第二十九話「マユミへの約束」
数日後の夜。
討伐依頼を終えて、帰り道を歩いていた。
アーヴィンは先に宿に戻っていた。
今日の依頼では途中から動いてくれた。
連携の確認ができた。
二人きりになった道を、マユミと並んで歩いた。
夕暮れが街を橙色に染めていた。
風が来た。
少し、肌寒くなってきた季節だった。
マユミが口を開いた。
「なあ、ヒコ」
「はい」
「お前って、何者なんだ」
来た、と思った。
廊下での問いかけと同じ言葉だった。
でも今夜は、違った。
怒っているわけじゃない。
責めているわけでもない。
ただ、知りたい。
そういう目だった。
「……今夜、話します」
「本当に話すのか」
「はい。約束しましたから」
マユミは少し間を置いた。
「宿に戻ってからか」
「ここで話します。歩きながら」
「なんで」
「部屋で向き合って話すより、並んで歩きながらの方が、言いやすいことがあるので」
マユミは少し考えた。
「……現場仕込みか」
「違います。これは俺自身の癖です」
マユミは少し笑った。
「珍しいな、現場仕込みじゃないのか」
「たまにはあります」
俺は少し間を置いた。
どこから話すか。
全部話す、と決めた。
でも、順番は大事だ。
一番大事なことから話す。
「俺は、この世界の生まれじゃないです」
マユミの足が、少し止まった。
でも、すぐに歩き始めた。
「……続けてくれ」
「別の世界から来ました。もとは前田和彦という名前でした。五十歳で死んで——正確には、死んだのか転移したのかも、まだわかっていませんが——気づいたらこの体に入っていました」
「五十歳」
「はい」
「今の体は十五歳だろ」
「そうです。元々この体の持ち主のヒコという少年の記憶と、俺の記憶が混ざっています。だから言葉がわかる。この世界のことが、断片的にわかる」
マユミはしばらく黙って歩いた。
俺も黙って歩いた。
石畳の音だけがした。
しばらくして、マユミが口を開いた。
「五十歳の記憶がある、ということは」
「はい」
「現場仕込みの癖も、そこから来てるのか」
「そうです。ゼネコンという建設会社で、三十年以上働いていました」
「ゼネコン」
「建物を作る仕事です。この世界にはない言葉ですね」
「なんとなくはわかる」
マユミは少し考えた。
「段取りを組む仕事、と言っていたのは」
「そうです。現場監督という立場で、工事の段取りを組む仕事をしていました」
「だから段取りが得意なのか」
「三十年で染みついています」
マユミはしばらく黙った。
また石畳の音だけになった。
俺は続けた。
「最初から話そうとは思っていました。でも、どう話せばいいかわからなかった。信じてもらえるかどうかも、わからなかった」
「信じるよ」
マユミが言った。
即答だった。
「……早いですね」
「お前を見てればわかる。十五歳の判断じゃない。でも嘘をついている感じでもない。それがずっと引っかかってた」
「信じてくれるんですか」
「信じる。理由は今言った」
俺は少し黙った。
ありがとうございます、と言おうとした。
でも、言葉より先に、胸の中で何かが動いた。
五十年生きてきた。
前の世界では、本当のことを話せる相手がほとんどいなかった。
仕事の話はできた。でも、自分の話はできなかった。
この世界に来てから、マルティナとマユミという人間ができた。
それだけで、十分すぎるほどだった。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
「いや、言わせてください」
マユミは少し黙った。
「……まあ、いい」
しばらく歩いた。
街の灯りが増えてきた。
宿が近づいていた。
マユミが口を開いた。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「帰れるのか、元の世界に」
俺は少し考えた。
「わかりません。帰る方法があるかどうかも、わからないです」
「帰りたいか」
俺はしばらく歩きながら考えた。
正直に言えば、最初はそう思っていた。
でも今は——。
「今は、あまりそう思っていないです」
「なぜ」
「ここに、いたいと思う理由ができたので」
マユミは少し間を置いた。
「俺のことか」
「マユミさんだけじゃないです。マルティナさん、アーヴィンさん、ドガンさん、コルテさん、ガッツさん、ミルヴァさん。みんながここにいます」
「俺も入ってるけどな」
「はい。一番に入っています」
マユミは少し足を止めた。
俺も止まった。
マユミが俺を見た。
「さらっと言うな」
「本当のことです」
「本当のことでも、さらっと言うな」
「すみません」
「謝るな」
マユミは少し笑った。
今日一番、素直な笑いだった。
宿の前に着いた。
扉を押す前に、マユミが言った。
「一つだけ、頼みがある」
「はい」
「もう隠すな」
「はい」
「何か困ったことがあれば、言え」
「はい」
「一人で抱えるな」
「……はい」
マユミはしばらく俺を見た。
それから、扉を押した。
「行くぞ」
「はい」
食堂に入った。
マルティナが夕食を出してくれた。
アーヴィンがすでに席についていた。
四人で食べた。
いつもと同じ夕食だった。
でも、今日は少し違った。
マユミが俺の方を、ちらりと見た。
目が合った。
マユミは目を逸らした。
でも、口元が少し動いていた。
マルティナが厨房から顔を出した。
「今日は顔がいいな、二人とも」
「そうですか」
「うん。何かあったか」
「少し、話しました」
マルティナは少し間を置いた。
「そうか」
それだけだった。
全部わかっている、という顔だった。
アーヴィンは黙って飯を食べていた。
何も聞かなかった。
それがアーヴィンだった。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
今夜、マユミに全部話した。
信じてもらえた。
「もう隠すな」と言われた。
「一人で抱えるな」と言われた。
五十年生きてきて、そんなことを言ってくれる人間がいなかった。
前の世界では。
この世界には、いた。
それだけで、この世界に来た意味があった気がした。
大げさかもしれない。
でも、そう思った。
布団に横になった。
目を閉じた。
「一番に入っています」と言ったとき、マユミが足を止めた。
その瞬間が、まだ頭に残っていた。
子供の体は、正直だ。
心臓が、少し速かった。
目を閉じた。
第二十九話「マユミへの約束」 了




