第四十話「アーヴィンへの話と、五年間の答え」
その夜。
食事が終わって、マユミとリアが部屋に戻った。
俺は少し食堂に残った。
考えていた。
アーヴィンさんに話すかどうか。
セリウスさんは、話してもいいと言った。
でも、どう話すかが難しかった。
知っていることを全部並べるのは簡単だ。
でも、それがアーヴィンさんにとっていいかどうかは、別の話だ。
マルティナさんが台所から出てきた。
俺を見た。
「まだいるのか」
「少し考えていました」
「そうか」
椅子を引いて、向かいに座った。
珍しかった。
「話すべきかどうか、迷っているのか」
俺は少し驚いた。
「顔に出ていましたか」
「出ていた」
「そうですか」
マルティナさんが少し間を置いた。
「話す相手は、アーヴィンか」
「はい」
「難しい話か」
「はい。あの人の過去に関係しています」
マルティナさんが俺を見た。
「嘘はつかない」
短く言った。
「はい」
「それだけでいい。話す中身より、嘘をつかないことの方が大事だ」
俺は少し考えた。
「迷っているのは、話し方の問題でした」
「そうか。なら、迷わなくていい」
「なぜですか」
「話し方は、話しながら決まる。最初から全部決めようとするから迷う」
マルティナさんが立った。
「体が資本だ。考えすぎるな」
台所に戻った。
俺は少し笑った。
いつもそうだ。
余計なことを言わない。
でも、必要なことだけ言う。
階段を上がった。
アーヴィンさんの部屋の扉を叩いた。
「少し、話せますか」
少し間があった。
扉が開いた。
アーヴィンさんが俺を見た。
「入れ」
部屋に入った。
椅子が一つあった。
俺が座った。
アーヴィンさんはベッドの端に座った。
「何だ」
「今日、セリウスさんと話しました」
「うん」
「可視化のスキルについて、全部話してくれました」
アーヴィンさんが少し止まった。
「全部」
「はい。過去に可視化を持つ人間がどうなったか。なぜ消えていったか。それから」
俺は一度息を吸った。
「レインさんのことも」
静かな部屋だった。
アーヴィンさんが床を見た。
しばらく、何も言わなかった。
「……セリウスが話したのか」
「はい」
「そうか」
また沈黙があった。
「お前に話してよかったのか、あの人は」
「俺もそう思います。でも、セリウスさんは、俺からなら受け取れるかもしれない、と言っていました」
「そうか」
アーヴィンさんが窓の外を見た。
夜の街が見えた。
「レインは、笑顔の人間だった」
静かな声だった。
「依頼の前も、戦闘の後も、飯を食うときも、いつも笑っていた。俺みたいに無口な人間の隣で、よくしゃべった」
俺は何も言わなかった。
「スキルのことも、自分では気にしていなかった。見えるものが増えるたびに嬉しそうにしていた。まだ見えないものがある、って、いつも言っていた」
「アーゼルタウン北側での依頼の夜に、話してくれましたね」
「そうだな」
アーヴィンさんが手を見た。
「あの依頼を止めればよかった。俺が止める立場じゃないと思っていた。あいつが行くと決めたなら、行かせるべきだと。でも、止めればよかった」
「アーヴィンさんのせいじゃないです」
「わかってる」
短く言った。
「わかってるが、そう思う。五年間、そう思い続けた」
俺は少し間を置いた。
「ランクアップを拒否していたのは、レインさんのためですか」
「半分は」
「残り半分は」
「自分のためだ」
アーヴィンさんが俺を見た。
「ランクが上がれば、また誰かと組む理由ができる。組めば、また失うかもしれない。それが怖かった。だから、一人でいた」
「それで、五年間」
「そうだ」
俺は少し考えた。
何を言えばいいか、正直わからなかった。
でも、マルティナさんが言っていた。
話し方は、話しながら決まる。
「アーヴィンさん」
「うん」
「俺は転移者です」
アーヴィンさんが少し目を動かした。
「知ってた」
「そうですか」
「最初から違和感があった。でも、聞かなかった」
「ありがとうございます」
俺は続けた。
「前の世界で、俺は五十歳でした。ゼネコンの課長という仕事をしていました。チームで大きな建物を作る仕事です」
「うん」
「二十五年以上、その仕事をしました。いくつものチームを組みました。いくつかのチームは、うまくいかなかった。途中で人が抜けたり、事故があったり、誰かが怪我をしたりしました」
「そうか」
「そのたびに思いました。俺の判断が正しかったら、こうならなかったかもしれない、と。現場で問題が起きると、必ずそう思います」
アーヴィンさんが俺を見た。
「でも、現場は続きます。次の現場がある。次のチームがある。止まっていられない。だから、思いながらも動く。それが仕事だ、と俺は思っていました」
「……それが、今ここに繋がっているのか」
「そうです」
俺は少し間を置いた。
「アーヴィンさんが五年間、一人でいたことは、間違いじゃなかったと思います。必要な時間だったと思います。でも、もう次の現場が始まっています」
「次の現場」
「俺たちのパーティです。マユミさんがいて、リアがいて、アーヴィンさんがいる。ベルガンの件もある。やることが増えてきました」
アーヴィンさんが少し黙った。
「俺が動かないと、困るか」
「正直に言います」
「言え」
「アーヴィンさんがいなければ、難しい場面が増えます。でも、それよりも」
俺は少し考えた。
「アーヴィンさんが、ここにいてくれる方が、俺は嬉しいです。戦力としてじゃなく、そういう意味で」
静かな部屋だった。
アーヴィンさんがしばらく床を見た。
顔が、少し変わった。
固かったものが、少し溶けた気がした。
「……レインも、同じことを言っていた」
「どんなことを」
「お前がいてくれると、俺は嬉しい、と」
「レインさんは、正しかったと思います」
「そうだな」
アーヴィンさんが立った。
窓の外を見た。
「ランクアップの件、考える」
「急ぎません」
「でも、考える」
「わかりました」
「お前に話せてよかった」
短い言葉だった。
でも、重さがあった。
「俺もです」
俺は立った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
扉を出た。
廊下が静かだった。
隣の部屋から、マユミの寝息が聞こえた。
もう一つ先の部屋は、リアだった。
静かだった。
俺は自分の部屋に入った。
ベッドに横になった。
天井を見た。
アーヴィンさんが言っていた。
レインは笑顔の人間だった。
見えるものが増えるたびに嬉しそうにしていた。
まだ見えないものがある、って、いつも言っていた。
俺も、まだ見えていないものがある。
次に何が見えるようになるのか、まだわからない。
でも、見えるようになったとき、ちゃんとここにいたい。
レインさんが辿り着けなかった場所に、辿り着きたい。
アーヴィンさんとの約束だった。
アーゼルタウン北側での依頼の夜に、言葉にしなかったけれど、した約束だった。
目を閉じた。
夜が静かだった。
四人分の、温かさがあった。
第四十話「アーヴィンへの話と、五年間の答え」 了




