第二十八話「アーヴィンの初日と、ドガンへの相談」
翌日の朝。
食堂に降りると、見慣れない背中があった。
背が高い。短い黒髪。革鎧。
アーヴィンだった。
食堂の隅の席で、黙々と飯を食べていた。
マルティナが厨房から顔を出した。
俺を見て、少し目が動いた。
「昨夜、来たよ」
「泊まったんですか」
「月極にした」
短かった。
それだけだった。
マルティナはまた厨房に戻った。
俺はアーヴィンの席に近づいた。
「おはようございます」
アーヴィンは顔を上げた。
「おはよう」
短かった。
でも、昨日より少し、声が軽い気がした。
「月極にしたんですね」
「マルティナさんに勧められた」
「そうですか」
「借金を返した実績がある人間だから、信頼できると言われた」
俺は少し笑った。
「マルティナさんらしいですね」
「……ああ」
アーヴィンはスープを一口飲んだ。
それ以上は言わなかった。
俺も隣に座って、朝食を食べ始めた。
しばらく、二人で黙って食べた。
悪くない沈黙だった。
マユミが降りてきた。
食堂を見渡して、アーヴィンを見て、少し目を丸くした。
「もういるのか」
「昨夜から泊まっていたそうです」
「……早いな」
マユミはアーヴィンの向かいに座った。
アーヴィンはマユミを見た。
「よろしく頼む」
「こちらこそ。強い人間がいるのは助かる」
マユミは率直だった。
アーヴィンは少し間を置いた。
「お前も強い」
「あんたには及ばないけどな」
「今は、そうかもしれない」
マユミは少し目を細めた。
「今は、って言い方が気になるな」
「鍛えれば変わる」
「教えてくれるのか」
「構わない」
マユミの目が輝いた。
俺はその会話を聞きながら、朝食を食べた。
二人の距離が、思ったより早く縮まっていた。
マルティナが厨房から顔を出した。
「三人分、そろったよ」
テーブルに朝食が並んだ。
いつもより少し豪華だった。
「サービスですか」
「新しい客が来た日くらいはね」
マルティナはそれだけ言って、また引っ込んだ。
アーヴィンはテーブルを見た。
少し、口元が動いた。
気のせいかもしれない。
でも、笑ったように見えた。
食事を終えて、ギルドに向かった。
三人で並んで歩いた。
初めてのことだった。
マユミが左、俺が真ん中、アーヴィンが右。
自然にそうなっていた。
歩きながら、マユミが言った。
「今日の段取りはどうする」
「コルテさんの定期依頼が午前にあります。午後は討伐依頼を一件入れたいと思っていました」
「討伐か。アーヴィン、一緒に来るか」
アーヴィンは少し考えた。
「今日は見ていく」
「見る、というのは」
「お前たちの動き方を確認したい。最初から戦力として動くつもりはない、と昨日言った」
「そうだったな」
マユミは頷いた。
「じゃあ今日は後ろで見ていてくれ」
「わかった」
俺はアーヴィンを見た。
「スキルで確認しながら動きます。アーヴィンさんの目と合わせれば、より精度が上がるかもしれません」
「どういう意味だ」
「俺のスキルはまだ感覚レベルです。アーヴィンさんが長年の経験で感じ取れるものと、俺のスキルで見えるものを照合できれば、双方の精度が上がる可能性があります」
アーヴィンはしばらく俺を見た。
「……面白い考え方だな」
「役に立てれば」
「やってみる」
ギルドに着いた。
掲示板を確認した。
黄色の紙が三件。
その中に一件、少し気になる依頼があった。
「街道沿い北側の森、Dランク相当の魔物の目撃情報。確認と可能なら討伐。報酬銅貨百二十枚。三人以上推奨」。
三人以上推奨。
今日は三人いる。
マユミに見せた。
「どう思いますか」
「百二十枚か。でも森の中は見通しが悪い。スキルは機能するか」
「試してみないとわかりません。でも、今日アーヴィンさんがいます。万が一のときの対処が変わります」
アーヴィンが紙を見た。
「Dランク相当の魔物なら、俺が動けば問題ない」
「それは最後の手段にしてください」
アーヴィンが俺を見た。
「なぜ」
「アーヴィンさんが動けば解決します。でもそれではお前たちの実力が上がらない。俺たちが動いて、本当にまずいときだけアーヴィンさんが動く。そういう段取りにしたいです」
アーヴィンはしばらく黙った。
「……わかった」
「ありがとうございます」
マユミが俺を見た。
「アーヴィンにそんなことを言えるのか、お前は」
「段取りの話なので」
「現場仕込みか」
「そうです」
マユミは少し笑った。
アーヴィンも、口元が少し動いた。
午前中、コルテの定期依頼をこなした。
アーヴィンは倉庫の入り口付近で腕を組んで見ていた。
コルテがアーヴィンを見て、少し目を丸くした。
「誰だ」
「パーティに加わった仲間です。アーヴィンさん、コルテさんです」
二人が見合った。
コルテがアーヴィンを頭から爪先まで見た。
「……冒険者か」
「そうだ」
「Eランクか?」
「そうだ」
コルテは少し黙った。
この場の全員が、アーヴィンのEランクを額面通りに受け取っていないことはわかっていた。
「まあ、ヒコの仲間なら問題ないだろう」
コルテはそれだけ言って、仕事の指示を出し始めた。
アーヴィンは黙って、全体を見ていた。
午後、北側の森に向かった。
街道を歩きながら、俺はスキルで周囲を確認し続けた。
小さい気配がいくつか。
大きい気配は、まだ遠い。
「森の手前、二百メートルほど先に大きい気配があります。今のところ動いていません」
「種類はわかるか」
マユミが聞いた。
「わかりません。でも、消耗していない。元気です」
「アーヴィン、どう思う」
アーヴィンは少し目を細めた。
「風の向きを見ると、こちらの匂いはまだ届いていない。気づかれていない」
「スキルと経験で同じことを確認できましたね」
俺はアーヴィンを見た。
アーヴィンは少し頷いた。
「お前のスキルは、使い方次第で相当な情報になる」
「まだ感覚レベルです」
「それでも十分だ。俺の経験で補完できる」
これが、アーヴィンが言っていた「様子を見る」ということだったのかもしれない。
昨日のセリウスの部屋から、すでに確認は始まっていたのかもしれない。
森の入り口で止まった。
スキルで確認した。
大きい気配が一つ。百メートル先。
体の状態——余裕がある。消耗ゼロ。
「一体です。百メートル先。完全に元気です」
「見えるか」
「まだです。木が邪魔して」
マユミが短剣を一本抜いた。
「引き寄せるか」
「できます。ただ、森の中は逃げ場が少ない。誘い出してから草原で戦う方がいいです」
「どうやって誘い出す」
「俺が森の入り口で音を立てます。気づいたら走って草原まで引き返す」
「また囮か」
「得意ではないですが、一番確実なので」
マユミは少し渋い顔をした。
「……アーヴィン、フォローを頼む」
「わかった」
アーヴィンが草原の端に移動した。
見えない位置で待機する形だ。
俺は森の入り口に近づいた。
深く息を吸った。
吐いた。
木の幹を、拳で二度叩いた。
どくん。
心臓が鳴った。
草が揺れた。
気配が動いた。
こちらに向かってくる。
速い。
俺は走った。
草原まで走り切った。
後ろを見た。
森から出てきた。
オークよりひと回り大きい魔物だった。
緑がかった皮膚。四本腕。重い足音。
スキルで確認した。
まだ元気だ。消耗していない。
「四本腕です。まだ余裕があります」
「わかった」
マユミが飛び出した。
速かった。
魔物が右腕を振り上げた。
「右上から来ます」
マユミが左に跳んだ。
腕が空を切った。
マユミが懐に入った。
短剣が走った。
でも、四本腕のうち二本がマユミを挟み込もうとした。
「左右から来ます。抜けてください」
マユミが前転した。
二本の腕が空振りした。
マユミが背後に回った。
「消耗し始めました。まだ余裕はありますが、削れています」
「わかってる」
マユミが連続で短剣を走らせた。
魔物が鳴いた。
重い、低い声だった。
でも、倒れなかった。
「まだあります。慎重に」
「わかってる」
マユミは距離を取った。
呼吸を整えた。
俺はスキルで魔物の状態を確認した。
消耗が増えている。でも、まだ三割以上余裕がある。
長期戦になる。
マユミの消耗も少しずつ増えている。
「マユミさん、少し削られています」
「大丈夫だ」
「無理はしないで」
「わかってる」
でも、マユミの動きが少し遅くなっていた。
俺はアーヴィンを見た。
アーヴィンは草原の端で静かに立っていた。
動く気配がなかった。
俺たちの動きを見ている。
信頼してくれているのか、判断を待っているのか。
もう少しだ。
マユミが四度目の攻撃を入れた。
今度は深く切れた。
魔物が大きく揺れた。
「大幅に消耗しました。あと一手です」
「わかった」
マユミが踏み込んだ。
迷いがなかった。
短剣が一閃した。
魔物が倒れた。
静かになった。
マユミが大きく息を吐いた。
俺は近づいた。
「怪我は」
「少し掠られた。大したことはない」
「見せてください」
左腕に切り傷があった。
先週よりは浅い。
新しい革鎧が防いでくれた部分があった。
「装備を替えてよかったですね」
「ああ。前の鎧だったら、もう少し深かった」
ポーションを出した。
マユミに渡した。
マユミが塗った。
「……ありがとう」
「当然です」
アーヴィンが近づいてきた。
マユミの傷を一瞬見た。
「動けるか」
「問題ない」
「次からは、左腕の防御をもう少し意識しろ。三度目の攻撃のとき、意識が右に偏っていた」
マユミは少し目を細めた。
「……見てたのか、ちゃんと」
「見ていた」
「じゃあ、もっと早く言えよ」
「戦闘中に余計な情報を入れると判断が鈍る。終わってから言う方がいい」
マユミはしばらくアーヴィンを見た。
「……なるほど」
「次は俺も動く。連携の確認をしたい」
「いつでも」
アーヴィンは俺を見た。
「スキルの精度、上がっているな」
「そうですか」
「戦闘中、情報の出し方が正確だった。タイミングも悪くない」
「マユミさんが信頼して動いてくれるから機能します」
「それがコンビだ」
アーヴィンは短く言った。
それだけだった。
でも、認めてもらった気がした。
ギルドに戻って報酬を受け取った。
百二十枚。山分けで四十枚ずつ。
「三人で山分けか」
マユミが言った。
「見ていただけのアーヴィンさんにも払います」
「なぜだ」
アーヴィンが聞いた。
「今日の情報と助言で、俺たちの動きが変わりました。それは報酬に値します」
アーヴィンはしばらく黙った。
「……今日は受け取る。次は全力で動く」
「よろしくお願いします」
三人で報酬を受け取った。
パーティとして、最初の一日が終わった。
夕方、宿に戻る前にドガンの事務所に立ち寄った。
ドガンがいた。
「少し相談があります」
「何だ」
俺は声を落とした。
「ベルガン・ロッシュについてです」
ドガンの目が、少し変わった。
「どこでその名前を」
「セリウスさんから聞きました。ドガンさんは、ベルガンを警戒していると」
ドガンはしばらく黙った。
それから、扉を閉めた。
「中で話そう」
事務所の奥の椅子に向かい合って座った。
「セリウスさんから何を聞いた」
「ベルガンが魔族と繋がっている可能性があること。俺のスキルを面倒だと思っていること。証拠がないから動けないこと」
ドガンはしばらく俺を見た。
「……セリウスさんは、お前をどこまで信頼しているんだ」
「全部話してくれました」
「全部、か」
ドガンは少し息を吐いた。
「俺がベルガンを警戒しているのは、お前が来るずっと前からだ。あいつの動きが、おかしい。商品の流れ、情報の扱い、人間関係。全部、普通の商人じゃない」
「具体的には」
「仕入れのルートが不透明な部分がある。特定の商品が、記録に残らない形で動いている。それが何かはわからない。でも、きれいじゃない」
俺は頷いた。
「俺に何かできることはありますか」
「今すぐは動くな。ベルガンは慎重だ。少しでも警戒されたら、証拠が消える」
「わかりました」
「ただ、一つだけ頼みたい」
「はい」
「お前が管理している在庫の記録、ちゃんと保管しておいてくれ。何か動いたとき、正確な記録が証拠になる」
「今までもそうしていますが、改めて徹底します」
「助かる」
ドガンは少し間を置いた。
「お前、怖くないのか」
「怖いです」
「それでも動くのか」
「怖いから動きます。知らないまま巻き込まれる方が、もっと怖い」
ドガンはしばらく俺を見た。
「……お前みたいな人間を、久しぶりに見た」
「どんな人間ですか」
「腹が据わっている人間だ」
俺は少し考えた。
「据わっているというより、段取りが見えているだけです」
「同じことだ」
ドガンは立ち上がった。
「気をつけろ。ベルガンは、俺が思っているより危険かもしれない」
「わかりました」
「また話そう」
「はい」
宿に戻った。
食堂に三人で座った。
マルティナが夕食を出した。
四人分だった。
「アーヴィンさんの分もですか」
「月極だから当然だろ」
マルティナは短く言った。
アーヴィンは少し、テーブルを見た。
四人分の夕食が並んでいた。
それを見て、少し間があった。
「……いただきます」
アーヴィンが言った。
初めて聞く言葉だった。
マルティナが厨房に戻りながら、小さく頷いた。
俺もマユミも、何も言わなかった。
四人で食べた。
食堂が、少し賑やかになった気がした。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
今日、アーヴィンが仲間になった最初の一日が終わった。
ドガンからベルガンの話を聞いた。
在庫記録を証拠として保管する、という段取りが決まった。
スキルとアーヴィンの経験が補完し合えることがわかった。
まだ先は長い。
でも、チームが少しずつ形になってきた。
一人より二人。二人より三人。
現場も同じだ。
いいチームは、少しずつ作るものだ。
目を閉じた。
第二十八話「アーヴィンの初日と、ドガンへの相談」 了




