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第二幕「成長」第三十一話「北への道と、三人の距離」

 街道を北に向かって歩いていた。


 三人で並んで歩くのは、まだ慣れていなかった。


 マユミが左、俺が真ん中、アーヴィンが右。


 それが自然な形になっていた。


 前衛が両側、情報が真ん中。


 段取りとして、正しい。



 出発してから二時間ほどが経っていた。


 街道沿いの景色が、少しずつ変わってきた。


 草原から、低木が増えてきた。


 山が近くなっている。


 スキルで周囲を確認した。


 小さい気配がいくつか。遠くに中程度の気配が一つ。


 今のところ、問題はない。


「周囲は安全です。中程度の気配が一つ、右前方の遠くにあります。動いていません」


「わかった」


 アーヴィンが頷いた。


 マユミが言った。


「さっきからずっと確認しているな」


「移動中も把握し続けた方がいいので」


「疲れないか」


「集中力を使いますが、体力は使いません」


「そうか」


 マユミは少し考えた。


「それって、見張りと同じだな」


「そうですね。俺が動く見張り台です」


「現場仕込みか」


「そうです」


 アーヴィンが口を開いた。


「レインも、同じことをしていた」


 静かな声だった。


 俺とマユミは少し黙った。


 アーヴィンが自分から話すのは、珍しかった。


「移動中も常に確認していた。俺たちが気づかないうちに、情報を出してくれていた」


「……そうだったんですね」


「あいつがいたから、パーティは無傷で動けていた。俺は戦うことしか考えていなかったが、あいつがいなければ、もっと早く誰かが怪我をしていた」


 俺は前を向いたまま歩いた。


 アーヴィンが続けた。


「お前のスキルは、レインと同じだ。でも使い方が違う」


「どう違いますか」


「レインは情報を出すだけだった。お前は、情報から段取りを組む」


「それは昔の仕事の癖です」


「どちらがいいかは、まだわからない。でも、違うということはわかった」


 俺は少し考えた。


 レインとヒコを比べているわけじゃない。


 アーヴィンなりに、俺という人間を把握しようとしている。


「アーヴィンさん」


「うん」


「レインさんの話、もう少し聞かせてもらえますか。いつかで構いません」


 アーヴィンは少し間を置いた。


「……いつか、な」


「急ぎません」


「わかった」


 それだけだった。


 でも、それで十分だった。



 昼過ぎ、小川のそばで休憩した。


 水を補充した。


 干し肉を食べた。


 マユミが香草を取り出して、干し肉に挟んだ。


「ほら」


 俺とアーヴィンに渡してくれた。


「ありがとうございます」


 アーヴィンは少し間を置いた。


「……ありがとう」


 受け取った。


 一口食べた。


「美味いな」


「定期市で買った香草だ。干し肉に合うんだよ」


 マユミが言った。


「定期市か」


「ヒコと行ったんだ。あのとき買った」


 俺は少し笑った。


「串焼きを食べながら歩いた日ですね」


「そうだ」


 アーヴィンは俺とマユミを見た。


 何かを考えているような目だった。


「二人は、よく一緒に動いているんだな」


「来てから最初に組んだ相手ですから」


「そうか」


 アーヴィンは川を見た。


「俺は、誰かと長く動いたことがなかった。五年間、一人だった」


「これからは違う」


 マユミが言った。


 短くて、でも確かな言葉だった。


 アーヴィンはしばらく川を見ていた。


「……そうだな」


 小さい声だった。


 でも、重さがあった。


 俺は水を一口飲んだ。


 川の音がした。


 風が来た。


 三人が、ここにいた。


 それだけで、十分だった。



 夕方前、野営地を探した。


 街道から少し外れた場所に、木に囲まれた開けた場所があった。


「ここでいいですか」


「問題ない」


 アーヴィンが周囲を確認した。


「魔物の気配は」


「ありません。小動物が数匹だけです」


「よし」


 三人で野営の準備をした。


 アーヴィンが火を起こした。


 無駄のない動きだった。


 長年、一人で野営してきた動きだった。


 マユミが水を汲みに行った。


 俺は食料を確認した。


 マルティナが持たせてくれた干し肉と、乾燥した豆が少し。


 それから、小さな袋に入った塩。


「マルティナさんが持たせてくれました」


 袋を出した。


 アーヴィンが見た。


「気の利く人だな」


「そうです。余計なことを言わないで、こういうことをする人です」


「……そういう人間は、信頼できる」


「俺もそう思います」


 マユミが戻ってきた。


「水が冷たかった。飲め」


 革袋を渡してくれた。


 冷たい水だった。


 美味かった。



 夜、焚き火を囲んで座った。


 星が出ていた。


 アーゼルタウンでは街の灯りで見えなかった星が、ここでは見えた。


 マユミが空を見上げた。


「きれいだな」


「そうですね」


「田舎ではこんな星が見えた。ここは街に近いのに、よく見える」


「木が多いから、街の灯りが遮られているんでしょうね」


「そういう分析をするな、お前は」


「すみません」


「謝るな。それがお前だから」


 アーヴィンが焚き火を見ながら言った。


「レインも、よく星を見ていた」


 俺とマユミは黙って聞いた。


「夜の野営のとき、ずっと空を見ていた。何を考えているのか聞いたことがある」


「なんて言っていましたか」


「見えないものを考えていた、と言っていた」


「見えないもの」


「スキルで見えないものが、まだあるはずだと思っていたらしい。見えるものが増えるたびに、まだ見えていないものがあると気づく。それが気になって、空を見ていた、と」


 俺は少し考えた。


 見えないものを考える。


 スキルが成長するほど、まだ見えていないものがあることがわかる。


「俺も、同じかもしれません」


「そうか」


「今は感情の機微がぼんやり見えるようになりました。でも、次に何が見えるようになるのか、まだわかりません。もしかしたら、もっと先に見えるようになるものがあるかもしれない」


 アーヴィンはしばらく焚き火を見た。


「レインはそこまで辿り着けなかった」


「……そうですね」


「お前は、辿り着いてくれ」


 静かな声だった。


 でも、五年分の重さがあった。


「はい」


 俺は頷いた。


 約束した。


 言葉にしたわけじゃない。


 でも、約束した。



 夜が深くなった。


 見張りの順番を決めた。


 アーヴィンが最初、マユミが次、俺が最後。


「俺は見張り中もスキルで確認します。異常があれば起こします」


「頼む」


 アーヴィンが立ち上がった。


 マユミが横になった。


 俺は少し焚き火を見た。


「ヒコ」


 マユミが小声で言った。


「はい」


「今夜、アーヴィンが話したな」


「そうですね」


「あの人、少しずつ変わってる気がする」


「俺もそう思います」


「お前のおかげだと思う」


「みんなのおかげです」


「さらっと言うな」


「本当のことです」


 マユミはくすりと笑った。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 マユミの呼吸が、少しずつ穏やかになった。


 寝入ったらしかった。


 俺は焚き火を見た。


 火が揺れていた。


 アーヴィンが少し離れた場所で、静かに立っていた。


 その背中を見ながら、俺は思った。


 五年間、一人だった人間が、今夜は三人の焚き火の前にいる。


 少しずつ、変わっている。


 人間は、一人では変われないことがある。


 でも、隣に誰かがいれば、少しずつ変われる。


 現場でも同じだった。


 一人でできないことを、チームでやる。


 それが、仕事の本質だ。


 目を閉じた。


 草の匂いがした。


 木の匂いがした。


 火の匂いがした。


 三人分の、温かさがあった。


第三十一話「北への道と、三人の距離」 了

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