第百三十五話「識者との対話」
中は広かった。
石の床だった。
天井が高かった。
明かりが、壁に沿って並んでいた。
魔法の明かりだった。
揺れなかった。
中心に、男が立っていた。
背が高かった。
黒い外套を着ていた。
武器は見えなかった。
静かに、こちらを見ていた。
俺は羅針盤を確認した。
反応は、その男だった。
色が見えた。
複雑だった。
灰色に近かった。
でも、冷たくはなかった。
計算している色だった。
男が口を開いた。
「来るとは思っていた」
静かな声だった。
「ただ、こんなに早いとは思っていなかった」
俺は少し間を置いた。
「急ぎませんでしたが、止まりませんでした」
男が少し間を置いた。
「なるほど」
男が全員を見た。
一人ずつ、確認するように見た。
「六人か。グラズを抜けてきたのか」
「はい」
「どうやって」
「位置を把握しました」
「把握できたのか」
「かろうじて、ですが」
男が少し間を置いた。
「可視化スキルか」
「はい」
「第何段階だ」
俺は少し間を置いた。
「第三段階と第四段階の間です」
「移行中か」
「そうです」
男が少し前を向いた。
「第四段階になる前に来たのか。それとも、なる前に来る必要があったのか」
「後者です」
「なぜだ」
「第四段階になってからでは、遅すぎる可能性がありました」
男が少し間を置いた。
「合理的だ」
静かに言った。
俺はその言葉を聞いた。
リアと同じ言葉だった。
でも、温度が違った。
「あなたがベルガンですか」
「そうだ」
「俺はヒコです」
「知っている」
ベルガンが少し動いた。
武器を取らなかった。
ただ、向き直った。
「戦いに来たのか」
「戦いに来ました。ただ、戦いだけで終わるとは思っていません」
「どういう意味だ」
「あなたは合理主義だと聞いています。勝ち目のない戦闘を選ぶ人間ではない」
「勝ち目がないと思っているのか、俺が」
「わかりません。ただ」
俺は少し間を置いた。
「逃げなかった。待っていた。それは、何かを判断した結果だと思います」
ベルガンが少し間を置いた。
「よく見ている」
「現場仕込みなので」
ベルガンが少し、表情を動かした。
笑ったわけではなかった。
でも、何かが変わった。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「なぜそこまで見える」
俺は少し間を置いた。
「現場をやってきただけです」
「現場」
「はい。五十年、現場にいました。段取りを組んで、人を動かして、問題を片付けてきました。それだけです」
「スキルではなく」
「スキルは道具です。使ってきた経験が、見え方を決めています」
ベルガンが静かに言った。
「それが危険だ」
「危険ですか」
「スキルなら、封じられる。奪える。消せる。だが、経験は消せない」
俺は少し間を置いた。
「だから、可視化スキルを持つ者を消してきたのですか。スキルではなく、経験が積み上がる前に」
ベルガンが少し間を置いた。
「正確だ」
「でも、俺はすでに経験を持っています。前の世界で積んできました」
「知っている」
「知っていて、それでも間に合うと思っていましたか」
ベルガンが少し前を向いた。
「間に合わなかった。それが現状だ」
室内が静かになった。
マユミが俺の隣で、双剣に手をかけていた。
アーヴィンさんが、静かに構えていた。
ミルヴァが、後ろで気配を消していた。
誰も動かなかった。
「ベルガン」
「何だ」
「あなたは、人間を資源として見ていると聞きました」
「そうだ」
「俺は違います」
「知っている」
「違いは、それだけですか」
ベルガンが少し間を置いた。
「それだけではない」
「では」
「お前は、切り捨てない」
静かな言葉だった。
「俺は切り捨てる。損失を最小にするために、必要なものだけを残す。不要なものは消す」
「それが合理的だと思っているのですか」
「思っていた」
過去形だった。
俺は少し間を置いた。
「思っていた、とは」
「お前たちが来た。グラズが消えた。《無名の踏域》に入ってきた。合理的な計算では、ここまで来られない」
「なぜですか」
「六人の連携が、計算を超えている。一人ひとりは把握していた。だが、六人が組み合わさったときの話を、俺は間違えた」
俺は少し間を置いた。
「現場では、人が組み合わさると、計算を超えます」
「そうだ。それが、俺の誤算だった」
ベルガンが全員を見た。
「一つだけ聞く」
「はい」
「お前たちは、俺を倒しに来たのか。それとも、止めに来たのか」
俺は少し間を置いた。
「止めに来ました。倒すことが目的ではありません」
「止める、とはどういうことだ」
「あなたが人間の世界に仕掛けていることを、止める。それだけです」
「俺自身は」
「あなた自身をどうするかは、あなたが決めることです」
ベルガンが長い沈黙の後、言った。
「魔核を見せることができる」
室内が静かになった。
「魔核、とは」
「魔族が人間の世界に干渉するための核だ。それを破壊すれば、今の浸食作戦は止まる」
「なぜ、それを教えるのですか」
ベルガンが少し間を置いた。
「計算が終わった」
「どういう意味ですか」
「続けても、意味がない。お前たちを消せなかった。グラズも消えた。仲介業者の拠点も落とされた。これ以上続ける合理的な理由がない」
俺は少し間を置いた。
「それが、あなたの判断ですか」
「そうだ」
「信用していいですか」
「信用するかどうかは、お前が決めることだ」
俺は全員を見た。
マユミが俺を見た。
アーヴィンさんが静かに頷いた。
ミルヴァが少し間を置いてから、頷いた。
リアが言った。
「罠の可能性は排除できません。ただ、今のところ合理的な判断です」
コリンが言った。
「ヒコさんが決めてください」
俺は少し間を置いた。
ベルガンの色を見た。
複雑だった。
でも、嘘の色ではなかった。
計算が終わった人間の色だった。
「案内してください」
ベルガンが頷いた。
「ついてこい」
ベルガンが歩き始めた。
全員が続いた。
俺はベルガンの少し後ろを歩いた。
「一つだけ聞かせてください」
「何だ」
「レインを消したのは、あなたですか」
ベルガンが少し止まった。
それから、また歩いた。
「仲介業者が動いた。俺の指示ではなかった」
「あなたは止めなかった」
「止めなかった」
静かな答えだった。
「それが、あなたの切り捨てですか」
ベルガンが少し間を置いた。
「そうだ」
「アーヴィンさん」
俺はアーヴィンさんを見た。
アーヴィンさんが少し前を向いていた。
何も言わなかった。
でも、《沈黙の長剣》の柄を、少し握った。
それだけだった。
俺は前を向いた。
今は、魔核を止めることが先だった。
それが終わってから、残りのことを考える。
段取りは、一つずつだった。
廊下の奥に、扉があった。
重い扉だった。
ベルガンが手をかざした。
扉が開いた。
中に、暗い部屋があった。
中心に、石が浮いていた。
黒かった。
内側から、かすかに脈打っていた。
「これが魔核だ」
俺は可視化で確認した。
色が見えた。
黒に近い紫だった。
密度が高かった。
でも、輪郭があった。
「見えます」
「破壊できるか」
「できます」
俺はアーヴィンさんを見た。
アーヴィンさんが頷いた。
《沈黙の長剣》を抜いた。
俺が位置を固定した。
「中心です。内側に核があります」
「わかった」
アーヴィンさんが動いた。
《沈黙の長剣》が走った。
魔核を、貫いた。
光が走った。
黒い光だった。
それから、消えた。
石が、落ちた。
床に当たった。
音がした。
静かになった。
脈打ちが、止まった。
「止まりました」
ベルガンが静かに言った。
「終わった」
室内が静かになった。
俺は羅針盤を確認した。
針が、静かに北を向いていた。
揺れていなかった。
安定していた。
終わった。
でも、まだ一つあった。
俺はベルガンを見た。
「ベルガン」
「何だ」
「これからどうしますか」
ベルガンが少し間を置いた。
「セリウスに引き渡せ」
「自分から、ですか」
「合理的な判断だ。逃げても、意味がない」
俺は少し間を置いた。
「わかりました」
第百三十五話「識者との対話」了




