第百三十三話「最後の段取り」
カゲツが、話し始めた。
「《無名の踏域》という場所がある」
全員が静かに聞いた。
「北東の森の、遺跡よりさらに奥だ。地図には載っていない。載せていない、が正確か」
「意図的に、ですか」
「そうだ。魔族側が、存在を消している。あそこに入った者は、出てこない。今まで一人も戻らなかった」
「ベルガンはそこにいますか」
「いる。正確には、そこを拠点にしている」
俺は少し間を置いた。
「どうやって知ったんですか」
「仲介業者を通じて、補給を届けたことがある。場所だけは知っている。中に入ったことはない」
「補給の経路は」
「東の廃村から北に進む。森の中に、目印がある。大きな二股の木だ。そこから先は獣道もない。ただ進むしかない」
「距離は」
「二股の木から、さらに半日ほどだと聞いた」
ミルヴァが言った。
「入ったことがないなら、内部の情報はないか」
「ない。ただ」
カゲツが少し間を置いた。
「補給を届けた者が、戻ってきたことがある。一度だけ」
「その者は何と言っていましたか」
「霧が出る、と言っていた。それと、道が変わる」
「道が変わる」
「進むたびに、地形が変わる。同じ道を戻れない。だから誰も出てこられない」
俺は少し考えた。
霧。
地形の変化。
地図が使えない場所。
《霧裂きの穴》に似ていた。
でも、規模が違う。
「羅針盤があります」
全員が俺を見た。
「地形が変わっても、方角は変わりません。羅針盤で全員の位置と方角を把握すれば、道が変わっても戻れます」
「それだけで十分か」
カゲツが言った。
「十分かどうかは、入ってみないとわかりません。ただ、何もない状態で入るより、はるかに可能性が上がります」
「根拠は」
「今まで、同じ状況を何度か乗り越えてきました。全員で、段取りを組んで」
カゲツが少し間を置いた。
「そうか」
「一つだけ確認させてください」
「何だ」
「ベルガンは、今もそこにいますか。動いた可能性は」
「昨日の時点では、いた。ただし、魔族が動き始めているなら、変わっているかもしれない」
「わかりました」
俺はミルヴァを見た。
「確認できますか」
「やってみる。ただし、時間がかかる」
「どのくらいですか」
「一日あれば、ある程度は出る」
「お願いします」
ミルヴァが頷いた。
カゲツがマユミを見た。
「お前の双剣、見せてくれるか」
マユミが少し間を置いた。
それから、《緋閃の双刃》を抜いた。
カゲツに差し出した。
カゲツが受け取った。
両手で、丁寧に持った。
しばらく見ていた。
カグラとヒナギが、かすかに光った。
「ちゃんと届いたな」
「届いた」
「カグラは荒っぽいか」
「荒っぽい」
「ヒナギは」
「静かだ」
「そうか」
カゲツが双剣を返した。
マユミが受け取った。
「レインさんは、どんな人でしたか」
コリンが言った。
カゲツが少し間を置いた。
「静かな人だった。でも、よく見ていた。人の色が見える、と言っていた」
「色が」
「そうだ。俺には見えないが、あの人には見えていた。俺の色は、複雑だと言っていた」
カゲツが少し苦笑した。
「正直な人だった」
アーヴィンさんが、何も言わなかった。
でも、外套の内側を少し押さえた。
俺は何も言わなかった。
「カゲツさん」
「何だ」
「セリウスさんのところに移ってもらいます。ギルドの施設で、しばらく保護します」
「世話をかける」
「いえ。安全が確認できるまで、そこにいてください」
「わかった」
カゲツが立った。
マユミを見た。
「行ってこい」
「行く」
「全員で戻ってこい」
マユミが少し間を置いた。
「戻る」
短かった。
でも、揺れていなかった。
村を出た。
カゲツはセリウスさんが手配した者と合流した。
静かに、別れた。
マユミが歩きながら言った。
「父さんって、ああいう人だったんだな」
「どういう意味ですか」
「寡黙で、不器用で、でもちゃんと考えていた」
「そうですね」
「俺に似ている」
俺は少し間を置いた。
「そうかもしれません」
「お世辞か」
「事実です」
マユミが少し前を向いた。
「そうか」
全員で街に戻った。
翌朝だった。
ミルヴァが情報を持って戻った。
全員が食卓に集まった。
「ベルガンは、まだそこにいる」
「確認できましたか」
「補給の動きがある。《無名の踏域》方向に、昨日も物資が動いた」
「内部の情報は」
「ほとんど出なかった。ただ、一つわかったことがある」
「何ですか」
「グラズがいる」
室内が静かになった。
「影喰い、ですか」
「そうだ。《無名の踏域》の外周を動いている。侵入者を排除する役割だと思う」
「外に出ているということは、内部には別の守りがある」
「そうなる」
俺は少し間を置いた。
外周にグラズ。
内部にベルガン。
霧と変化する地形。
段取りが必要だった。
「整理します」
全員が俺を見た。
「外周のグラズを先に対処します。グラズは気配を消す。ミルヴァさんと同等、または上です。正面からは難しい」
「どうするんだ」
マユミが言った。
「ヒコの違和感検知で位置を掴む。アーヴィンさんが対処する」
ミルヴァが言った。
「それしかないな」
「アーヴィンさん」
俺はアーヴィンさんを見た。
「わかった」
「次に、内部に入ります。地形が変わる。霧が出る。羅針盤で全員の位置を把握しながら進みます。分断されても、今回は合流できます」
「根拠は」
「一度やりました」
コリンが少し笑った。
「確かに」
「ベルガンとは、最終的に対話になる可能性があります。戦闘だけで終わらないかもしれない」
「対話、か」
マユミが言った。
「どういうことだ」
「ベルガンは合理主義です。戦場を再構築できる相手です。力だけでは終わらない可能性がある」
「ヒコが対話するのか」
「わかりません。ただ、その可能性を頭に入れておいてください」
全員が少し間を置いた。
アーヴィンさんが言った。
「それで終われるなら、その方がいい」
「はい」
「終われなければ、斬る」
「はい」
ミルヴァが言った。
「出発はいつだ」
「明日の朝です。今日は装備と補給を整えます。全員、状態を確認してください」
「わかった」
「問題ない」
「はい」
「問題はありません」
「俺も」
全員が応えた。
俺は羅針盤を確認した。
針が、北東を向いていた。
静かだった。
揺れていなかった。
まっすぐだった。
段取りは整っていた。
全員が揃っていた。
明日、動く。
急がない。
でも、止まらない。
第百三十三話「最後の段取り」了




