しを渡した。


「昨夜からの記録です。ドガンさんにも一部渡しました」


 セリウスさんが受け取った。

 静かに開いた。


 読む速度が速かった。


 ひとしきり読んで、顔を上げた。


「ご苦労様でした」


「写し作成はアーヴィンさんが手伝ってくれました」


 セリウスさんがアーヴィンさんを見た。


 アーヴィンさんが少し目を動かした。


「そうですか」


 セリウスさんが少し間を置いた。


「よかった」


 短く言った。


 アーヴィンさんへの言葉なのか、全部への言葉なのかはわからなかった。


「この記録は、こちらで保管します。もし状況が変わったときは、また連絡します」


「わかりました」


「それから」


「はい」


「今のところ、スキルに変化はありますか」


「今のところはないです」


「何かあれば、すぐ来てください」


「はい」


 セリウスさんがマユミを見た。


「マユミさん、護衛をよろしくお願いします」


 マユミが少し背筋を伸ばした。


「まかせといて」


 セリウスさんがリアを見た。


「リアさん、索敵の二段構え、引き続きお願いします」


「効率的な配置だと思っています」


 セリウスさんが少し笑った。


「心強いですね」



 帰り道。


 四人で並んで歩いた。


 来たときと同じ道だった。


 でも、少し軽かった。


 記録は二か所に渡った。

 段取りが、一つ進んだ。


 マユミが俺の隣に来た。


「なあ」


「なんですか」


「全部、うまくいきそうか」


 俺は少し考えた。


「わかりません」


「正直だな」


「でも、やることはやりました」


「そっか」


 マユミが前を向いた。


「なら、いいか」


 アーヴィンさんが先を歩いていた。


 リアがその隣を、少し距離を置いて歩いていた。


 四人分の足音が、石畳を鳴らした。


 空が青かった。


 風が少しあった。


 いい現場日和だ、と思った。


 こっちの世界でも、仕事は段取りで動く。


 一つずつ、積み上げていく。


 それだけでいい。



第四十一話「写しの朝と、動き出す段取り」 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ