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 第193話 影の気配

 静かな場所ほど、異常に気づきやすい。


 気配は、音より先に来る。


 ――来る前に、分かることがある。それが、守りの始まりだ。

 紅葉月、八日。


 朝、ミルヴァが来た。


 いつもより早い時間だった。


「報告がある」


「どうぞ」


「良くない報告だ」


 ミルヴァが短く言った。


「ベルン商会が、ランデルから撤退した」


 ヒコは少し間を置いた。


「撤退、というのは」


「店を畳んだ。倉庫も引き払った。商人も引き上げた。三日前のことだ」


「理由は」


「表向きは業務縮小。ただし」


 ミルヴァが続けた。


「動く前に、後ろを消す動きだ」


──────────────────────────────────────


 午前、ドガンに話を持っていった。


 ドガンは報告を聞いて、すぐに立ち上がった。


「ランデルから撤退した」


「そうです」


「タイミングが悪い」


 ドガンが窓の外を見た。


「ベルン商会は、表の動きで圧力をかける組織じゃない。裏から動く。動く前に表の痕跡を消すのは、それが習性だ」


「次に何が来ますか」


「王都経由だ。中央商業ギルドに働きかけて、フォルテス領の取引先を締める」


 ドガンが低く言った。


「商人が本気で潰すときは、敵本人を殴らない」


「……」


「仕入れ先、売り先、運び手。周りから全部、細くしていく」


「ゴルフさんの王都ルートに影響が出ますか」


「可能性はある。ただし、今すぐではない」


 ドガンが振り返った。


「中央商業ギルドを動かすには、それなりの根回しが要る。一ヶ月、もしかしたら二ヶ月かかる」


「その間に、できることをやります」


「そうしろ。ゴルフと話せ。取引先との契約を、早めに固めておく方がいい」


──────────────────────────────────────


 昼前、ゴルフを呼んだ。


 ドガンも同席した。


「ベルン商会がランデルを引き払いました。王都経由で動く可能性があります」


 ゴルフが少し考えた。


「……タイミングは読んでいました」


「読んでいましたか」


「ランデルの商人から、先週、妙な問い合わせが来ていました。フォルテス領との取引量を確認するような内容でした。調査だと判断していました」


「相手はどこの商人ですか」


「ベルン商会の系列とは限りません。ただし、目的は同じです。情報を集めている」


 ゴルフが手帳を開いた。


「王都の取引先については、来週打ち合わせが入っています。前倒しで契約を固めます」


「お願いします」


「損はさせません」


 ゴルフが手帳を閉じた。


「情報が命です。動きが分かっている分、対応できます」


──────────────────────────────────────


 午後、ミルヴァが続報を持ってきた。


「セルヴァン・ロウの動きが具体化している」


「どういうことですか」


「王都から使者が出た。方向がランデル経由でこちらに向いている」


「フォルテス領に来ますか」


「直接は来ない。ランデルで動く誰かと接触する手はずだと思う」


 ミルヴァが続けた。


「タウルスに確認した。セルヴァンはタナール系の研究者だが、表に出る人間じゃない。代理を使う」


「代理が、ランデルで何をしますか」


「情報収集か、あるいは接触工作だ。フォルテス領に出入りしている商人か冒険者に近づく可能性がある」


「セリウスさんに話しますか」


「もう話した。ギルドの登録者を確認してもらっている」


──────────────────────────────────────


 夕方、ヒコは一人で施設の前に立った。


 《可視化》を短く使った。


 領地の色は、落ち着いていた。


 ただし、端の方に、昨夜見た赤い点に近い色が、わずかにあった。


 方向は北西だった。


 ランデルのある方向だった。


 閉じた。


 気のせいかもしれなかった。


 ただし、気のせいにするには、色が鮮明だった。


──────────────────────────────────────


 夜、アーヴィンに話をした。


「ベルン商会がランデルから撤退しました。セルヴァン・ロウの代理がランデルで動いているかもしれません」


 アーヴィンが短く聞いた。


「来るか」


「いつかは来ると思います。ただし、今すぐではないかもしれません」


「防衛の配置を変えるか」


「変えないでください。変えると、動きが外から読まれます」


「分かった」


 アーヴィンが少し間を置いた。


「《可視化》では何か見えているか」


「北西の方向に、少し気になる色があります。ただし、確定ではありません」


「確定する前に、準備をしておく」


「そうしてください」


 アーヴィンが頷いた。


「記録を積む。先手は打たない。ただし、準備は今日から」


 ヒコが言うべき言葉を、アーヴィンが先に言った。


 ゴルフに続いて、二人目だった。


──────────────────────────────────────


 夜、記録をつけた。


 紅葉月八日。ミルヴァ報告:ベルン商会がランデルから撤退。「動く前に後ろを消す動き」。ドガン「王都経由・中央商業ギルドを通じた取引圧力が来る。一〜二ヶ月の猶予あり」。ゴルフ:王都取引先との契約を前倒しで固める方針。セルヴァン・ロウの代理がランデル方面で動いている可能性。ミルヴァがセリウスと連携し、ギルド登録者を確認中。


 《可視化》:北西方向にわずかな赤みを帯びた色。昨夜と同じ方向。確定ではない。


 方針:記録を積む。先手は打たない。準備は今日から。


 ペンを置いた。


 静かだった。


 嵐の前が、こういうものだとしたら。


 今がそれかもしれなかった。


 まだ姿は見えない。


 ただし――


 影だけは、もう領地の外まで来ていた。



 第193話 影の気配 了

【次回予告】アーヴィンの誕生日が来た。


──────────────────────────────────────


【領地収支・紅葉月初旬継続時点】


・所持金:金貨593枚(変動なし)


【発展進捗・紅葉月中旬時点】


・防衛:102%(変動なし・配置は据え置き)

・食料:99%(燻製初回完成まで二日)

・水 :95%(外堀掘削継続)

・住居:85%(変動なし)

・インフラ:100%(変動なし)

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