第二十五話「Dランク最初の依頼と、二人の夜」
木曜日の朝。
目が覚めた。
Dランクになって、最初の朝だ。
何かが変わったわけじゃない。
カードの色が少し変わっただけだ。
でも、使える依頼が増えた。
それは確かに変わった。
食堂に降りた。
マユミがいた。
今日は少し目が輝いていた。
「おはよう」
「おはようございます。今日からDランクですね」
「うん。早速、依頼を見に行こうと思ってた」
「俺も同じです」
マルティナが朝食を出した。
「今日から依頼の幅が広がるな」
「そうです」
「無理をするな」
「わかっています」
「Dランクになったからといって、急に強くなったわけじゃない。カードが変わっただけだ」
俺は少し頷いた。
「肝に銘じます」
「お前はわかってると思うが」
マルティナはマユミを見た。
「こっちが心配だ」
「私は無理しない」
「お前の無理はスケールが大きいから心配なんだ」
マユミは少し黙った。
「……気をつける」
「そうしな」
マルティナはそれだけ言って、厨房に戻った。
マユミが俺を見た。
「マルティナさんに心配されてる」
「それだけ見ていてくれているということです」
「……そうだな」
マユミは少し、柔らかい顔をした。
ギルドに向かった。
掲示板を確認した。
黄色の依頼が増えていた。
Dランク以上対象。
報酬が上がっている。
俺は全部読んだ。
マユミも読んでいた。
五件ほどの黄色の依頼があった。
俺は三件に絞った。
一件目。「森の入り口付近でオーク一体の目撃情報。確認と処理。報酬銅貨百枚。二人以上推奨」。
二件目。「街道沿い、中型魔物の巣の調査。報酬銅貨八十枚」。
三件目。「北の森、薬草の希少種採取。危険区域内。報酬銅貨百二十枚」。
マユミに見せた。
「どう思いますか」
マユミは三件を確認した。
「オークか。先週のゴブリンより手強いな」
「Dランク相当の魔物です。でも一体なら」
「私は倒せる。問題はお前の安全だ」
「後方でスキルを使います。今日は少し遠めに下がります」
「それなら問題ない」
「一件目にしますか」
「する」
午前中、コルテの定期依頼を終わらせた。
昼前にギルドで合流して、森の方向へ向かった。
歩きながら、段取りを確認した。
「オークは一体です。発見したらまずスキルで状態を確認します。マユミさんに伝えてから戦闘に入ってください」
「一体なら正面から行ける」
「ただし、近くに別の個体がいる可能性があります。俺が周囲を確認し続けます。何か感じたらすぐ言います」
「わかった」
「撤退の判断は俺がします。いいですか」
「いい。お前の判断を信じる」
マユミは即答した。
ゴブリン討伐のときと同じ言葉だった。
俺はそれが、少し嬉しかった。
森の入り口付近に着いた。
木が増えてきた。草が深い。
スキルで周囲を確認した。
いる。
大きい気配だった。
ゴブリンとは全然違う。
重さがある。
「います。正面、四十メートルほど先。大きいです」
「消耗は」
「少し消耗しています。元気満タンではない」
「好都合だ」
「周囲を確認します」
スキルを広げた。
他の気配を探した。
右後方に小さい気配が二つ。でも遠い。百メートル以上ある。
左側には何もない。
「周囲は安全です。右後方に小さい気配が二つありますが、遠い。今すぐ問題はありません」
「わかった。行く」
「気をつけて」
「お前こそ、離れてろ」
マユミが進んだ。
俺は後方に下がった。
三十メートルほど距離を取った。
スキルで状況を把握し続けた。
オークの気配。マユミの動き。右後方の小さい気配。
全部、同時に確認した。
草むらが揺れた。
オークが出てきた。
大きかった。
マユミの倍近い体格だった。
でも、マユミは動じなかった。
短剣を二本抜いた。
低い姿勢で、間合いを測った。
オークが踏み込んだ。
マユミが横に動いた。
速かった。
オークの攻撃が空を切った。
「マユミさん、左から振り上げてきます」
「わかった」
マユミが右に跳んだ。
オークの左腕が空を切った。
マユミが懐に入った。
短剣が走った。
オークが鳴いた。
低い、重い声だった。
でも、倒れなかった。
「まだ余裕があります。消耗が増えました。今が好機です」
「わかってる」
マユミが再び踏み込んだ。
今度は止まらなかった。
短剣を二本、連続で走らせた。
オークが揺れた。
膝をついた。
そのまま倒れた。
静かになった。
マユミが大きく息を吐いた。
俺は近づいた。
「怪我は」
「ない。今日は当たらなかった」
「よかったです」
「お前の情報が正確だった。左から来るってわかってたから避けられた」
「マユミさんの動きが速かったからです」
「二人でやった結果だ」
マユミは短剣を拭いた。
俺は周囲を確認した。
右後方の小さい気配は、まだ遠い。
こちらには気づいていないようだった。
「安全です。帰りましょう」
「そうだな」
二人で歩き始めた。
ギルドに戻って報告した。
受付の女性が確認した。
「オーク一体、討伐完了。Dランクの最初の依頼ですね」
「はい」
「問題なかったですか」
「問題ありませんでした」
「報酬は百枚。山分けで五十枚ずつ」
五十枚を受け取った。
Eランクのときの採取一件が八枚だった。
Dランクの最初の依頼が五十枚だ。
報酬が上がった。
これが積み重なれば、装備のグレードアップもできる。
先が見えてきた。
宿に戻る途中、露店が並んでいた。
定期市ではないが、いくつか出ていた。
マユミが立ち止まった。
「腹が減った」
「そうですね。昼を抜いていました」
「何か食べよう」
串焼きの露店があった。
今日は肉と野菜を交互に刺した串だった。
「これにします」
「私も」
二本ずつ買った。
銅貨四枚。
立ったまま食べた。
肉が柔らかかった。野菜に塩が効いていた。
「美味いな」
「美味いです」
「討伐の後の飯はいつも美味い」
「そうですね。外で食う飯は美味い」
「現場仕込みか」
「そうです」
マユミは少し笑った。
二人で並んで、串焼きを食べながら歩いた。
風が来た。
夕方の光が街を照らしていた。
普通の一日だった。
でも、なんとなく、今日は特別な気がした。
うまく言えないが、そういう日がたまにある。
宿に戻った。
マルティナに報告した。
「Dランク最初の依頼、終わりました。オークを一体です」
「怪我は」
「二人ともありません」
「そうか」
マルティナはしばらく二人を見た。
「いい顔をしてるな、二人とも」
「そうですか」
「達成した顔だ。それがいい」
夕食は普通のシチューだった。
でも、今日は十分だった。
夕食が終わった。
マユミが立ち上がって、少し止まった。
「ヒコ」
「はい」
「今日、部屋に来てもらってもいいか」
俺は少し間を置いた。
前回と同じ聞き方だった。
でも、今日は顔が違った。
前回は、何かを伝えようとしている顔だった。
今日は、もう決めている顔だった。
「わかりました」
マルティナが厨房から顔を出した。
何も言わなかった。
でも、今日は目を逸らした。
珍しかった。
マユミの部屋に入った。
壁の地図は前と同じだった。
でも、今日は少し片付いていた。
マユミは椅子に座った。
俺は向かいに座った。
しばらく、二人とも黙っていた。
灯りが揺れていた。
マユミが口を開いた。
「今日、オークを倒した後、少し思ったことがある」
「何ですか」
「お前が後ろにいる、って感覚が、すごく安心するんだよな」
俺は少し黙った。
「戦闘中にですか」
「戦闘中も。それ以外も。なんか、ずっとそう思ってる」
マユミは少し下を向いた。
「前に好きだって言ったけど、それだけじゃないと思って。もっと……一緒にいたい、という感じがする」
俺は少し考えた。
五十年生きてきた。
こんな言葉をかけられたのは、初めてだった。
正直に言えば。
「俺も同じです」
「同じ、というのは」
「一緒にいたい。後ろにいたい。前に出てくれる人間の後ろで、できることをしたい。マユミさんの後ろが、一番自分らしいと思っています」
マユミは顔を上げた。
「……後ろって言うな。なんか、雑に聞こえる」
「すみません。そういうつもりじゃなくて」
「わかってる」
マユミは少し笑った。
「でも、後ろから支えてくれる人間って、大事だよな。私、一人でずっと前だけ見てたから」
「これからは二人で見ましょう。前も後ろも」
マユミはしばらく、俺を見た。
灯りが揺れた。
マユミが立ち上がった。
そのまま、俺の方に来た。
距離が縮まった。
肩が触れた。
前回と同じだった。
でも今回は、マユミがそのまま、俺の肩に頭を乗せた。
重さがあった。
温かかった。
俺は動かなかった。
マユミも動かなかった。
ただ、そのままでいた。
灯りが揺れていた。
部屋が静かだった。
しばらくして、マユミが言った。
「今日は、このくらいでいい」
「はい」
「焦るな」
「焦っていないです」
「嘘つくな」
「……少しだけ」
マユミはまた笑った。
くすくすと笑った。
俺の肩に頭を乗せたまま笑った。
温かかった。
その温かさが、少し、胸に広がった。
五十年生きてきて、こういう時間があるとは思っていなかった。
この世界に来て、よかったと思う瞬間が増えていた。
これもその一つだった。
確かに、その一つだった。
少し時間が経って、マユミが顔を上げた。
「部屋に戻れ」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
俺は部屋を出た。
廊下を歩きながら、窓の外を一瞬見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
心臓がまだ、少し速かった。
子供の体は、正直だ。
でも、この感覚を嘘だとは思わなかった。
部屋に入った。
目を閉じた。
マユミの重さが、まだ肩に残っている気がした。
第二十五話「Dランク最初の依頼と、二人の夜」 了




