第2章 第7話 三者会合
三年前の火災から一週間後。学校、点検会社、消防団、教育委員会。
その一覧を机に広げた瞬間、光一は思わず鼻で笑ってしまった。
「事故処理の打ち合わせ、にしては人が多い」
「責任を分ける相談、ならちょうどいい人数かも」
澪が言う。
「言い方が前より容赦なくなったな」
「前より、中身が分かるようになっただけ」
紙の上には会合日時と略号、それから出席確認の印だけが並んでいる。けれど、並び方がいやに整いすぎていた。誰が主催したかを曖昧にし、誰が最後に決裁したかもぼかしてある。会議録じゃない。責任の置き場所を消した記録だ。
「これ、中心がいないな」
光一が言った。
「いるけど、書かれてない」
「それだ」
その瞬間、二人の頭の中で同じ名前が浮かんだ。
久慈原仁。
以前は盤面を整える側にいた男。あいつがこの件の黒幕だと言い切るのは早い。けれど、少なくとも“中継点”だった可能性は高い。
「また嫌な名前が戻ってきた」
澪がぼそりと言う。
「消えたと思ってた?」
「思いたかっただけ」
*
奥山敬吾は、今度は学校の外れにある公園で会ってくれた。
消防団の詰所じゃない。誰にも聞かれたくない話は、やっぱり中ではしにくいのだろう。ベンチに缶コーヒーを三本置き、彼は最初から疲れた顔をしていた。
「ここまで掘ったなら、もう半端には止まれないだろ」
「止まるかどうかは、まだ決めない」
光一が言う。
奥山は少しだけ苦く笑った。
「その台詞、前より似合うな」
からかわれているのかと思ったが、違った。
本当にそう思っている顔だった。
「会合で決まったのは、責任じゃなかった」
奥山は缶を開けながら言った。
「決まったのは順番だよ。誰が最初に黙るか、誰が後から折れるか、誰に最後の紙を持たせるか」
澪はその言葉を黙って聞いていた。
怒りより先に、ぞっとする。誰が悪いかを決める前に、誰がどの順番で沈黙を引き受けるかを決める。それは事件の処理というより、人を並べるやり方だった。
「最初に黙ったのは誰だった」
光一が訊く。
「教師じゃない」
「業者?」
「半分正解。学校の外から来て、でも学校の中に顔が利く人間」
「そんなやつ、いくらでもいる」
「だから嫌なんだよ」
奥山は吐き捨てるように言った。
「一人にまとめられないから、今まで残った」
そこで彼は一度口を閉ざした。
言うかどうか迷っているのが分かる沈黙だった。光一はそこで急かさなかった。昔の自分なら、たぶん詰めていた。今は違う。言えない理由まで含めて受け止めないと、次の言葉は出てこない。
「……久慈原の名前は」
奥山がようやく言う。
「議事録には出てない。でも、伝達欄にだけ残ってた。あいつは中心じゃない。けど、紙を渡す役はやってた」
澪は小さく目を伏せた。
やっぱり、と思う。
あの男はいつも、中心に立たずに線だけを握る。
*
帰り道、澪は珍しく自分から口を開いた。
「私、柏瀬に悪いことした」
「うん」
「そこで否定しないんだ」
「事実ならしない」
光一の返しは相変わらず容赦がない。
でも、今はその容赦のなさがありがたかった。きれいに慰められると、自分の失敗まで輪郭がぼやける。
「私、相手が分からないままでも言葉を渡すの、ほんとに下手」
「知ってる」
「それしか言わないの?」
「じゃあ別の言い方する」
光一は少し考え、それから言った。
「お前、分からない時に黙るだろ」
「うん」
「で、その沈黙の意味を相手に任せる」
「……」
「僕にはそれで通じることが多かった。でも、他のやつには通じない」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
また同じことを言われて、澪は少しだけむっとした。
でもそのむっとする感じが、むしろ救いだった。傷ついたまま沈むより、少し腹が立つ方が前へ進める。
「じゃあどうすればよかったの」
澪はつい言ってしまう。
「最初から好きじゃないって断ればよかった?」
「そうじゃない」
「じゃあ」
「分からないって、ちゃんと言えばよかった」
澪は足を止めた。
光一も止まる。
「それ、すごく嫌な言い方」
「そうか?」
「嫌だよ。だって、それがいちばん本当だった」
本当だからこそ、直人には言えなかった。
分からない、と言うのは、自分の曖昧さをそのまま渡すことだ。澪はそこから逃げて、“少し考えさせて”みたいな、きれいな言い方に隠れていた。
「……でも」
光一が言う。
「本当を削った時点で、もう少しずつずれる」
「それも分かってる」
「なら次は削るな」
「簡単に言う」
「簡単じゃないよ。だから今こんな顔してるんだろ」
澪は返事をしなかった。
言い返せない代わりに、少しだけ肩の力が抜けた。言葉にされると痛い。でも、痛いだけで終わらない。
*
その夜、澪は直人に短いメッセージを送った。
『あの時、分からないって言えなかったのがいちばんよくなかった。ごめん』
返事はすぐには来なかった。
来なくてもいいと思った。これは許してほしくて送る言葉じゃない。ようやく自分の失敗を、自分の言葉で渡しただけだ。
その頃、光一は奥山から受け取った会合メモを机に広げていた。
点検会社、消防団、教育委員会、学校。
四者会合の欄外に、他のページにはない記号がひとつだけある。小さな丸印。説明も凡例もない。けれど、その印だけ別の筆圧だった。
「後から足したな、これ」
光一が言う。
「誰の印?」
澪がのぞき込む。
「まだ決めない。でも、会合の後から記録に触った人間はいる」
紙は、会合が終わってからも生きていた。
それはつまり、隠蔽がその日一回で終わっていないということだ。
窓の外で風が鳴った。
澪はその音を聞きながら、事件も人間関係も同じだと思った。一度うまく片づけたつもりでも、そのあと何度も手が入る。何を削るか、何を残すか。その繰り返しで、今の形になる。
そして、たぶん自分ももう、光一の後ろで反応するだけの位置には戻れない。自分が考えたことは、自分の言葉で前へ出さなければいけない。
そうしないと、この先の話には届かない気がした。




