15 「ごちそうさま」
外へ出ると、もうとっぷりと闇が落ちて、夜の街が広がっていた。子供は消え、歌う酔っぱらいと、愉快そうに歩く人々で辺りはごった返している。
俺は一足先に店から出て、後から出てきたハルキにお礼を言った。
「おいしかった! ごちそうさまでした!」
「おそまつさまでした」
ほんのり上気した顔で、とろりとした返事をするハルキを見て、俺は笑う。
「家まで帰れんの? 送ってあげようか?」
店先の段差を下りる足取りが、若干ふらついているのは気のせいではないはず。調子に乗って飲むからじゃん、とからかいながら、手を取って支えてやった。
ハルキは抱き寄せるように俺の背に手を回して、機嫌がよさそうに笑う。
「じゃあ、お言葉に甘えて送ってもらおうかなあ」
「いいよ。おごってもらったお礼にね」
大したお礼でもないけど、得意げに胸を張るとハルキは満足そうに頷いた。
ハルキに家の方角を確認して歩き出そうとする。肩でも組むみたいに俺もその背に手を回して促すけど、ハルキはその場から動かない。あれ、と視線を向けたら、じっとこちらを見ている瞳と視線がぶつかった。
深い紺の目が、熱っぽく俺を映している。何故か目がそらせなくて、俺は無意識に喉を鳴らした。
「あの、ハルキ……」
控えめに名前を呼んでも、ハルキの視線は動かなかった。何も言わずに、ただただ胸の内の何かを注ぐみたいに、俺を見つめている。
宵闇で目元に落ちた影のせいで、いつものハルキじゃないみたいだ。こんなに至近距離で見つめあうことなんて、今までなかった。俺は注ぎこまれるものに威圧されて、一瞬体を引きかけた。
そのとき、俺の背を抱く手に力がこもる。逃がしてもらえそうにないことに怯えて、肩が跳ねた。
「リク」
鼻先が触れそうなほどの近さで名前を呼ばれて、俺は反射的にハルキの胸に手をつく。引き寄せたいのか押しとどめたいのか、自分でもわからなかった。
アルコールの匂いに混ざって、かぎ慣れない香りが鼻孔をかすめていく。
ああこれ、ハルキの匂いか、と思ったときには、唇が触れていた。
少しかさついた感触。押しつけられた柔らかさに、馬鹿みたいに心臓が騒ぎたてる。
俺を抱えこんでいる腕に引き寄せられて、口づけが深くなった。目を閉じるタイミングを逃して、視界いっぱいに俺を堪能しているハルキが映る。最低だ。自分だけそんな愉しそうに感じ入って。俺なんか、心臓爆発しそうなのに!
密着した体が熱い。全身擦りつけられるみたいにくっつけられて、ハルキの胸に当てた手は何の役にも立たなかった。体と一緒に、心の奥の方にある何かに火を付けられたみたいだ。
熱をはらんだ呼気と共に唇を離されても、脳天までしびれて動けなかった。うるさい心臓に促されるように呼吸を弾ませていたら、ハルキは目を開けてじっと俺を見つめた。
ハルキは濡れた舌先で自分の唇をなぞって、嬉しそうににやりと笑う。
「ごちそうさま」
ぐわっと耳まで熱くなって、俺は腕を突っ張ってハルキを押しやった。
「最低! 酒の勢いとか、一番最悪のやつじゃん!」
「女みたいなこと言うなよ」
「うるせー! しかも往来で! ありえない!」
「悪かったって」
なじりながら距離をとろうとする俺に、ハルキはなだめるような声音で近寄ってくる。だめだ、また捕まったら、逃げ切れる自信がない。
逃がさないように俺を引き寄せた腕の熱さと、唇に押し当てられた感触を思い出して、じわりと体の内側が熱を持つ。ふらつく視線がハルキの唇を捉えた瞬間、ハルキの手が俺の手をつかんだ。
言葉にならない声が口から漏れる。おそるおそる視線を上げれば、ハルキは真面目くさった顔で言い切った。
「悪かったよ。我慢がきかなくて」
我慢。我慢してたのかよ。ずっと、こういうこと、したかったのか。
求められているという恥ずかしさが背筋を這い上ってくる。これ以上注がれたら、何かがあふれてしまう。俺は力なく手を振ってハルキの手を外そうとした。
俺を見つめる真摯な瞳から目線をそらそうとしたとき、人ごみの向こうから鋭い声が飛んできた。
「ジストリス記録官!」
熱に浮かされていたハルキの瞳に理性的な光が戻ってくる。力の抜けたハルキの手から抜け出して、俺はハルキが顔を向けた方を見やった。
声のした方から人をかき分けて現れたのは、宮殿の制服を来た男だった。ああ、ジストリスってハルキの名前だっけ。
息急き切ってやってきた男は、俺とハルキの目の前で立ち止って、上がった呼吸を整える。ハルキはしゃんと背筋を伸ばして、しっかりした口調で男に尋ねた。
「どうした、何かあったか?」
見栄っ張りの酔っぱらいめ。仕事に口をはさむのも悪いので、俺は半眼でハルキを見やるだけにとどめていおいた。
制服の男は肩で息をしながら、俺のことをちらりと見た。察した俺はハルキが何か言う前に、両手を挙げて一歩離れる。
「仕事の話だろ。いいよ、俺のことは気にしないで」
さっきの件に関しては、後日改めてだ。正直、うまく逃げられそうで、ほっとしてもいる。
申し訳なさを感じたらしい制服が、ぺこりと俺に頭を下げてから、ハルキに何やら耳打ちした。じっと見ているのも悪くて、俺は行きかう人々の群れに目をやった。
今日のデートは終わりかな。緊急のことなら、ハルキは今から宮殿に行くのかも。っていうか、こいつさっきまで酒飲んでたけど大丈夫? 俺は1人で帰れるけど。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、ハルキの心底驚いた声が夜の空気を震わせた。
「女神が盗まれかけた!?」




