第37話 罠
「ヴィル様ー! もう持てませんて!」
空が高い。
穏やかに晴れたその日、私たちは城下町にいた。
私たち、つまりは——。
「ノア、まだいけるだろ」
「ならイーサンが持ってくれよ。あ、隊長でも……」
「隊長じゃなくて、テオさん。アルを見習え。一番年下なのに、呼び捨ててくるんだぜ」
「だってそれは、テオがそうしろって言ったんじゃないか……あ! ヴィルさま、待って!」
両手いっぱいに荷物を抱えた私たちを置いて、ヴィルさまだけが人混みの向こうへ進んでいく。
小走りでヴィルさまに追いつくと、私はそこで初めて気が付いた。
「今日は被っていらっしゃらないんですね」
「ああ、キャスケット?」
ヴィルさまは私の指先の行方を見て、小さく頷く。
「一応連れてきてはいるんだけど、」
ズボンのポケットを軽くたたくと、
「最近どうも調子が悪いんだ。……まあ、年季ものだしね」
寂しそうにため息をついた。
(前国王陛下の形見だっていってたもんね)
「それに、今日は使わないでよさそうだ」
笑いながら、ヴィルさまは振り返った。
後ろには賑やかな面々。
「確かに」
「だろ?」
ヴィルさまは、満足げに瞳を細めた。
(来られてよかったな)
『今度はみんなで』と約束した日から、もうひと月あまりが経つ。
その間、王太子殿下は外出を許されず書類に囲まれていたが、昨日その任務期間が解けたのだ。
とはいえ、私たち以外にもお目付け役……城から遣わされた数名の騎士たちも一緒だが。
騎士たちはもちろん、私たちも民衆に威圧感を与えない格好をしている。
私も……。
「てかアルはさー、今日も女の子の服着てくればよかったのに」
「可愛かったのになあ」
「ノア、イーサン……」
ヘラヘラ笑う二人をジロリとねめつける。
まったく、冗談ではない。
ヒラヒラした可愛いドレスで、誘拐犯と戦った私の気持ちも考えて欲しい。
「そんなに女の子がいいなら、自分たちで着ろよな」
フリッツやローミが好きそうなお菓子が入った紙袋を、よいしょ、と持ち替える。
「「俺たちが似合うと思う?」」
双子なの⁉︎
ってツッコミを入れたくなるほど、息がぴったりだ。
「もー! 付き合ってらんないよ」
私は二人に向かって、イーッと可愛くない顔をしてみせる。
それを見たテオが、ブハッ、と噴き出せば、一歩先を歩いていたヴィルさまも振り向いて目を細める。
(あ、この感じ……)
まるで、世界中の平和がここに凝縮してるみたい。
夏の気配をはらんだ風が、私たちの額を撫でていった。
♢
「まあまあ! ヴィル様も、騎士様たちも! いくらなんでも買いすぎですよ!」
レストランに着いた私たちがテーブルに荷物を置き出したのを見て、店の主であるデボラさんが悲鳴をあげた。
「でもデボラ、子どもたちは喜んでいるよ」
ヴィルさまの言うとおりだった。
「ねえ! ボールがたくさんあるよっ」
「これは、カードゲーム?」
「みて! こんなオモチャ、みたことないよ」
ローミや幼い子どもたちはもちろん、ふだんはしっかり者のフリッツまでもが、頬を紅潮させ歓声をあげている。
食べるものや衣類だけでなく、玩具も用意しよう、と言ったのはヴィルさまだった。
すぐにテオが、
『子どもたちが賑やかに遊べるように。あとあれだ、健やかな精神は健やかな体から』
なんて選びだしたものだから、みんなも競うように玩具を探す羽目になり……。
山のように積み上げられた、子どもたちへのプレゼントを前に、デボラさんは呆れたようにため息をついた。
「だからといってこんなに……」
「簡単な知育玩具もあるんですよ。楽しく学べるように。『少しでも早く、自分の適性を見つけられた方が良いだろう』という、殿下のお心遣いです」
テオがデボラさんを宥めるように、玩具の紹介を始めた。
「これなんて、ここをこうすると……」
すらすらと流れるようなテオの説明に、デボラさんが
「あら!」
と食いつく気配。
デボラさんに気づかれないよう、こっそりと片目をつぶるテオを確認して、私たちは本日のお説教会場から退出した。
「また叱られちゃったな」
レストラン二階の出窓に腰掛けて、ヴィルさまは瞳の色を柔らかくした。
まるで、お母さまに叱られた後の私みたいな顔をしてる。
反省は八割、二割は『やっちゃった』という気持ち。
こんな時アルフレートなら、
「デボラさんはヴィルさまを好きだから、叱ってくれるんですね」
『母上はロッテが好きだから、厳しく叱るんだよ』
そう、そんな時のアルは更なる反省を求めてるわけでも、慰めてるわけでもなく、まるで独り言みたいに口にしてたっけ。
アルフレート……。
今朝は体調が悪そうだったけど、ちゃんとお医者さまにみてもらったのかしら……。
なんだかとても懐かしい。
「アルフレート、キミも母上さまから叱られたりするのかい?」
「そうでもないですね。でも姉は、今でもよく雷を落とされています」
「公爵夫人の雷か。それは相当だろうな」
母の雷魔法の凄まじさは、ヴィルさまもよく知っているらしい。
同情するような色を、その瞳に浮かべた。
「おかげで姉には耐性がついて、たいていの雷は効かない体になってしまいました」
「! ふは……っ!」
私の言葉を聞き終わったと同時に、ヴィルさまは咳き込みながら笑いだした。
「そんな……毒の耐性みたいに……」
「もはや姉の体はゴムになってしまったのかも」
「……はー、もう! ダメだ……」
ヴィルさまは目尻に溜まった涙を、美しい指先で拭い取った。
(よかった。いつも通りのヴィルさまだ)
ヴィルさまが笑っているとうれしい。
胸の中があたたかくなって、優しい気持ちが広がっていく。
だから、もっと笑わせたくなる。
「シャルロッテ嬢、実に興味深いご令嬢だ」
「!」
今まで肩を震わせていたヴィルさまの前髪を、窓から入って来た風が弄ぶ。
その繊細な金色がキラキラと太陽に反射して、私の瞳を眩ました。
だって、じゃないと説明つかないもの。
ヴィルさまの顔を見られない理由が。
あまりの眩しさに、私はすぐに視線を落とす。
耳たぶの熱も、早鐘のようにうち鳴る鼓動も、まるであの日、ふたりで街を歩き回っていた時のようで。
激しい運動もしていないのに、こんなふうになるなんて。
(またか……。これも成長痛のひとつなのかも。今度の休暇、私もお医者さまを訪ねてみよう)
アルフレートの成長痛を思い出していたら、「あれ?」とヴィルさまが窓から身を乗り出す気配で我に返った。
「どうかなさいましたか?」
「父の使い……?」
私もヴィルさまに倣って身を乗り出す。
制服に身を包んでいるからすぐわかった。
そこには国王陛下直属の騎士がいて、今まさに、レストランの扉を叩こうとしているところだった。
♢
「え、なんだって?」
ヴィルさまが驚いた声を上げるのは無理もない。
騎士が私たちに伝えたのは、国王陛下からの、
「今すぐ城に戻るように」
という、命令だったから。
国王陛下の印も押してある書面を見たヴィルさまは、難しい顔をする。
「デボラたちのシチューを食べてから帰りたかったけど……」
「また今度、ゆっくりいらしてくださいな」
「……また来てもいいのかい?」
沈んでいたヴィルさまの声がパッと明るくなる。
「ええ。もちろんですとも。弟と二人、腕を磨いておきますわ」
デボラさんの温かい笑顔に、昨日まで出禁を申し渡されていたヴィルさまは、心底ほっとしたようだった。
「では、私は先に外に出ております。馬車は広場脇の角に停めてありますので」
陛下の使いが扉の外に出ていくのを見届けて、私たちも帰り支度を始める。
ヴィルさまじゃないけど、みんなと遊べなかったのも、シチューを食べられなかったのも少し残念だ。
食いしん坊のノアなど盛大に悔しがっているのでは?と、視線をやると……。
(あれ?)
テオがノアとイーサンに何か話している。しかも眉間に皺を寄せて。
(つまみ食いでもして、お説教されてるのかしら?)
私もつまみ食い、したかったな。
アルが聞いたら目を剥いて叱ってきそうなことを思って、私は口元を緩めた。




