0-2.朝刊
簡素で名のつくものが数える程しかない町にも誰かを慈しむ心がある。それがドーブルド孤児院だ。町で最も無垢な建造物で、ステンドグラスを背に掲げる守護の神様の像を求め毎日、数人はお祈りにやってくる。教会の役目も担い一日の殆どを開放していることから、誰かの憩いの場所になることが多かった。
少年はいつも孤児院の裏手から入り宿屋の郵便受けに新聞を入れるようにしていた。正面玄関は毎朝十時にならないと開かないからだ。けれど裏口に入れば小さな中庭があり、そこにはベンチがある。仕事を終えた褒美の一環として、少年は友達を待ちながら新聞を読むのを日課にしていた。学校に通っていない彼は読めない字が多く大きく描かれた絵や簡単な文字を追ってなんとなく理解するのが限界だったが、それでも楽しい時間だ。
「あ……魔女」
そんな彼が今日の新聞で分かったことは東にある国で新しい鉱山が見つかったこと、中枢都市を初めに全国で演劇が催されること。そして、商業国家の一つである「フォルカウルス」に魔女の姿が現れたということだった。
鉱山は知っている。鉱石が沢山取れる山だ。しかし鉱山は数が少ないらしい。だから鉱山に名前をつけた者は特に優遇されるしその周辺、土地、あるいは国自体が強くなるのだという。町の外を知らない少年も銀より金が高いことは知っているし、たまに来る物売りが一握りしか持ってないのを見たことがあった。そんな希少な鉱石が沢山ある鉱山が見つかったとくれば中枢は大騒ぎになるだろう。
それから下に書いてある演劇に目を向ける。演劇とは、はっきり言って少年はどういうものなのか知らなかった。
この前、野菜売りのビビガンの奥さんが羨ましそうに「演劇が見たい」と言っていたから、見て楽しむものなんだろうとは思う。動く絵本、みたいな。少年は想像で野菜達を踊らせてみたが少しだけ面白いと感じて足を遊ばせる。
だが彼が一番興味を持ったのは新しい鉱山でも新しい演劇でもなく、特に大きく写真が貼り付けられている魔女についての事だった。多くの人が固まって指を指す時計台の絵。それをそっと指でなぞる。
”魔女とは人の恐怖だ。魔女は土地と人の災いとなって死を持ち込む存在である。”
親のいる子供は皆がそう教わり、魔女に会ってはいけないと学ぶ。少年もその一人だ。放置気味に育った彼でも唯一両親が教えてくれたことがあって、それが魔女の存在だった。こんな辺鄙な町に現れることはきっとないだろうが、魔女の名が新聞に載ったのは半年ぶりで物珍しく感じる。皆が起きればまず魔女のことを口にするだろうなと少年は思った。
「魔女、かあ」
魔女は多くいるらしい。何人いるかは分からない。けれど自分達の数より沢山の魔法を使えるというのだ。普通、人は一つしか魔法を使えないのに魔女だけは特別らしい。だが魔女は先生になることはなくそれどころか人間を襲うのだという。幼い頃、少年は躾として「親の言うこと聞かなきゃ魔女にバレて喰われちまうよ」とよく言われていたから、会ったことも見たこともない魔女を彼は信じていた。魔女が人間をとても嫌っていることも、魔法を沢山知っていることも心から信じていた。
「なんで嫌いなんだろう。でも、魔女は同じ人間だって言ってる人がいたから、人から生まれたのかな?なのに人が嫌いなんだ」
人間が嫌いな人間の魔女。少年だって両親が苦手だが、魔女は二人どころか何万人、何百万人の人を嫌いという。なら、全く人ではないのかもしれない。
例えば、西にある森には人の上半身の騙る触覚をぶら下げて獲物を誘い込む肉食獣もいる。他にも人の声を真似る草食獣もいる。そういった獣や魔物達と同じ類なら人を食らうのもなんとなく納得がいった。
「僕なんか、きっと会ったら丸呑みなんだろうな。大きな口なのかな?こんな、肉がない体でも食われちゃうのかな」
そう言いながら、少年は腹を摘む。殆ど皮膚を引っ張ったようなものだった。何せ自分で稼ぎ自分で買わねば肉を食べさせてもらえないので、スープと木の実で出来た体は美味しそうにはみえなかった。少年自身が肉食獣だったとしてもこんな痩せっぽい子供は食べたくない。よっぽどお腹が空いていたら食べるかもしれない。
そもそも魔女は本当に人を食うのだろうか。少年は信じているだけで何も知らなかった。しかし新聞を見ながら想像するのは楽しく、何度も同じページと同じ写真を見返した。その度に老いたベンチがギシギシと鳴る。
「あっ」
そんな少年が新聞からようやく顔をあげたのは、靴が庭の中へ飛んでいってしまった時だった。ぽすっと消えていった靴のため、草で汚れぬよう片足を浮かせながら取りに行く。霧が薄くなったおかげで茶色の靴でもすぐに見つけられた。ただ、足元が隠れるほど伸びているのを気にしてしまう。今度、院長に掛け合ってみようか。友達の住まいでも少年のお節介は健在だった。
「でもそろそろ戻ろうかな。……起きてこないみたいだし」
履き直しながら孤児院を見上げる。裏庭から見ると子供たちがいるらしい部屋の窓が何個か見えるのだが、カーテンはまだ閉じきっている。
この孤児院にいる子の最年少は一歳。最年長は少年と同じく十六歳。皆、自由気ままに暮らしているので起床時間は町の中で一番遅い。それでも少年が新聞配達を終えて数分から十分ほど待つのは、たまに起きてくる友達のためだった。けれど今日は何度見上げても窓の先は見えない。
このまま待ち続けるのもなんだかいたたまれず、ヒューダルを気にしていた彼は新聞を畳んで一度家に帰ることにした。




