第百三話「《霧裂きの穴》、再び」
三日後の朝だった。
マルティナさんが朝食を出した。
塩スープだった。
硬めのパンと、干し肉がついていた。
いつもより少なかった。
腹に残らないようにしていた。
何も言わなかった。
でも、わかっていた。
「いただきます」
全員が食べた。
静かだった。
誰も余計なことを言わなかった。
食べ終わってから、立った。
「行きます」
マルティナさんが厨房から顔を出した。
「全員で帰ってこい」
「はい」
扉を出た。
街を出た。
北東の道を進んだ。
半日の距離だった。
道中、空気が少しずつ変わっていった。
最初はわからなかった。
でも、ダンジョンに近づくにつれて、はっきりしてきた。
湿り気があった。
いつもの森の湿気とは違った。
重かった。
羅針盤を確認した。
針が、いつもより速く動いていた。
何かが、近かった。
ミルヴァが言った。
「空気が違う」
「そうですね」
「前に来たときと比べて、ということか」
「俺は初めてです。ただ、羅針盤の反応が普段と違います」
「なるほど」
リアが言った。
「索敵に、微細な乱れがあります」
「乱れ、というのは」
「通常の魔物の気配ではありません。霧に近い何かが、遠くから干渉しています」
「そうですか」
アーヴィンさんが静かに言った。
「前と同じ感じだ」
「五年前ですか」
「ああ」
アーヴィンさんが少し前を向いた。
「近づくほど、重くなる」
「わかりました。慎重に進みます」
全員が頷いた。
ダンジョンの入口が見えてきた。
《霧裂きの穴》だった。
前回来たときと、見た目は同じだった。
でも、入口から白いものが漏れていた。
霧だった。
ダンジョンの外に、霧が出ていた。
マユミが言った。
「外まで出てるのか」
「そうですね。以前はなかったです」
「どういうことだ」
「内部の霧が、濃くなっている証拠だと思います」
コリンが言った。
「結界を準備しておきます」
「お願いします。ただ、入口でまだ展開しなくていいです。体力を温存してください」
「わかりました」
ミルヴァが入口を見た。
「先行するか」
「一層はまだ通常の魔物のはずです。ただ、霧が出ているなら慎重に」
「わかった」
俺は全員を見た。
「撤退の基準を確認します。霧の濃度が視界一メートル以下になった場合、コリンさんの結界が限界に近づいた場合、羅針盤の反応が読めなくなった場合。この三つのうち一つでも該当したら、一旦引きます」
「わかった」
「異論はありますか」
全員が首を振った。
「では、入ります」
一歩踏み込んだ。
空気が変わった。
湿気が肌に貼りついた。
霧が、薄く漂っていた。
一層だった。
いつもはダークハウンドがいる層だった。
今日は違った。
静かだった。
魔物の気配がなかった。
「反応がありません」
リアが言った。
「索敵にも引っかかりません」
「逃げたのか」
マユミが言った。
「霧を嫌がる魔物は、上の層に逃げることがあります」
ミルヴァが言った。
「それだけ、霧が強い、ということか」
「そうだと思います」
羅針盤を確認した。
針が、下を向いていた。
奥だった。
何かが、下にいた。
「進みます。ただ、急ぎません」
全員が静かに動いた。
足音を最小限にした。
ミルヴァが先行した。
音がしなかった。
二層だった。
グレイウルフがいる層だった。
ここも、静かだった。
ただ、霧が少し濃くなっていた。
視界が三メートルほどになっていた。
マユミが言った。
「見えにくいな」
「そうですね。ただ、まだ動けます」
ミルヴァが戻ってきた。
「二層に魔物はいない。ただ」
「ただ」
「足元に、霧が溜まっている場所がある。踏むと沈む感じがする」
「霧が実体化しているということですか」
「そこまでは言えない。ただ、普通じゃない」
リアが言った。
「霧の密度が、局所的に高い場所があります。風魔法で確認できます」
「確認してもらえますか」
「はい」
リアが小さく魔法を使った。
風が走った。
霧が少し動いた。
一部が、動かなかった。
「あそこです」
リアが指した。
俺は羅針盤を向けた。
針が、少し震えた。
「反応があります。近づかない方がいいです。迂回します」
「わかりました」
全員が迂回した。
霧の塊の横を通った。
通ったとき、何かを感じた。
声ではなかった。
気配に近かった。
見られている感じがした。
でも、何もなかった。
通り過ぎた。
アーヴィンさんが静かに言った。
「いる」
「そうですね」
「まだ遠い」
「はい。ただ、意識はこちらに向いている気がします」
「そうだな」
全員が少し表情を引き締めた。
三層への入口が見えてきた。
そこから先は、白かった。
霧だった。
三層全体が、霧に包まれていた。
前回の四層と同じ光景だった。
それが、三層に来ていた。
マユミが言った。
「これが異常か」
「はい」
「思ったより、濃いな」
「そうですね」
俺は全員を見た。
「コリンさん、結界をお願いします」
「はい」
コリンが結界を展開した。
温かい感覚が全身に広がった。
全員の色が、同時に流れ込んできた。
六人分の色が、はっきりと感じられた。
これがあれば、霧の中でも全員の位置がわかった。
「感じられます。全員、つながっています」
「よかった」
コリンが言った。
「ただ、維持には集中が必要です」
「わかりました。無理はしないでください」
「はい」
霧の中に、一歩踏み込んだ。
白かった。
前が見えなかった。
でも、全員の色は感じられた。
羅針盤の針が、真っ直ぐ下を向いていた。
オルディスが、下にいる。
まだ遠かった。
でも、確実にそこにいる。
「進みます」
六人が、霧の中に入った。
白い世界が、全員を包んだ。
第百三話「《霧裂きの穴》、再び」 了




