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第百九話「準備と、日常と」

 翌日から、準備を始めた。


 といっても、急いではいなかった。


 次の依頼がいつ来るかは、わからなかった。


 わからないから、できることをやる。


 それが、現場の仕事だった。



 リアが、朝から外に出ていた。


 風魔法の練習だった。


 宿の裏手の空き地だった。


 俺が通りかかったとき、ちょうど魔法を使っていた。


 小さな風が、走った。


 前回より、消耗が少なそうだった。


「調子はどうですか」


 リアが振り返った。


「改善しています。霧環境での風魔法は、力を入れすぎると霧が散りすぎる。加減が必要でした」


「わかりましたか」


「だいたい。あとは実戦で確認するしかありません」


「そうですね」


「合理的な練習方法があれば、教えてください」


「俺には魔法の知識がないので、難しいです」


「そうですか」


 リアが少し前を向いた。


「コリンに手伝ってもらっています」


「そうですか」


「結界と風魔法を同時に使う練習です。消耗の分散が課題です」


「なるほど」


「効率的です」


 俺は少し間を置いた。


「コリンさんと、うまくやっていますか」


 リアが少し俺を見た。


「問題はありません」


「そうですか」


「合理的な関係です」


 俺はそれ以上聞かなかった。


 それで十分だと思った。


「練習、続けてください」


「はい」



 コリンは、午後から練習していた。


 結界の持続時間を延ばす訓練だった。


 一人で張り続けていた。


 俺が見に行ったとき、額に汗が出ていた。


「無理していませんか」


「大丈夫です。ただ、今回の戦闘で限界がわかりました」


「十分でしたね」


「はい。できれば十五分は保ちたいです」


「大きな差ですね」


「そうです。ただ、練習すれば伸びると思います」


「急ぎません」


「はい。でも、依頼が来る前には整えたいです」


「そうですね」


 コリンが少し笑った。


「ヒコさんも、段取りを組んでいますか」


「はい。頭の中で、何度も組み直しています」


「どんな段取りですか」


「まだわからないです。依頼の内容が決まってから組みます。今は、材料を集めている段階です」


「材料、というのは」


「全員の今の状態です。何ができて、何が課題か。それを把握しておくことが、段取りの下準備です」


「なるほど」


「コリンさんの課題は、結界の持続時間ですね」


「はい。あとは、複数人を同時に守る範囲の拡張もやっています」


「それは知らなかったです」


「前回、後衛が離れたとき少し結界が薄くなりました。それが気になっていて」


「気づいていましたか」


「自分では気づきました。ヒコさんは」


「薄くなった、というのはわかりました。ただ、原因まではわからなかったです」


「そうですか」


「コリンさんが自分で気づいて、自分で対策を取っている。それが一番いいです」


「そうでしょうか」


「はい。現場で一番頼りになるのは、自分の課題を知っている人間です」


 コリンが少し頷いた。


「ありがとうございます」


「続けてください」


「はい」



 マユミは、毎朝早くから動いていた。


 《緋閃の双刃》の素振りだった。


 一人で、黙々とやっていた。


 俺が声をかけると、少し止まった。


「どうだ」


「見ていていいですか」


「構わない」


 マユミが再び動いた。


 右のカグラが走った。


 左のヒナギが続いた。


 連動していた。


 前より、滑らかだった。


 迷いがなかった。


「速くなりましたね」


「そうか」


「二本の動きが、揃ってきています」


「感じる」


「精霊が慣れてきているんでしょうか」


「わからない。ただ、動かしやすくなった」


 マユミが少し前を向いた。


「カグラが、最近うるさい」


「うるさい、というのは」


「早く動けって言ってる感じがする」


「それは、精霊の声ですか」


「声というか、感覚だ。でも、そういう感じがする」


「ヒナギは」


「ヒナギは静かだ。でも、カグラを抑えてる感じがある」


 俺は少し間を置いた。


「バランスが取れているんですね」


「そうかもしれない」


 マユミが剣を収めた。


「ヒコ」


「はい」


「次の依頼、いつ来る」


「わかりません。ただ、遠くないと思います」


「そうか」


 マユミが少し空を見た。


「早く来てほしいような、もう少し待ちたいような」


「珍しいですね、そういうことを言うのが」


「そうか」


「マユミさんは、いつも早く動きたがるので」


「今は違う」


「どうしてですか」


 マユミが少し間を置いた。


「全員で行くから。全員が整ってからの方がいい」


 俺は少し間を置いた。


「段取りですね」


 マユミが少し笑った。


「お前に影響されたかもしれない」


「それは光栄です」


「褒めてない」


「はい」


 マユミが歩き出した。


「朝飯、食いに行くぞ」


「はい」



 ミルヴァは、いつもより外に出ていた。


 情報を集めていた。


 夕方に戻ってくることが多かった。


 ある日の夕食後だった。


「少し話がある」


 ミルヴァが俺を呼んだ。


「はい」


「本部指定依頼について、少し調べた」


「情報料は」


「今回はパーティ内情報として扱う。無料だ」


「ありがとうございます」


「礼はいい」


 ミルヴァが少し前を向いた。


「この街周辺で、可視化持ちの動向を追っている動きがある。魔族側だけじゃない」


「ギルド本部も、ということですか」


「そうだ。両方が、同じ対象を追っている」


「対象というのは、俺ですか」


「そうだ」


 ミルヴァが俺を見た。


「怖いか」


「怖くはないです。ただ、段取りが増えました」


「そうか」


「知らないより、知っている方がいいです」


「そうだな」


 ミルヴァが少し前を向いた。


「引き続き動く。何かわかったら伝える」


「お願いします」


「ただし、外部情報になったら」


「請求してください」


「わかった」


 ミルヴァが少し口元を動かした。


「お前は、本当に段取りの人間だな」


「現場仕込みなので」


「知ってる」


 ミルヴァが立った。


「気をつけろ」


「はい」


「両方から追われている人間は、動き方を間違えると潰される」


「わかりました」


「急ぐな」


 俺の口癖だった。


 ミルヴァが使った。


 今日で二人目だった。


 セリウスさんに続いて。


 俺は少し間を置いた。


「急ぎません」


「そうだ」


 ミルヴァが部屋に戻った。



 アーヴィンさんは、いつも通りだった。


 朝早くに出て、夕方に戻ってくる。


 どこに行っているかは、聞かなかった。


 聞く必要がなかった。


 ただ、戻ってくるたびに、色が少し違った。


 深い青が、落ち着いていた。


 何かと向き合っている人間の色だった。


 ある夜、食堂で二人になった。


「アーヴィンさん、最近どこに行っているんですか」


 アーヴィンさんが少し俺を見た。


「鍛錬だ」


「そうですか」


「一人でやることがある」


「わかりました」


 アーヴィンさんが少し間を置いた。


「レインのことを、考えていた」


「そうですか」


「霧の中で消えた。オルディスが関係していたかもしれない」


「そう思いますか」


「わからない。ただ、可能性がある」


「セリウスさんも、レインがオルディスに語りかけられたと言っていました」


「知っている」


「答えなかった、ということも」


「ああ」


 アーヴィンさんが少し前を向いた。


「なぜ答えなかったのか。今でもわからない」


「俺は、答えました」


「そうだな」


「良かったのかどうか、まだわかりません」


「結果が出た」


「今のところは、そうです」


 アーヴィンさんが静かに言った。


「レインは、答えることができなかったのかもしれない」


 俺は少し間を置いた。


「どういう意味ですか」


「見えていなかったのかもしれない。だから、答えられなかった」


 静かになった。


 俺は羅針盤を確認した。


 針が、静かに動いていた。


「まだ、わからないことがあります」


「そうだな」


「でも、見続けます」


 アーヴィンさんが頷いた。


「そうしろ」


 それだけだった。


 でも、十分だった。



 準備の日々が、続いた。


 全員が、それぞれのやり方で整えていた。


 急いではいなかった。


 でも、止まってもいなかった。


 マルティナさんの飯が、毎日うまかった。


 それだけで、十分だった。



第百九話「準備と、日常と」 了


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