第百二話「《霧裂きの穴》、三日前の準備」
その夜だった。
夕食を終えてから、全員を集めた。
「《霧裂きの穴》の構造を説明します」
ミルヴァが前を向いた。
「聞く」
俺は順番に話した。
「五層構造です。一層から三層は通常の魔物。四層は霧の層で視界がほぼ効きません。五層は暗闇ですが霧はない」
「今回の異常は」
「三層に四層の霧が侵食しています。原因はわかっていません。複数のパーティが三層で引き返しています」
ミルヴァが少し考えた。
「霧の中での隠密は」
「精度が落ちます。視界が効かない分、気配の読み方が変わります」
「そうか」
「ただ、コリンさんの結界とヒコのスキルが連動すると、霧の中でも全員の位置が把握できます」
コリンが言った。
「前回もそうでしたね。五メートル以内であれば問題ありません」
「はい。ただ今回は霧が三層まで広がっています。範囲が広い分、連動の負荷が上がる可能性があります」
「気をつけます」
アーヴィンさんが静かに言った。
「五年前と、似ている」
全員が少し止まった。
俺はアーヴィンさんを見た。
「五年前というのは」
「あのダンジョンで、霧が異常に濃くなったことがあった」
「セリウスさんたちがいたときですか」
「そうだ。あのときも、三層から霧が濃かった」
「その後、どうなりましたか」
アーヴィンさんが少し間を置いた。
「レインが消えた」
静かになった。
誰も何も言わなかった。
アーヴィンさんが続けた。
「原因はわからなかった。霧の中で、気づいたらいなくなっていた」
「そうですか」
「同じかどうかはわからない。ただ、似ている」
俺は少し考えた。
「セリウスさんには報告しましたか」
「まだだ」
「明日、報告します。セリウスさんの見立てを聞いてから動きたい」
「そうしろ」
ミルヴァが言った。
「レインというのは」
「アーヴィンさんの元パーティメンバーです。五年前に消えました」
「消えた、というのは」
「文字通り、いなくなった。遺体も見つかっていません」
ミルヴァが少し前を向いた。
「可視化持ちが消える話と繋がるか」
「可能性があります」
「そうか」
ミルヴァが静かになった。
情報屋として、何かを整理しているのかもしれなかった。
リアが言った。
「今回の調査で、五年前の件に繋がる情報が得られる可能性があります」
「そうですね」
「ただし、未知の状況です。慎重に動く必要があります」
「はい。撤退の基準を決めておきます」
「具体的には」
「三層で霧の濃度が一定以上になった場合、一旦引きます。コリンさんの結界が限界に近づいた場合も同じです」
「わかりました」
「全員の色を見ながら判断します。スキルを使います」
コリンが言った。
「結界の限界が近づいら、すぐに伝えます」
「お願いします」
「はい」
マユミが言った。
「霧の中での戦闘は」
「前回の経験があります。ただ、今回は霧が三層まで広がっている。前回より早い段階で視界が効かなくなる可能性があります」
「《緋閃の双刃》は霧の中でも動けるか」
俺は少し考えた。
「精霊に聞こえる範囲で確認します。ただ、カグラとヒナギは熱量制御の特性があります。霧の中でも感知できる可能性があります」
「そうか」
「ただし、実戦で確認するしかないです」
「わかった」
アーヴィンさんが言った。
「《沈黙の長剣》は霧と相性がいい」
「そうですね。音と気配を制御できるので、霧の中でも有利に動けます」
「ああ」
「アーヴィンさんには先行をお願いする場面が増えるかもしれません」
「構わない」
ミルヴァが言った。
「先行はあたしの役割だ」
「霧の中ではアーヴィンさんの《沈黙の長剣》との連携が有効だと思います。二人で先行する形も考えています」
「なるほど」
「ただ、詳細は明日セリウスさんに話を聞いてから決めます」
「わかった」
全員が頷いた。
段取りの骨格が、できた。
あとは情報を集めて、肉付けをする。
それが現場の仕事だった。
翌朝だった。
一人でセリウスさんのところに行った。
「《霧裂きの穴》の調査依頼を受けました」
セリウスさんが少し表情を変えた。
「知っています。依頼が出たときから、気にしていました」
「アーヴィンさんから聞きました。五年前と似ていると」
「そうですね」
セリウスさんが少し間を置いた。
「正直に話します」
「お願いします」
「あの霧の異常は、以前にも起きています。五年前だけではない」
「そうですか」
「周期があるわけではありません。ただ、可視化持ちが関係した場所で起きることが多い」
俺は少し間を置いた。
「俺が行くことで、霧が反応する可能性がありますか」
「否定できません」
「わかりました」
「ただ」
セリウスさんが俺を見た。
「あなたのスキルは今、第四段階への移行期にある。霧の中で何かが変わる可能性もあります」
「変わる、というのは」
「スキルが成長するトリガーになるかもしれない。良い方向にも、負荷が増す方向にも」
「どちらかはわからない」
「わかりません。ただ、全員の色を同時に感じられるなら、霧の中での判断が上がるはずです」
「そうですね」
「信じてください。あなた自身のスキルを」
俺は少し間を置いた。
「急ぎません」
セリウスさんが少し笑った。
「そうですね」
「でも、準備は怠りません」
「それで十分です」
セリウスさんが立った。
「一つだけ」
「はい」
「霧の中で、何かが語りかけてくることがあるかもしれません」
「語りかける、というのは」
「あの霧は、ただの霧ではないかもしれない。そういうことです」
「名前はありますか」
「あります。霧喰いのオルディスと呼ばれています」
俺は少し考えた。
「わかりました」
「気をつけて行ってください」
「はい」
部屋を出た。
廊下が静かだった。
霧の中で、何かが語りかける。
霧喰いのオルディス
セリウスさんはそう言った。
羅針盤が、ゆっくりと動いていた。
何かがいる。
まだ見えない。
でも、そこにある気がした。
三日後に向けて、段取りを整える。
急がない。
でも、準備は怠らない。
それが、現場仕込みだった。
第百二話「《霧裂きの穴》、三日前の準備」 了




