第百二十五話「第二幕の終わりと東の廃村と、記録の消失」
明後日の朝だった。
マルティナさんが朝食を出した。
塩スープだった。
硬めのパンと、干し肉がついていた。
依頼前の食事だった。
誰も余計なことを言わなかった。
食べ終わってから、立った。
「行きます」
全員が頷いた。
マルティナさんが全員を見た。
「全員で帰ってこい」
「はい」
扉を出た。
朝の空気だった。
羅針盤の針が、東を向いていた。
まっすぐに、東だった。
六人が、歩き始めた。
半日の距離だった。
道中、全員が静かだった。
いつもと違う静かさだった。
重くはなかった。
でも、集中していた。
ミルヴァが先頭を歩いていた。
俺の隣をマユミが歩いていた。
何も言わなかった。
途中で一度だけ、マユミが口を開いた。
「うまくいくか」
「段取りは整っています」
「そうか」
「ただ、現場では想定外が起きます。そのときは、全員を信じてください」
「わかってる」
「俺も、全員を信じます」
マユミが少し前を向いた。
「頼む」
短かった。
でも、それが全部だった。
廃村が見えてきた。
半壊した建物が並んでいた。
草が生い茂っていた。
人の気配はなかった。
表向きは。
ミルヴァが止まった。
「ここで一度確認する」
全員が集まった。
「入口の二人は、東側の建物の陰にいる。交代のタイミングは今から三十分後だ。その前に制圧する」
「わかりました」
「地下への扉は、中央の建物の床下にある。扉の前に一人いる」
「はい」
「記録の部屋は地下の最奥。扉を開けるには鍵が必要だが、あたしが持っている」
「どうやって」
「昨夜取ってきた」
マユミが小声で言った。
「いつ」
「夜中だ」
「気づかれなかったか」
「気づかれていたら今日の話はしていない」
マユミが少し笑った。
「そうか」
ミルヴァが続けた。
「護衛の二人は、地下への扉の近くにいる。交代で動いている。今は一人が表、一人が地下にいる可能性が高い」
「表の護衛はミルヴァさんが対応してください。地下の護衛はアーヴィンさんと一緒に対応します」
「わかった」
「羅針盤を使います。内部の人数と位置を随時確認します。変化があれば声を出します」
「了解」
「では、動きます」
ミルヴァが先に消えた。
音がしなかった。
全員が待った。
三分ほどして、ミルヴァから合図が来た。
入口の二人が片付いた、という意味だった。
全員が動いた。
俺は羅針盤を確認した。
内部に四つの反応があった。
一つが動いていた。
残り三つは静止していた。
「内部に四人います。一人が動いています。地下への扉の近くだと思います」
「行く」
アーヴィンさんが先に動いた。
中央の建物に入った。
床に、扉があった。
扉の前に、男が立っていた。
アーヴィンさんを見た。
瞬間だった。
アーヴィンさんが動いた。
《沈黙の長剣》が走った。
音がしなかった。
男が倒れた。
気絶していた。
「一人、制圧しました」
「三人残っています。地下に全員います」
全員が地下への扉を開けた。
石段があった。
暗かった。
でも、明かりがついていた。
細い廊下が続いていた。
奥から、声がした。
二人分だった。
俺は羅針盤を確認した。
「奥に二人。最奥の部屋に一人います。護衛が二人と、記録管理者が一人です」
「護衛はどこだ」
「廊下の途中に二人、並んでいます」
ミルヴァが言った。
「先行する」
「お願いします」
ミルヴァが廊下を進んだ。
音がしなかった。
しばらくして、二つの鈍い音がした。
「片付いた」
「ありがとうございます」
全員が廊下を進んだ。
最奥の扉の前に立った。
鍵穴があった。
ミルヴァが鍵を取り出した。
差し込んだ。
回した。
扉が開いた。
中に、男がいた。
書類が積まれていた。
魔法陣が、壁に刻まれていた。
封印だった。
男が立ち上がろうとした。
マユミが一歩前に出た。
「動くな」
男が止まった。
俺が前に出た。
「カゲツという人物の記録を探しています。全部出してください」
男が少し震えた。
「わ、わからない」
「わかります」
俺は色を確認した。
嘘だった。
目が、右の棚を一瞬見た。
「右の棚です」
ミルヴァが棚に向かった。
引き出しを開けた。
「あった」
分厚い書類の束だった。
「コリンさん、封印の解除をお願いします」
「はい」
コリンが魔法陣に向かった。
手を当てた。
目を閉じた。
集中していた。
「複層結界です。時間がかかります」
「リアさん、バックアップ通信の遮断をお願いします」
「はい。開始します」
リアが魔法を展開した。
風が、室内を静かに流れた。
「通信路を探しています」
「わかりました」
男が俺を見た。
「お前たちは、誰だ」
「冒険者です」
「なぜこんなことを」
「カゲツという人物を、自由にするためです」
男が少し止まった。
「カゲツを、知っているのか」
「はい」
「あいつは、組織にとって必要な人間だ。記録を消しても、追われる」
「記録がなければ、追う根拠がなくなります」
「そんな簡単な話ではない」
「そうかもしれません。でも、まず記録を消すことが最初の段取りです」
男が少し黙った。
コリンが言った。
「第一層結界、解除しました。次に進みます」
「わかりました」
リアが言った。
「通信路を発見しました。細い魔法の糸が、東の方向に延びています」
「切れますか」
「切れます。ただし、記録を消す前に切ると、記録を消したことが伝わらずに別の通信が来る可能性があります。封印解除と同時に切る方が確実です」
「コリンさん、タイミングを合わせてください」
「わかりました」
俺はアーヴィンさんを見た。
「外の確認をお願いします。増援が来ていないか」
「わかった」
アーヴィンさんが地上に戻った。
しばらくして声が来た。
「異常なし」
「ありがとうございます」
コリンが言った。
「第二層結界も解除しました。最後の層です」
「リアさん、準備してください」
「準備できています」
「コリンさん、合図をください」
「はい。あと少しです」
室内が静かになった。
男が壁際に座っていた。
マユミが男の前に立っていた。
男が俺を見た。
「記録を消したら、カゲツは本当に自由になるのか」
「完全には、すぐにはならないと思います。ただ、最初の一歩になります」
「一歩か」
「はい。段取りは、一歩ずつ組みます」
男が少し黙った。
「カゲツは、いい人間だった」
「そうですか」
「あの人間を、こういう立場に置いたのは、組織の判断だ。俺は、それが正しいとは思っていなかった」
俺は少し間を置いた。
「なぜ、今それを言うんですか」
「お前たちが来たから、だ」
男が少し前を向いた。
「記録の場所を教えたのは、俺だ。わかっているだろう」
「はい。色でわかりました」
「そうか」
男が少し間を置いた。
「カゲツによろしく伝えてくれ」
俺は少し間を置いた。
「わかりました」
コリンが言った。
「封印、最終層結界に入ります」
「リアさん、準備」
「準備完了です」
「コリンさん、合図を」
コリンが深く息を吸った。
「今です」
コリンが封印を解除した。
リアが通信路を切断した。
同時だった。
魔法陣が、消えた。
室内の光が、一瞬揺れた。
静かになった。
「封印、解除しました」
「通信路、切断しました」
「ありがとうございます」
ミルヴァが書類の束を手に取った。
「燃やす」
「お願いします」
ミルヴァが書類に火をつけた。
燃えた。
灰になった。
完全に消えた。
男がその様子を見ていた。
何も言わなかった。
でも、色が少し変わった。
安堵に近い色だった。
俺は羅針盤を確認した。
針が、東を向いていた。
でも、さっきより弱かった。
拠点の気配が、薄くなっていた。
記録が消えた。
それだけの変化だった。
でも、確かに変わっていた。
地上に戻った。
全員が揃った。
六人、全員いた。
「全員、状態を確認してください」
「問題ない」
「無傷です」
「はい」
「問題はありません」
「こちらも」
全員が応えた。
誰も、欠けていなかった。
ミルヴァが廃村を振り返った。
「終わったか」
「はい。記録は消えました。通信も切りました」
「バックアップへの伝達は」
「リアさんが同時に切断しました。伝わっていないはずです」
「そうか」
マユミが言った。
「父さんに、伝えられるな」
「はい。セリウスさんを通じて、カゲツさんに連絡を取ります」
「わかった」
マユミが少し空を見た。
曇っていた。
でも、光が差していた。
「行くか」
「はい」
全員が歩き始めた。
街に向かった。
帰り道だった。
俺は羅針盤を確認した。
針が、静かに動いていた。
東の反応が、薄くなっていた。
北の反応が、今日はかすかにあった。
レインだった。
まだそこにいた。
東の問題は、今日一歩動いた。
北の問題は、まだこれからだった。
でも、今日は今日の段取りをやり切った。
それで十分だった。
急がない。
でも、止まらない。
マユミが隣を歩いていた。
「ヒコ」
「はい」
「ありがとう」
俺は少し間を置いた。
「まだ終わっていません」
「わかってる。でも、今日のことで言ってる」
「そうですか」
「父さんを、助ける段取りが動いた。それだけで、十分だ」
俺は少し前を向いた。
「段取りは、全員で組みました」
「そうだな」
「俺一人では動けません」
「知ってる」
マユミが少し笑った。
「だから、ありがとうって言ってる」
俺は少し間を置いた。
「そうですね。どういたしまして」
マユミが少し笑った。
今日は、力のある笑いだった。
全員が歩いた。
街が、少しずつ近くなった。
宿に戻った。
マルティナさんが全員を見た。
一人ずつ確認した。
六人、全員いた。
「帰ったか」
「はい」
「全員か」
「全員です」
マルティナさんが少し間を置いた。
「そうか」
それだけだった。
夕食が出た。
丸焼き肉だった。
シチューがついていた。
白パンが並んでいた。
蜂蜜菓子が、小さな皿に乗っていた。
特別な日の食事だった。
六人分、きっちり並んでいた。
何も言わなかった。
でも、わかった。
「いただきます」
うまかった。
マユミが蜂蜜菓子を見た。
「また、これか」
「特別な日ですから」
「そうだな」
マユミが食べた。
「うまい」
「そうですね」
全員が食べた。
うまかった。
強くなったが、安心できなかった。
東の問題は一歩動いた。
でも、北の問題はまだこれからだ。
レインの謎も、魔族の動きも、まだ終わっていない。
でも、今日は今日の飯を食う。
それで十分だ。
今日という日が静かに終わろうとしていた。
次が来る。
でも、今日は食う。
うまかった。
第三幕「選択」へ続く




