第百三十六話「帰還」
《無名の踏域》を出た。
霧が、なかった。
地形が、変わっていなかった。
魔核が消えた。
それだけで、霧も地形の変化も、止まっていた。
ベルガンが静かについてきた。
逃げなかった。
武器を取らなかった。
ただ、歩いた。
全員が森を抜けた。
空が見えた。
青かった。
マユミが空を見た。
「晴れてるな」
「はい」
「中にいる間、空が見えなかった」
「そうですね」
マユミが少し前を向いた。
「終わったな」
俺は少し間を置いた。
「終わりました」
「実感があるか」
「まだ、あまり」
マユミが少し笑った。
「俺もだ」
全員で歩いた。
街道に出た。
人通りがあった。
いつもの道だった。
でも、今日は少し違って見えた。
ベルガンが隣を歩いた。
俺の少し後ろだった。
しばらくして、ベルガンが口を開いた。
「一つだけ聞いていいか」
「はい」
「レインの件は、アーヴィンに伝えたか」
「伝えました」
「あの反応は」
「柄を握っていました」
ベルガンが少し間を置いた。
「それだけか」
「それだけです」
「そうか」
ベルガンが静かに言った。
「俺が止めなかった。それは事実だ。言い訳はしない」
俺は少し間を置いた。
「アーヴィンさんがどうするかは、アーヴィンさんが決めることです」
「そうだな」
ベルガンが前を向いた。
「合理的な男だ、あの剣士は」
「そうですか」
「感情で動かない。動くときは、全部が決まってから動く」
俺は少し間を置いた。
「そういう人です」
「似ているな、お前と」
「俺はもう少し、感情で動きます」
「そうは見えなかった」
「現場では抑えます。でも、帰ってきてから出ます」
ベルガンが少し間を置いた。
「人間らしいな」
静かな言葉だった。
批判ではなかった。
ただの、観察だった。
俺は少し前を向いた。
「ベルガン」
「何だ」
「あなたは、人間を資源だと言いました。でも、今日話してみて、それだけではないと思いました」
「何が違う」
「計算が終わったとき、逃げなかった。合理的に考えれば、逃げる選択肢もあったはずです」
「あった」
「なぜ逃げなかったのですか」
ベルガンが少し間を置いた。
「終わりにしたかった」
「終わり、とは」
「浸食作戦だ。続けることに、意味を感じなくなっていた」
「いつからですか」
「お前たちが動き始めてからだ」
俺は少し間を置いた。
「俺たちが」
「可視化スキルを持つ者が、消えずにここまで来た。それが、俺の計算を変えた」
「計算が変わると、終わりにしようと思うのですか」
「間違った計算を続けることほど、非合理なことはない」
俺は少し間を置いた。
その考え方は、わかった。
現場でも、同じだった。
間違いに気づいたら、止める。
続けることが最大の損失になる。
「わかります」
「そうか」
「現場では同じです。段取りが間違っていたら、早めに止める方が全体の損失が少ない」
ベルガンが少し間を置いた。
「お前と話すのは、悪くなかった」
「俺もそう思います」
ベルガンが少し前を向いた。
「ただ、立場は違う」
「はい」
「それは変わらない」
「わかっています」
街が近くなった。
門をくぐった。
街の中に入った。
人がいた。
市場の声がした。
いつもの街だった。
ギルドに向かった。
セリウスさんが、門の前で待っていた。
全員を見た。
一人ずつ確認した。
それから、ベルガンを見た。
何も言わなかった。
でも、色が変わった。
安堵と、複雑なものが混ざっていた。
「全員、無事ですか」
「全員、無事です」
「ベルガンは」
「自分から来ました」
セリウスさんがベルガンを見た。
ベルガンがセリウスさんを見た。
どちらも、しばらく何も言わなかった。
セリウスさんが先に口を開いた。
「久しぶりだ」
「そうだな」
短かった。
でも、二人の間に何かがあった。
俺には、全部は見えなかった。
でも、長い時間があったことはわかった。
「引き渡します」
俺が言った。
「わかりました」
セリウスさんが部下に指示した。
ベルガンが、静かについていった。
逃げなかった。
最後まで。
ギルドの中に入った。
セリウスさんの部屋だった。
全員が椅子に座った。
セリウスさんが全員を見た。
「よくやりました」
全員が少し間を置いた。
「ありがとうございます」
コリンが言った。
「魔核は破壊しました。浸食作戦は止まります」
「はい。本部にも報告します。ただ」
セリウスさんが少し間を置いた。
「魔族側の動きが、完全に止まるわけではありません」
「わかっています」
「ベルガンは現場責任者でした。上位の存在は、まだいます」
「はい」
「ただ、今回の作戦は終わりました。それだけでも、大きい」
俺は少し間を置いた。
「カゲツさんは」
「安全です。ギルドの施設にいます」
「マユミさん」
マユミが少し前を向いた。
「後で会いに行きます」
「はい」
セリウスさんが全員を見た。
「今日は休んでください。報告と処理は、明日以降にします」
「わかりました」
宿に戻った。
マルティナさんが扉を開けた。
全員を見た。
一人ずつ確認した。
六人、全員いた。
それから、ベルガンがいないことを確認した。
何も言わなかった。
扉を大きく開けた。
「入れ」
全員が入った。
夕食の準備が始まった。
丸焼きだった。
シチューがついていた。
白パンが並んでいた。
蜂蜜菓子が、小さな皿に乗っていた。
特別な日の食事だった。
六人分、きっちり並んでいた。
全員が座った。
誰も、余計なことを言わなかった。
「いただきます」
うまかった。
マユミが蜂蜜菓子を見た。
「また、これか」
「特別な日ですから」
「そうだな」
マユミが食べた。
「うまい」
「そうですね」
全員が食べた。
うまかった。
アーヴィンさんが、静かに食べていた。
いつもと変わらなかった。
でも、外套の内側を、一度だけ押さえた。
石がある場所だった。
俺は何も言わなかった。
ミルヴァがアーヴィンさんの隣に座っていた。
何も言わなかった。
でも、少し近かった。
それで十分だった。
リアが言った。
「終わりましたね」
「はい」
「実感は」
「まだ、あまりありません」
「私もです」
コリンが少し笑った。
「明日になれば、出てくるかもしれません」
「そうかもしれません」
全員が食べた。
うまかった。
今日という日が、静かに終わろうとしていた。
次が来る。
でも、今日は食う。
うまかった。
第百三十六話「帰還」了




