第38話 歪んだ笑み
「あれ? ノアとイーサンは?」
デボラさんのレストランを後にしてすぐに気づいた。
静かなのだ、一瞬でも二人がいないと。
「ああ、二人には片付けを頼んだんだ。玩具や買ってきたものを出しっぱなしにしちまったからさ」
「じゃあ、私も!」
私なんて、ヴィルさまと二階でのんびりしてしまっただけだ。
せめて片付けくらいは参加しないと。
「待てって」
戻ろうとした私の手首を、テオがぎゅっと握って引き戻した。
「アルには、他の片付けを頼みたい」
「他の? 何?」
「そうだな、ヴィルさまの身の回り?」
「おいっ」
間髪入れずに飛んできたヴィルさまの裏拳を、テオは振り向きもせず受け止める。
ヴィルさまは、なぜか頬を真っ赤にさせていた。
「ははっ。帰って執務室の片付けを手伝ってもらいましょうよ。昨日、最後の案件を終わらせたままでしょう。大事な書類もあるし、メイドには任せられないんだから」
いつものヘラっとした顔でテオが笑う。
その顔を胡散臭そうに眺めていたヴィルさまだったけど、ため息をひとつつくと、私に向き直った。
「雑用だけど、頼まれてくれるかな?」
「もちろんです。私はヴィルさまの護衛騎士ですから!」
「……そうだな、俺たちはヴィルさまの護衛騎士だもんな」
テオが私の言葉を、まるで噛み締めるように口にするから。
「……?」
だって普段なら、
『護衛って関係ある? アルは本当にさー』
くらいの軽口を叩きそうなものなのに。
「陛下からのお説教からも、ヴィル様を守らないとな」
テオは瞳を細めて、ちゃめっ気たっぷりに私の瞳を覗き込んできた。
(なんだ、そういうことか)
「もちろんです!」
「それは、とても頼もしいな」
堪えきれなくなったように、ヴィルさまが噴き出す。
声が聞こえたのか、少し先を歩いていた陛下直属の騎士が、ちらりと視線を寄越した。
うるさかったかしら。
「馬車はその角を曲がった先になります」
「え? そこって狭い路地ですよね?」
思わず尋ねてしまう。
広場には貴族の馬車を停める『馬車溜まり』だってあるのに?
わざわざ、そんな場所に停めるなんて。
「王家の馬車が停まっていると、物々しいので」
騎士の答えに眉の根を寄せていた私の眉間を、テオがつつく。
「そりゃそうだわ。さすが陛下直属の騎士様だ。目立たないに越したことはないですもんね」
「……それはどう取れば?」
「言葉通りですよ。細やかなお心遣い痛み入ります、という。さ、参りましょう。王太子殿下」
「……」
テオの様子は明らかにおかしかった。
言葉通り、というには嫌味に感じる。
確かに人がたくさんいる広場の馬車溜まりに、王国の馬車が停まっていたら目立つし、威圧感を感じる人もいるかもしれない。
陛下の騎士の言っていることは正しい。
でも——。
「行こう、アルフレート」
ヴィルさまから、肩をポンと叩かれた。
「はい!」
待って。
今、テオはなんて言った?
王太子殿下
って、言わなかった……?
テオの背中を見る。
心なしか、緊張をはらんでいるようにも見えた。
(なにが、あるっていうの?)
思わず私は振り返った。
相変わらず市場は賑やかで、人通りも多い。
不穏な気配なんて、微塵も感じられなかった。
♢
馬車の中にはヴィルさまと、テオと私の三人。
案内してきた陛下の直属の騎士は、後ろから馬でついてきている。
私たちの乗った馬車は、八人の騎士たちに前後左右しっかりと護衛されていた。
普通なら、なんで厳重で丁寧な守備体制なんだろう、って思うけど。
「テオは、いつから気づいてたんだ?」
カーテンを閉めた馬車の中、声を顰めたヴィルさまが尋ねる。
「そうですね。陛下の印影を見た時ですかね」
「へ? なんで?」
この間抜けな声は私。だって印章なんて、よほどの身分がないと見られるわけがない。
それに、本物か偽物かを見破る方法があるはずもない。
「それがあるんだな」
私から疑問をぶつけられたテオは、面目なさそうに整えられた髪をわしゃわしゃと崩した。
「どういうことだ?」
ヴィルさまも知らなかったらしい。
「つい先だって、うちの親父と俺の可愛い甥っ子が陛下にお目通りが叶いまして」
「レオン兄のとこ、二人目だっけ?」
「えっと、三人目です。最近やっと歩くようになりました」
レオンハルト・モンベリアル。
次期辺境伯でもあり、テオの一番上のお兄さんだ。
「そのチビはルーカスっていうんですけど、陛下の執務室で歩く姿を披露したそうなんです。で、よいしょ、とつかまり立ちしたところに運悪く印章が置いてあり……」
「まさか、」
ヴィルさまの顔が、うわっという顔になった。
王家に代々伝わる印章は水晶製だ。
「がしゃん」
テオは両手を広げて天を仰いだ。
「で、欠けちまったわけです、端っこがね。だからあんなに美しい印影なはずはないんですよね」
「……で、ルーカスは?」
「うちのドラゴンナイト五名を、王宮に常駐させることで話がついてます」
「それは……義父上、うまくやったな」
こんな時に、なんとも緊張感のない会話だと思う。
だけど、お陰で肩の力が抜けた。
ふう、息を吐く横でヴィルさまが、ああ、とひとつ頷いた。
「そうか、だから、ノアとイーサンにデボラたちを託したんだね」
「あっ」
敵は偽の騎士のことを誰にも知られたくないはず。
となると、知られてしまったデボラさんたちを狙うだろう。
レストランを出る前に、テオがノアとイーサンに何か話していたのを思い出した。
あれは、つまみ食いを咎めてるわけじゃなかった……。
「城から連れてきている騎士も置いてきましたし、こっちが本命ですから。……あいつらを信じましょう」
ガタンガタン、と馬車が縦に揺れている。
王宮までの道はこんな悪路ではない。敵ももう、私たちにバレてもいいと思っているのだろう。
「で、テオの見立ては?」
「以前と違って、王太子の評判は悪くないです。フロリアン王女様派の貴族たちも静かですし」
心がザワザワする。
王太子を狙って何がしたいのか。
敵は、一体誰なのか。
印章を知っていて、作れるほどの爵位がある……。
なにか、
なにか、見落としていることがあった気がする。
「ひとつだけ心当たりがあるとすれば……」
テオは最後まで言わせてもらえなかった。
ガタガタと一際大きな揺れとともに、馬車が止まったからだ。
先程とは別の騎士が扉を開けた。
「申し訳ありません。車輪に違和感があり、停めさせていただきました。点検して修理をしたいので、一度降りていただけますでしょうか」
私とヴィルさまは顔を見合わせたが、向かいに座っていたテオが朗らかに笑う。
「んじゃ、降りましょうか。じっとしてるのは性に合わないみたいで」
肩を軽く回しながらテオが先に降りる。続いてヴィルさまが、そして私が。
馬車から出ると、ひんやりした空気が漂っていた。
恐らく、郊外の森の中だ。森は王宮とは反対方向にしかない……。
殿下を守れる位置に、と前に出た私は思わず、はっ、と息を呑んだ。
そこには、先程馬車を守る……監視していた八人よりもずっと多い男たちがいた。
もちろん騎士などではない。
制服を着ていたはずの男も、今はそれを着ていなかった。
「どうせなら、最後まで茶番を見せてくれたらいいのになあ」
煽るようなテオドールの言葉。でも確かにその声色には怒気が含まれていた。
「——相変わらずだな、テオドール」
その時。
男たちの後ろから、聞いたことのない声が聞こえた。
冷たい、温度を感じられない声。
すぐに姿を見せた男は、美しい金髪を後ろに撫で付け、グレーの瞳をこちらへ向けた。
テオドールは、ひとつ大きく息を吐く。
「コンラート・ロイス。……お前じゃないことを祈っていたのに」
現れた男は口の端を歪めるように笑ってみせた。
その笑い方が、私の記憶の鍵を開く。
ライマーだ。
コンラート・ロイス。
ライマーの兄が、今、私たちの前に立ちはだかっていた。




