第16話 命を置く
今日、土に種を置いた瞬間から、もう引き返せない
種を蒔く行為は、信用の表明だ。
ここで生きていくと、土に宣言することだ。
――その覚悟がなければ、農業は始まらない。
堆肥が届いたのは、約束通り明後日の朝だった。
牛二頭分。
荷台に積まれた木桶が四つ。
エルナが荷台を見て、少し頷いた。
「量は十分です」
「よかった」
「ただし、今日中に土に混ぜないといけない。
腐敗が進む前に」
「人手は」
「ゾルド、リク、カイン、あとうちの村から三人。
七人いれば一日で終わります」
「手配します」
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カインを探した。
井戸の近くにいた。
水を汲んで、難民の子供たちに渡していた。
「カインさん、少し話せますか」
カインは俺を見た。
「……何ですか」
「農地の作業を手伝ってもらえますか。
今日中に堆肥を混ぜ込む必要があります」
「やります」
即答だった。
俺は少し引っかかった。
「カインさん」
「何ですか」
「村人との距離、気になっていますか」
カインは少し止まった。
「……別に」
「無理に縮める必要はないです。
ただ、気になっているなら話してください」
「難民と村人は、立場が違う。
俺たちがいることで、食料が減る。
それは事実です」
「今は、食料が増える動きをしています。
カインさんも、その一部です」
「……難民だからというわけじゃなく、人手として使っている、ということですか」
「そうです」
カインは少し下を向いた。
「それで、いいです。……使われる側の方が、楽だ」
俺は一瞬だけ言葉を止めた。
「分かりました。エルナさんの指示で動いてください」
カインは頷いた。
色が、少し変わった。
複雑だった何かが、わずかに澄んだ。
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午前中、全員で堆肥を混ぜた。
北区画から始めた。
土を再び起こして、堆肥を混ぜ込んで、また均す。
単純な作業だったが、重かった。
ゾルドが黙々と動いた。
カインがその隣で、同じペースで動いた。
二人は会話をしなかった。
ただ、同じ方向を向いて動いていた。
それで十分だった。
ただ、北区画の一角。
昨日見えた“沈んだ色”は、消えていなかった。
堆肥を入れても、反応が鈍い。
まるで、土が拒んでいるようだった。
――後回しにする。今は、全体を動かす。
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昼前にエルナが区画の確認をした。
手で土を触って、握って、崩して。
また触って。
「いいです」
「種を蒔けますか」
「午後に蒔きます」
エルナは立ち上がって、全員を見た。
「午前中、ありがとうございました。
午後は私と、やれる人間だけ残れば十分です」
「俺も残ります」
エルナが俺を見た。
「……領主様が種蒔きを?」
「現場に出ない領主に、現場は分からないので」
エルナは少し間を置いた。
「……分かりました」
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午後。
エルナ、ゾルド、カイン、リク、俺の五人が北区画に残った。
エルナが種袋を開けた。
小麦の種。
細かくて、軽い。
エルナが一粒、手に取った。
それを、土に置いた。
「ここに、命を置きます」
誰も、声を上げなかった。
ゾルドが手を伸ばした。
エルナから種を受け取って、隣の土に置いた。
リクが続いた。
カインが続いた。
俺も続いた。
五人で、黙って種を蒔いた。
一列、また一列。
土が種を受け取った。
それだけだった。
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種蒔きが終わった頃、サヤが来た。
林の縁からではなく、農地の方から来た。
初めてだった。
「種を蒔いたのですか」
「今日、蒔きました」
サヤは北区画を見た。
何も言わなかった。
ただ、しばらく見ていた。
「……この地で、農業をやった人間は長続きしません」
「そう聞きました」
「魔力濃度が高い。植物の成長が速い分、魔物も引き寄せる。
土が良すぎると、外から狙われます」
「知っていましたか、最初から」
「知っていました」
「なぜ、教えてくれなかったんですか」
サヤは少し考えた。
「……あなたたちが、どこまでやるか見ていました。
途中で逃げるなら、教える必要はない。
逃げなかったので、教えます」
俺は少し笑った。
「試されていましたか」
「試したわけではありません。
ただ、十年で、ここに来た人間の全員が逃げました」
「それは困りましたね」
「……ええ」
サヤの色が、わずかに動いた。
何かが、解けたような色だった。
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サヤが続けた。
「魔力濃度が高いと、具体的に何が起きますか」
「植物の成長が、通常の一・五倍から二倍になります。
ただし、病害虫の発生も早い。
雑草の繁殖も早い。
管理を怠ると、すぐ荒れます」
「農地の管理を怠れない、ということですね」
「はい。逆に言えば、きちんと管理すれば収穫が倍になります。
ただし、収穫期は一番危険です。
匂いと魔力で、広範囲から引き寄せます。
この地が豊かだったのは、そのためです」
エルナが聞いていた。
「……倍」
「管理が追いつけば、です」
「管理を追いつかせるためには」
「人手と、魔物の防除です」
エルナは農地を見た。
「防除は、ヒコ様に頼めますか」
「やります」
エルナは短く頷いた。
「なら、収穫は倍を目指します」
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サヤが帰る前に、俺は一つ聞いた。
「この地の魔力濃度が高い理由は分かりますか」
「地脈が交差しています。この地の地下に、魔力の流れが集まる構造があります。
自然に形成されたものですが、長い時間をかけて濃くなりました」
「ダンジョンが発生しやすい地形、というのも」
「そのためです。魔力が一点に溜まると、ダンジョンになる。
この地の地下に、すでに兆候があります」
俺は止まった。
「兆候、とは」
「小さな空洞が、地下に生まれています。
……自然発生にしては、形が整いすぎています」
俺はサヤを見た。
「人為的、ということですか」
「断定はできません。
ただ――違和感があります」
「場所は」
「北東の地下、二十メートルほどの深さです」
俺は地図を出した。
北東に印をつけた。
「ありがとうございます。これは重要な情報です」
「役に立てば」
「役に立ちます」
サヤはまた、林の方に戻っていった。
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夕方、全員で報告を共有した。
「今日、二つのことが分かりました」
全員が聞いた。
「一つ目。この地の魔力濃度が高く、農地の収穫が倍になる可能性がある。
ただし、それだけ魔物も引き寄せる」
「守れれば、豊かになる」
アーヴィンが短く言った。
「そうです。二つ目。
北東の地下に、ダンジョンの兆候があります。
一年から二年で発生する可能性がある」
リアが手を挙げた。
「確認できますか。索敵魔法で地下を」
「難しいです」
「可視化は」
「試してみます。ただ、地下は色が読みにくい」
「分かりました。来週、一度試します」
コリンが頷いた。
「ダンジョンが発生すると、結界の設計を変える必要があります。
地下からの侵入ルートが生まれます」
「その前に把握しておきたい」
「はい。北東エリアの結界を少し強化しておきます」
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ミルヴァが地図を見た。
「北東の地下にダンジョンの兆候があって、東の森に目印がある」
「ほぼ同じ方角だ」
マユミが言った。
「観察している人間が、ダンジョンの位置を知っている可能性がある」
俺は少し考えた。
「あるいは、ダンジョンの位置を知っているから、観察している」
「どちらにしても」
「引き続き、警戒が必要です。
ただ、今は動かない。十日の猶予はまだあります」
「分かった」
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夜。
農地の方を見た。
暗くて、何も見えなかった。
ただ、種が土の中にある。
《可視化》を向けると、ぼんやりと色が見えた。
小さい。
薄い。
だが、確かにそこにある。
命の色だ。
エルナが言っていた言葉を思い出した。
「ここに、命を置きます」
農業は信用の表明だ。
この地で生きていくという、宣言だ。
今日、六人でそれをやった。
魔物が来るかもしれない。
ダンジョンが生まれるかもしれない。
観察している人間が何かを企んでいるかもしれない。
それでも、種を置いた。
置いた以上、回収はできない。
育てるか、失うか。そのどちらかだ。
――それでも、置いた。
――段取りは、後のことを考えすぎると止まる。
まず、今できることを置く。
それが積み重なって、現場になる。
俺は次の段取りを組んだ。
農地の水路整備。北東エリアの調査。土塁の延伸。ミルヴァの外部調査継続。
やることは尽きない。
それでいい。
現場が動いている証拠だ。
第16話 命を置く 了
【次回】
農地に水路を引く話をしていたとき、バルドが言った。
「昔、この村に水路があった。埋められたんだ」
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【領地収支】
・所持金 :金貨70枚(-3枚)
・収入 :なし
・支出 :堆肥残金 金貨3枚
※報奨金 金貨100枚(王都より後日支払い予定)
【発展進捗】
・防衛 :85%(変化なし・北東エリアの結界補強着手予定)
・食料 :25%(北区画に種蒔き完了・収穫期:秋・管理体制確立)
・水 :50%(変化なし)
・住居 :40%(変化なし)
・インフラ:0%(変化なし・水路整備が次の課題)
今日の進捗:北区画に種蒔き完了。農地の魔力特性(収穫倍増・魔物誘引)をサヤから情報入手。北東地下にダンジョン兆候を確認。観察者の目印と方角が一致。カイン、村人との距離が縮まり始める。




