第二十七話「セリウスの話」
翌日の朝。
目が覚めた。
今日、セリウスに会いに行く。
全部話す、と言っていた。
昨日のミルヴァの話が頭に残っていた。
可視化持ちが消えていく。
アーヴィンが過去に組んでいたパーティが全員消えた。
そして、商人ギルドの幹部の中に、俺のスキルが可視化であることを知る人物がいる。
点が増えてきた。
今日、それが線になるかもしれない。
深く息を吸った。吐いた。
怖い話が来るかもしれない。
でも、知らないまま動く方がもっと怖い。
現場でも同じだった。
問題から目を逸らした現場監督が、後で大事になるのを何度も見てきた。
向き合う。それだけだ。
食堂に降りた。
マユミがいた。
「おはよう」
「おはようございます。今日、一緒に来てもらえますか」
「セリウスさんのところか」
「はい」
「当然だ。一人で行かせるわけがない」
即答だった。
マルティナが朝食を出しながら言った。
「今日、セリウスさんのところに行くのか」
「はい」
「知った上で、どう動くかを決めればいい。知らないより知っている方がいい」
「そう思っています」
マルティナはそれだけ言って、厨房に戻った。
朝食を食べながら、マユミが言った。
「体の調子はどうだ」
「問題ないです。ただ——」
俺は少し止まった。
「昨日から、スキルが少し違う気がしています」
「どう違う」
「朝起きたとき、周囲の気配の輪郭が少し濃くなった気がして。今まで遠くのものはぼんやりしていたのに、もう少し情報がある感じがします」
「成長したのか」
「たぶん。昨日ミルヴァさんの話を聞いて、緊張が続いていた。そういう状況が引き金になることもあるのかもしれません」
「今日、確認できるな」
「そうですね。セリウスさんのところで試してみます」
ギルドに着いた。
受付の女性に声をかけた。
「セリウスさんに会いたいです。呼び出しを受けていました」
しばらくして、副官らしき男が来た。
「こちらへどうぞ」
ギルドの奥の部屋に通された。
小さな部屋だった。テーブルが一つ。椅子が四つ。
セリウスが座っていた。
そして。
アーヴィンも、壁際に立っていた。
マユミが小声で言った。
「やっぱりいた」
「予想通りですね」
俺は落ち着いて二人を見た。
スキルで確認した。
セリウス——体の状態は安定している。余裕がある。ただ、昨日より少し違う感覚がある。何か、緊張に近いものが滲んでいる気がした。
アーヴィン——体力は底が見えないほど余裕がある。でも、重いものを抱えている感覚は変わらない。五年分の重さだ、と昨日思ったことを思い出した。
今日は、昨日よりその「重さ」の輪郭が少しはっきりしていた。
スキルが、確かに動いている。
セリウスが言った。
「来てくれましたね。座ってください」
俺が座ろうとしたとき、セリウスがマユミの方を見た。
「マユミさん、申し訳ないですが、最初の話はヒコさんと二人で聞かせてください。少し待っていてもらえますか」
マユミは少し眉を上げた。
「俺は聞けないのか」
「内容によっては、ヒコさん自身が話すかどうか決めるべきことがあります。それを先に確認したい」
マユミはしばらく俺を見た。
俺は頷いた。
「後で全部話します」
「……わかった。外で待つ」
マユミは立ち上がって、扉の外に出た。
扉が閉まった。
部屋にセリウスとアーヴィンと俺だけになった。
セリウスは少し間を置いた。
「準備ができました。全部、話します」
静かな声だったが、重さがあった。
▼
セリウスは静かに話し始めた。
「まず確認させてください。あなたは、この世界の生まれではありませんね」
俺は少し止まった。
断定の口調だった。
質問ではなく、確認だった。
「……なぜわかりますか」
「長年、人を見てきました。十五歳の体で動く人間の判断ではない。言葉の選び方、状況の読み方、情報の整理の仕方——全部、別の世界で長く生きてきた人間のそれです」
元Sランクの冒険者が、長年かけて磨いた観察眼だった。
隠しても意味がない。
「そうです。俺は別の世界から来ました」
セリウスは頷いた。
「異界からの転移は、珍しくはありません。この世界には、時々そういう人間が現れます」
「珍しくない、というのは」
「百年に一度か二度、という頻度ですが。必ず何らかのスキルを持って来ます。あなたの場合は《可視化》でした」
俺は少し考えた。
転移者が百年に一度か二度。
そして、その多くが可視化を持っているわけではない。
可視化を持って来た転移者は、さらに稀なのかもしれない。
「この体の元の持ち主の記憶と、前の世界での記憶が混ざった状態で目覚めました。ヒコという名前や、この世界の言葉はそこから来ています」
「元の持ち主は、どういう人間でしたか」
「断片的にしかわかりませんが……田舎から出て、冒険者の下働きとして雇われた少年だったようです。里帰りする冒険者グループに同行して、途中で盗賊に襲われた。そこで意識が途切れています」
「その後、商人の護衛冒険者に助けられた形で目覚めた」
「そうです」
セリウスは頷いた。
「つまり、元のヒコという少年の体に、あなたの意識が入った。記憶が混ざっているから、この世界の言葉がわかる。でも、前の世界で生きてきた五十年分の経験も持っている」
「そういうことだと思っています」
「なるほど。それで合点がいきました」
「何がですか」
「あなたが十五歳の体で、五十歳の判断をする理由です」
▼
セリウスが本題に入った。
「可視化のスキルについて、話します」
俺は姿勢を正した。
「この世界では、過去に何人かの可視化持ちが確認されています。しかし、その多くが途中で消えています」
「消えた理由は何ですか」
「狙われたからです。魔族に」
静寂があった。
テーブルの上の燭台の炎が、少し揺れた。
セリウスが続けた。
「可視化のスキルは、魔族にとって最も都合が悪いスキルです。魔族のステータスやスキルが見えてしまう。弱点が露わになる。戦術が読まれる。だから、可視化持ちを優先的に排除しようとしています」
「魔族が俺の存在を知っているんですか」
「今のところは、知らないと思います。ただし——」
セリウスは少し間を置いた。
「商人ギルドの幹部の中に、魔族と繋がっている者がいる可能性があります」
ドガンが以前言っていた。
お前を面倒だと思っている幹部がいる、と。
「その幹部の名前は」
「ベルガン・ロッシュ。商人ギルドの副長です」
俺は名前を頭に刻んだ。
「証拠はありますか」
「確証はありません。状況証拠の積み重ねです。彼の行動パターン、情報の流れ方、消えた可視化持ちとの時系列的な一致。でも、それだけでは動けない」
「なるほど」
証拠がなければ動けない。
現場でも同じだった。
証拠なしの告発は、告発した側が不利になる。
「ドガンさんは知っていますか」
「ドガンさんは、ベルガンを警戒しています。ただ、詳しい事情は知らないと思います。あなたを面倒だと思っている幹部がいると伝えたのは、ドガンさんなりの警告だったと思います」
「ドガンさんを信頼していいですか」
「信頼できます。あの人は仕事に正直な人間です」
俺は少し安心した。
▼
セリウスがアーヴィンを見た。
「次は、アーヴィンから直接話してもらいます」
アーヴィンが壁から離れた。
椅子を引いて座った。
珍しかった。
いつも立っている人間が、座った。
何かを話す覚悟をした、ということだと思った。
アーヴィンは少し間を置いてから、静かに話し始めた。
「五年前、俺はBランクのパーティを組んでいた。四人だった。その中に、可視化のスキルを持つ男がいた」
「名前は」
「レイン。二十歳だった。転移者じゃない。この世界で生まれた、珍しいスキルの持ち主だった」
アーヴィンの目が、遠くを見るような目になった。
「レインのスキルは、俺たちの大きな武器だった。敵の弱点が見える。状態が見える。戦況の判断が早い。おかげでパーティは順調に実績を積んでいた」
「何が起きたんですか」
「ある依頼の途中だった。大きな依頼で、俺は別のルートを確認しに単独で動いた。戻ったとき、キャンプが跡形もなかった」
静かな声だった。
感情を抑えた声だった。
でも、その静かさが、逆に重かった。
「三人とも、消えていた。血の跡があった。戦った跡があった。でも、体が残っていなかった」
「魔族にやられたんですか」
「わからない。でも後から調べていくうちに、ベルガンの名前が浮かんできた。その依頼を仲介したのが、ベルガンの息のかかった商人だった」
俺は黙って聞いた。
「証拠はなかった。セリウスさんにも相談したが、動けなかった。だから俺は、単独で調べ続けた。パーティを組まなかったのは、また誰かを失いたくなかったからだ」
「ランクアップを拒否したのも」
「Aランクになれば目立つ。目立てば、ベルガンに俺の動きが伝わる可能性がある。低いランクのまま動いていた方が、調べやすかった」
俺はアーヴィンを見た。
五年間、一人で抱えてきた。
誰にも話せないまま、ただ調べ続けた。
「アーヴィンさん」
「うん」
「今日、俺たちに話してくれた理由は何ですか」
アーヴィンはしばらく黙った。
「お前のスキルを見たから」
「スキルを」
「レインと同じ可視化を持つ人間が現れた。でも、レインとは違う。レインは最初から数字が見えていた。お前は、少しずつ見えるものが増えている」
「その違いが、何か関係あるんですか」
「わからない。でも、お前のスキルが成長しているということは、まだ途中ということだ。今なら守れるかもしれない。五年前にできなかったことを、今度こそやれるかもしれない」
静かな声だった。
でも、確かな意志があった。
「一緒に動いてほしい」
アーヴィンが言った。
「パーティに加わってくれ。今度は、逃がさない」
俺は少し間を置いた。
「わかりました。歓迎します。ただ、一つだけ条件があります」
俺はアーヴィンを見た。
「全部、俺たちに話してください。情報を隠さないで。段取りを組むためには、情報が必要です」
「……わかった」
「それから、アーヴィンさんが一人で抱えなくていいです。今日からは、全員の問題です」
アーヴィンは少し黙った。
目が、少し動いた。
五年ぶりに、誰かにそう言われたのかもしれない。
「……そうか」
短かった。
でも、その二文字が、少し軽かった。
▼
セリウスが話を続けた。
「今後についてです。ベルガンへの対処は、証拠を集めてから動くことになります。今は直接動かない方がいい」
「どうやって証拠を集めますか」
「それが課題です。ベルガンは慎重な人間です。表立った動きをしない」
「ミルヴァさんが使えます」
セリウスが少し目を細めた。
「ミルヴァさんに話したのですか」
「昨日、裏の情報を聞きました。あの方は信頼できると思っています」
「……そうですね。情報ギルドには、私も頭が上がりません」
「正式に連携できますか」
「ミルヴァさんに直接交渉してみてください。あの方が了承すれば、私も協力します」
俺は頷いた。
段取りが見えてきた。
ミルヴァと連携して証拠を集める。
アーヴィンが持っている五年分の情報を整理する。
ベルガンの動きを把握する。
証拠が揃ったらセリウスが動く。
その間、俺たちは冒険者活動を続けながら実力をつける。
まだ先は長い。
でも、方向が見えた。
▼
話が一段落した頃、俺はセリウスに聞いた。
「一つ確認していいですか」
「どうぞ」
「俺のスキルが今日、少し変わった気がしています。試してもいいですか」
「どうぞ」
俺はスキルを意識した。
セリウスを見た。
男。職業——冒険者上がりの管理者。体の状態——余裕がある。消耗なし。ただ、今日は緊張している。隠しているが、確かに緊張がある。
「セリウスさん、今日は緊張していますか」
セリウスが少し目を細めた。
「……わかりますか」
「ぼんやりとですが。今日初めて感じました。今まで元気か消耗しているかしかわからなかったのに、もう少し細かい状態が感じ取れる気がして」
「確かに、今日は緊張しています。この話を正しく伝えられるか、ずっと考えていました」
今度はアーヴィンを確認した。
男。冒険者。体の状態——余裕がある。底が見えない。
でも今日は、それだけじゃない。
重さがある。体力とは別の重さ。ずっと何かを抱えてきた疲れ。
そして今日は、昨日より少しだけ、その重さが変わった気がした。
軽くなった、というわけじゃない。
でも、何かが動いた。
「アーヴィンさん、今日は昨日と少し違います」
アーヴィンが俺を見た。
「どう違う」
「重さは変わっていません。でも、何か動いた感じがします。うまく言えないですが」
アーヴィンはしばらく黙った。
「……話したから、かもしれない」
「そうですか」
「五年間、誰にも言わなかった。今日初めて、全部話した」
俺は頷いた。
言葉にならないものが、スキルに出ていた。
セリウスが静かに言った。
「スキルが成長していますね。感情の機微まで感じ取れるようになっている」
「ぼんやりとですが」
「それでも大きな変化です。最初の可視化持ちと比べても、段階的な成長は聞いたことがありません。あなたのスキルは、経験と感情に連動して開花しているようです」
「経験と感情に連動」
「辛い状況、強い感情、重要な決断。そういう瞬間に、スキルが一段階ずつ動いているように見えます」
俺は少し考えた。
確かに、スキルが変化したのはそういう瞬間だった。
マユミと初めて採取に出た頃。リザードマンと遭遇したとき。週黒字を達成したとき。マユミが好きだと言った夜。昨日のミルヴァの話を聞いた後。
全部、何かが大きく動いた日だった。
「段取りを組めますね」
「スキルの成長にですか」
「経験と感情が引き金になるなら、それを意識して動けます。大事な場面に向き合うことで、スキルが育つ」
セリウスは少し笑った。
「あなたらしい考え方ですね」
「現場でも同じです。成長する人間は、難しい現場に自分から入っていきます」
「現場、ですか」
「以前の仕事の言葉です。染みついているので」
▼
部屋を出た。
廊下でアーヴィンが俺の隣に来た。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「俺はパーティに加わるが、すぐに全力では動かない。様子を見る。お前たちの動き方を見て、信頼できると判断してから本気で動く」
「それでいいです」
「いいのか」
「当然の判断だと思います。信頼は少しずつ積み上げるものです」
アーヴィンは少し黙った。
「……お前、変な人間だな」
「よく言われます」
「いい意味で言っている」
アーヴィンは口元が少し動いた。
笑ったのかもしれない。
すぐ元の顔に戻ったが。
「よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
アーヴィンは歩いて行った。
背中が、少し前より軽い気がした。
五年分の重さが、全部消えたわけじゃない。
でも、一人で抱えなくてよくなった分、少し軽くなった。
そういう感じがした。
部屋を出ると、マユミが廊下で壁にもたれて待っていた。
腕を組んでいた。
「終わったか」
「はい。待たせてすみません」
「別にいい。でも」
マユミは俺を見た。
いつもより、少し真剣な目だった。
「お前って、何者だ」
俺は少し止まった。
「何者、というのは」
「なんか、ずっと引っかかってたんだよ。お前の判断の仕方、喋り方、考え方。普通の十五歳じゃない。それはわかってた。でも今日、セリウスさんがお前だけに話を聞いた。普通じゃないことが、もっとある気がして」
俺はしばらく考えた。
マユミの目が、真剣だった。
誤魔化しても、この人には伝わらない気がした。
「……今日のところは、まだ話せないです」
「なんで」
「俺自身、まだ整理できていないことがあって。でも、いつか必ず話します」
マユミはしばらく俺を見た。
「約束か」
「約束します」
マユミは少し間を置いた。
「……わかった。待つ」
それだけだった。
深追いしなかった。
それがマユミだった。
ギルドを出ると、マユミが隣を歩いた。
「どうだった、セリウスさんの話」
「整理が必要ですが、だいたい見えました」
「怖いか」
「怖いです。でも、知った上で段取りが組めます。知らないより、ずっといい」
「現場仕込みか」
「そうです」
「スキルの話は驚いた。感情まで感じ取れるようになってたのか」
「ぼんやりとです。正確かどうかわかりません」
「でも当たってた」
「今日は、たまたまかもしれません」
「謙虚だな」
「過信すると判断を誤るので」
マユミはしばらく歩きながら考えた。
「ベルガン・ロッシュか。ドガンさんの職場にいる人間だな」
「そうです。ドガンさんには、近いうちに相談します」
「危なくないか」
「ドガンさんを信頼していいとセリウスさんが言っていました。それに、ドガンさんはすでにベルガンを警戒しています。伝えることで、ドガンさん自身も身を守れます」
「情報を共有することで、全員が安全になる、か」
「そうです」
「現場仕込みか」
「そうです」
マユミはくすりと笑った。
「お前、今日は現場仕込みを何回言った」
「数えていないです」
「三回だ」
「すみません」
「謝るな。それがお前らしいから」
二人で歩いた。
街の音が戻ってきた。
怖い話を聞いた後だった。
でも、隣にマユミがいた。
アーヴィンが加わった。
段取りが見えてきた。
それで十分だった。
宿に戻った。
マルティナに報告した。
「セリウスさんから話を聞きました。アーヴィンさんもパーティに加わることになりました」
マルティナは少し間を置いた。
「アーヴィンが、か」
「はい」
「あの人が誰かと組むのは、久しぶりだろうな」
「五年ぶりだと思います」
マルティナはしばらく黙った。
「……あの人が飯を食いに来るたびに、疲れた目をしていた。今日来たら、少し顔が違うかもしれないな」
「そうかもしれません」
「今夜、来たら飯を出す。いつもより少し多めに」
マルティナはそれだけ言って、夕食の準備を始めた。
余計なことは言わない。
でも、こういうことをする。
それがマルティナだった。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
今日、セリウスから全部聞いた。
転移者がこの世界に来る仕組み。
可視化持ちが魔族に狙われる理由。
アーヴィンが五年間抱えてきたもの。
ベルガン・ロッシュという名前。
スキルが、また一段階動いた。
感情の機微まで、ぼんやりと感じ取れるようになった。
段取りが見えてきた。
ミルヴァと連携して証拠を集める。
アーヴィンの情報を整理する。
ベルガンの動きを把握する。
ドガンさんに相談する。
その間、実力をつける。
まだ先は長い。
でも、知らなかったときより、ずっと動きやすくなった。
情報は力だ。
それが現場での教訓だった。
この世界でも、同じだった。
目を閉じた。
第二十七話「セリウスの話」 了




