第二十六話「定期市と、新しい装備と、ミルヴァの情報」
週末の定期市だった。
大通りに露店が並んでいた。
食べ物、道具、布、武器、魔法道具。
人の波が一番多い日だ。
俺とマユミは並んで歩いた。
昨夜のことは、お互い何も言わなかった。
でも、歩く距離が少し近かった。
それだけで、十分だった。
まず食べ物の露店を見た。
焼きパンの店の前で、マユミが立ち止まった。
「これ、美味そうだな」
丸いパンに、ハーブを混ぜたチーズが挟んであった。
「買いますか」
「買う。お前も食べるか」
「食べます」
銅貨三枚ずつ。
歩きながら食べた。
チーズが溶けていて、ハーブの香りがした。
「美味い」
「美味いですね」
「定期市って、こういうのがあるから好きだ」
「普段の露店より種類が多いですね」
「街の外から商人も来るから。珍しいものが手に入ることもある」
俺は周囲を見渡した。
北の街から来た商人が鉱石を並べていた。
南の方らしき商人が、見たことのない果物を売っていた。
情報を集める場としても、定期市は使えると思った。
現場でも、同じ業者ばかりと付き合っていると情報が偏る。
定期的に違う場所を見て回ることで、相場感が養われる。
この世界でも同じだ。
道具の区画を歩いた。
採取用の麻袋が安く出ていた。
五枚で銅貨八枚。
「買っておきましょう」
「消耗品だからな」
麻袋と、砥石を一つ補充した。
銅貨十三枚。
マユミが香草の束を手に取った。
「これ、干し肉に使えるな」
「行動食用ですか」
「そうだ。遠征のときに重宝する」
「いくらですか」
「銅貨二枚」
「安いですね」
「定期市だから。普段の露店より安く出てる」
マユミは香草を三束買った。
俺はその隣で、小さな瓶を見た。
傷薬だった。
簡易ポーションより安い。効果は低いが、軽い傷なら十分だ。
二本買った。銅貨十枚。
「ポーションか」
「いつも持っておいた方がいいと思って。先週、マユミさんが怪我をしたので」
「気にしてたのか」
「気にします」
マユミは少し黙った。
「……ありがとう」
「当然のことです」
「当然じゃないぞ、普通は」
俺は少し考えた。
「現場では怪我人が出ると全員の士気が下がります。予防が一番です」
「……現場仕込みか」
「そうです」
マユミはくすりと笑った。
「お前、いつか現場仕込みじゃない理由を言えるようになるのか」
「難しいかもしれません」
二人で少し笑った。
定期市の賑やかさの中で、笑い声が混ざった。
武器・防具の区画に来た。
鍛冶ギルド正規品の露店が二つ出ていた。
俺はマユミの革鎧を確認した。
先週の討伐でいくつか傷がついていた。
「マユミさん、革鎧を少し見せてください」
「え、何で」
「傷の確認です」
マユミは少し驚いた顔をしたが、胸当てを外して渡した。
確認した。
傷は三か所。
一か所は深い。革が裂けかけていた。
「これ、次の討伐までに修理が必要です」
「そんなにひどいか」
「ここが裂けたまま攻撃を受けると、防御力がほぼなくなります」
マユミは渋い顔をした。
「修理代がかかるな」
「修理より、新しいものを買った方がいい段階かもしれません」
「新品か。高いぞ」
「確認だけしましょう」
鍛冶ギルドの露店に近づいた。
店主は五十代の男だった。
がっしりした体格。手に古い傷跡がある。
「何を探してる」
「軽革鎧を見たいです。女性用で、動きやすいタイプ」
店主はマユミを見た。
「冒険者か」
「Dランクです」
「なら、これだな」
棚から革鎧を出した。
マユミの今の鎧より少し厚みがある。でも軽い。
「素材が違います」
「そうだ。北の山に棲む魔物の革を使ってる。硬くて軽い。普通の革より三割は防御力が高い」
「値段は」
「銀貨三枚だ」
マユミが少し黙った。
銀貨三枚は銅貨三百枚。
俺は計算した。
今月末の給料が銀貨五枚。月極の宿代を払って残る分で十分買える。
「今日は確認だけにしましょう。月末の給料が入ってから買います」
「来月でいいのか」
「マユミさんの装備を優先すべきです。前衛の防具が先です」
マユミはしばらく俺を見た。
「……なんでそこまで考える」
「マユミさんが前で戦えるから、俺が後ろでスキルを使えます。その前衛の防具を後回しにするのは、現場の安全管理として間違っています」
「現場仕込みか」
「そうです」
マユミは革鎧を手に取って、重さを確かめた。
「動きやすい。これがいい」
「気に入りましたか」
「うん。でも、お前に出してもらうのは悪い気がする」
「投資です。マユミさんの防御力が上がれば、俺も安全になります」
「……わかった。でも必ず返す」
「俺の装備を買うときに手伝ってください。それで対等です」
マユミは少し笑った。
「それなら納得だ」
店主に声をかけた。
「月末に買いに来ます。取り置きはできますか」
「三日なら置いておける」
「月末の十五日に来ます。名前はヒコです」
「覚えておく」
店主はメモに書き込んだ。
メモを取る習慣がある店主は信頼できる。
現場でも、メモを取らない職人は後でトラブルを起こす。
短剣の露店も見た。
マユミが一本一本手に取って、確認した。
「短剣も、そろそろ替え時かもしれない」
「今使っているのは」
「二年使ってる。刃こぼれがある」
「今日、確認だけしておきましょう」
マユミは気に入った一本を見つけた。
細身で軽い。逆手で持ちやすい形だった。
「これ、いいな」
「値段は」
「銀貨二枚だ」
マユミは少し渋い顔をした。
「革鎧と合わせると銀貨五枚か」
「今月は革鎧だけにして、短剣は来月にしましょう」
「そうだな」
「でも、今日のうちにこれも取り置きを頼んでおきますか」
「同じ店主か」
「別の店ですが、取り置きを頼めるか聞いてみましょう」
店主に声をかけた。
一週間なら置いておけると言った。
「では来週、革鎧を買った後で来ます」
「わかった」
マユミが俺を見た。
「段取りを組んだな」
「先を見越しておいた方がいいので」
「現場仕込みか」
「そうです」
マユミはまた笑った。
「お前、本当に何でも現場に繋げるな」
「染みついているので」
「まあ、それがお前だからいいか」
定期市を一通り見て回った後、帰り道に差しかかった。
その時、後ろから声がかかった。
「待って。ちょうどよかった」
振り返った。
ミルヴァだった。
いつもと同じ、少し華やかな服。でも目が真剣だった。
「今日は情報料を取らない。聞いてほしいことがある」
俺は少し身構えた。
ミルヴァが無料で話すときは、理由がある。
「どこかで話せますか」
「情報ギルドに来て」
情報ギルドに入った。
いつもより静かだった。
他の職員が誰もいない。
ミルヴァが扉を閉めた。
「今日は他の人間を外に出した。この話は、二人だけで聞いてほしかったから」
俺とマユミは向かいに座った。
ミルヴァは椅子に座って、少し間を置いた。
「アーヴィンについて、新しい情報が入った」
「先日も情報を買いましたが、それと違う内容ですか」
「全然違う。先日売った情報は表の情報だ。今日のは、裏の情報になる」
ミルヴァは声を落とした。
「アーヴィンは、過去に可視化のスキルを持つ人間のそばにいた」
俺は少し止まった。
「どういう意味ですか」
「五年前、この街に可視化持ちの冒険者がいた。アーヴィンはその人間と組んでいた。Bランクのパーティだった」
「その人間は今どこに」
「いない。消えた」
静かな声だった。
でも、重さがあった。
「消えた、というのは」
「ある依頼の途中で、いなくなった。死体も見つかっていない。パーティの他のメンバーも、全員消えた。アーヴィンだけが残った」
俺はしばらく黙った。
マユミが言った。
「アーヴィンが殺したのか」
「わからない。ただ、アーヴィンはその後、単独行動しか取らなくなった。パーティを組まなくなった。ランクアップを拒否するようになった」
「セリウスさんが情報を閉じているのは、その件と関係がありますか」
「たぶん。セリウスさんとアーヴィンは、その依頼に何らかの形で関わっていたと思う。でも詳細は私にもわからない」
ミルヴァは俺を見た。
「あなたのスキルが可視化だと、この街で知っている人間は少ない。でも知っている人間は、確実にいる」
「誰がですか」
「セリウスさん。アーヴィン。それから、商人ギルドの幹部の中の一人」
商人ギルド。
ドガンの職場だ。
「商人ギルドの幹部、というのは誰ですか」
「名前は出せない。でも、先日ドガンさんが言っていた、お前を面倒だと思っている幹部と、おそらく同一人物だ」
俺は少し考えた。
点が繋がってきた。
可視化持ちが消えていく。
アーヴィンが過去に可視化持ちと組んでいた。
商人ギルドの幹部がヒコの存在を面倒だと思っている。
セリウスが情報を閉じている。
「なぜ今日、これを教えてくれるんですか」
ミルヴァは少し間を置いた。
「あなたが消えてほしくないから」
短かった。
でも、真剣だった。
「情報ギルドとして、というわけじゃないです。個人として」
マユミが俺を見た。
俺もマユミを見た。
ミルヴァが続けた。
「来てから二ヶ月、あなたを見てきた。段取りを組んで、人を大事にして、借金を返して、信用を積み上げた。そういう人間が消えるのは、損だと思う」
「損、という言葉を使いますね」
「私は情報屋だから。感情より損得で考える癖がある」
ミルヴァは少し笑った。
「でも今日は、損得だけじゃない」
俺はしばらく考えた。
「気をつけます。どうすればいいですか」
「セリウスさんに話を聞きに行くこと。あの人はまだ話せないことがあると言っていたでしょう。そろそろ話せる段階に来ていると思う」
「なぜそう思いますか」
「アーヴィンがDランク試験の補助役として動いた。あれは、セリウスさんがアーヴィンを動かしたということだ。アーヴィンがお前を直接確認した。次は、セリウスさんが動く番だと思う」
俺は頷いた。
「わかりました。近いうちに、セリウスさんに話しに行きます」
「それがいい」
「今日、ありがとうございます」
「礼はいい。ただ」
ミルヴァは少し俺を見た。
「一つだけ頼みがある」
「何ですか」
「消えないでくれ」
短い言葉だった。
でも、重さがあった。
「……はい」
俺は頷いた。
それだけだった。
外に出た。
マユミが隣を歩いていた。
しばらく、二人とも黙っていた。
街の音が聞こえた。
露店の声。子供の笑い声。馬車の音。
日常の音だった。
でも、頭の中は日常じゃなかった。
マユミが口を開いた。
「怖いか」
「怖いです」
「正直だな」
「嘘をついても仕方ないので」
「俺も怖い」
マユミは珍しく、そう言った。
「マユミさんが怖いと言うのは珍しいですね」
「そりゃ怖いよ。お前が消えるかもしれない、って話をされたんだから」
俺は少し止まった。
「俺のことを心配してくれているんですか」
「当たり前だろ」
マユミは少し前を向いたまま言った。
「お前が消えたら、誰が段取りを組むんだ。誰が後ろから情報を出してくれるんだ。誰が……」
マユミは少し黙った。
「誰が、隣にいるんだ」
俺は少し止まった。
心臓が、少し速くなった。
「消えません」
「約束か」
「約束します」
マユミはしばらく歩いた。
それから、少しだけ俺の方に体を傾けた。
肩が触れた。
昨夜と同じだった。
でも今日は、外だった。
人が多い大通りだった。
でも、マユミは離れなかった。
俺も動かなかった。
しばらく、そのまま歩いた。
風が来た。
夕方の光が街を照らしていた。
怖い話を聞いた後だった。
でも、今この瞬間は。
温かかった。
宿に戻った。
マルティナが夕食の準備をしていた。
「今日は遅かったな」
「定期市を見て、その後少し話があって」
「定期市、何か買ったか」
「麻袋と砥石と傷薬です。あとマユミさんの革鎧を月末に買う取り置きをしました」
マルティナはマユミを見た。
「鎧を替えるのか」
「傷が入ってたんだ。ヒコが見つけた」
「そうか。ちゃんと見てもらってよかったな」
「うん」
マルティナは少し俺を見た。
「傷薬も買ったのか」
「はい。マユミさんが先週傷を負ったので」
「……面倒見がいいな」
「当然のことをしているだけです」
マルティナは少し笑った。
「当然のことをちゃんとできる人間は少ないんだよ」
夕食が出た。
今日は野菜と豆のスープだった。
質素だったが、温かかった。
三人で食べた。
マルティナが途中で口を開いた。
「セリウスさんから伝言を預かってる」
「セリウスさんから」
「近いうちに話したいことがある、来てほしい、と。いつ来られるか聞いてきてほしいと言っていた」
俺はミルヴァの言葉を思い出した。
次はセリウスさんが動く番だと思う。
予測通りだった。
「明日、ギルドに行きます」
「そう伝える」
マルティナはそれだけ言って、スープを飲んだ。
マユミが俺を見た。
俺も見た。
お互い、何も言わなかった。
でも、わかっていた。
いよいよ、動き始める。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
今日、定期市でマユミの装備を確認した。
月末に革鎧と短剣を買う段取りを組んだ。
麻袋と砥石と傷薬を買った。
ミルヴァから裏の情報を聞いた。
可視化持ちが消えていく理由の輪郭が、少し見えてきた。
セリウスから呼び出しが来た。
怖い話だった。
でも、マユミが肩を寄せてくれた。
消えない、と約束した。
段取りは、まだ組めていない。
でも、動き始めている。
現場でも同じだった。
全部わかってから動くことはできない。
わかった分だけ動いて、動きながら考える。
それが叩き上げのやり方だ。
目を閉じた。
第二十六話「定期市と、新しい装備と、ミルヴァの情報」 了




