0-1.早朝
北西の辺境に小さな町がある。商人の休み所か放浪者の足止め程度にしかならない数十人の住処だ。家の背は高くなく、大した名所もない。名前の着いた建物は町の北に教会を兼ねたドーブルド孤児院くらいだろう。そこは唯一そこそこの広さを持っていて二十足らずの子供が住んでいる。だが無償援助にも近しいそれを記事にする価値はなく、田畑も少なければ家畜も数頭しかいない。何も外に売るものがない、狭く貧しい町だが朝はどこの国よりも早かった。
薄霧が晴れるよりも早く起きてくる少年がいるからだ。
くせっ毛の多い北西人に比べ、細く流れるような髪を持つ少年は割れた鏡で目やにがないかを確認する。だが彼は自分の髪の珍しさをわかっていないのですぐに帽子を被ると、毛先の立ったバッグを背負って部屋を飛び出していくのだ。
人の寝静まるうちに一つ一つ新聞紙をポストに入れていく。それが彼の誇らしい仕事で朝早くに起きる理由だった。一冊で銅貨一枚。全て入れ終えたら銀貨五枚。少年にとって銀貨五枚はとてもありがたいお金だった。
大きな街や都市では銀貨五枚では乳と芋のスープか鳥の足焼きしか手に入らないと聞くが、ここでは一枚でスープが飲める。残念ながら鳥は付いてこないものの、小腹を満たせる上に四枚も余る。夜は野草を焼いたり残したスープを温めパンに浸して食べるので少年は一日食うのに困らなかったし、余った四枚を貯金にすることができる。だから少年は新聞配達を自慢としていた。
一方で彼の届ける新聞はと言うと、当然貴重な情報源として重宝されているものだ。唯一町長が北西の都市「ベヌティンガ」と契約した町外物資である。辺鄙な町なのでさすらいの商人はたまに来れど、街や国を拠点とする人は滅多に訪れない。そうすると世間の状況がよく分からなかった。いくら貧しい町でも情勢ぐらいは追っておきたい。なので少年の配ってくれる新聞はこの町の人にとっては銀貨数枚以上の価値があった。それでいて少年の性格は真面目で温厚、かつ健康体であったから任されるのは自然で、町の人々に愛されるのも自然的な事だった。
そんな少年が一時間足らずで配達できる何も無い町だが、彼は彼なりに順番を決めて駆け回る。自分の家は一番に、それから南に進めて北へ向かう。そうして孤児院は最後に訪れるようにしていた。新聞を入れ終えたら昼に報告すれば良いので、その間に友人に会うのが日課だからだ。
「あれ。ヒューダルさん、昨日のお手紙取ってないや。大丈夫かな?」
錆の目立つポストを一つ一つ開けながら、少年は新聞を入れるついでに高齢者の町人も気にかけたりする。例えば靴磨き職人であるヒューダル=ドットマンは酒好きで、家に帰れずその辺で潰れていることが多い独り身の男だ。彼は収入の殆どを酒と新聞にあてるので飯を抜くことも多い。酒を胃の中にため半日眠りこけることも少なくないので少年は飢えていないか、またはどこかで倒れているのではないかと案じてしまう。
孤児院に行く前に彼を探すべきだろうか。
「最近朝が寒くなってきたし……そうしよう」
少年は今日の分の新聞を押し込むと、踵を返すことにした。彼が外で倒れている場合、大抵同じ場所で寝ているから候補はいくつかある。そこを見てからでも間に合うと判断した。
彼が考えられる候補の中で一店しかない服屋は有力候補の一つである。ドットマン家のある通りを一本越えた先で、娘のアーリーという女性が営んでいる生花の多い店だ。
ヒューダルは口数の少ない男だ。それでも彼女の近況を聞きたいらしく、口下手で伝えられないのが常の悩みと愚痴っているのを少年はよく聞いていた。しかし酒を入れれば調子が良くなるのか、それともアーリーには夢遊病のきらいでもあるのか、ヒューダルは夜酒をすると決まって服屋の前に寝そべっているのだ。いつの時だったかアーリーに「迷惑じゃない?」と尋ねている様子を見かけたが、娘は「最近酒に慣れるように色々飲んでるの」と笑っていた。
「ここじゃない。井戸かな?」
少年は新聞に変な折り目がつかぬよう大事に肩紐を握りしめ服屋の前を窺ってみる。けれど誰もおらず、枯葉さえもなかったので今度は町の西にある井戸に行くことにした。二番目の有力候補だ。
水を買うという文化が届いていないこの町では、井戸は共有資産だ。雨が降れば皆で水を汲むし、井戸の掃除も交代で行う。年季が入っていて古いけれどいつだって水は澄んでいて美味しい。とはいえ水を汲むだけのものなのでベンチやら日陰になるような場所はひとつもない。それでもヒューダル曰く「井戸の冷たさが心地よい」のだそうだ。だから酔った頭を冷ますために寝転ぶ姿を町の人なら一度は見たことがあった。少年は見つける度に健気に叱っているが中々なおらないままである。服がめくれるほどの腹を見て大人になっても飲む酒はひと瓶だけにする、と確と思ったものだ。
「ここに……もいない!困ったな、町の外に出てなきゃいいけど」
だがそんな飲んだくれは井戸にもいなかった。井戸周りに草の潰れた跡がないことを見かねた少年は、結局配達に戻ることにした。心配ではあったが配達が遅れてしまうと大事なお金が貰えない。子供がそこまで心配しなくても良いだろう、とヒューダルの面子も考えて足早に孤児院へと走った。




