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ウンディーネシリーズIF コモ湖殺人事件  作者: 咲佐きさ


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9/19

第九話

 セデュイール逮捕の報道は、その日の裡には別荘地の住人に知れ渡った。噂好きのマダムが声を潜めて囁き合う。

「あのひとがねえ、まさか…」

「あんなに立派な方が、なにかの間違いじゃない?」

「毎年、恵まれない子供たちのために収入の半分を寄付しているって噂を聞いたばかりですのに」

「慈善事業も、隠れ蓑だったのかしら。陰ではもーっと、いけないことをなさっていたのかも…」

「あの美貌で、サディストなんて、たまらないわ。いじめられたい…」

「いじめられるだけならいいけど、殺されたんじゃ、それこそ、たまらないわよ」


 くすくす好奇心や野次馬根性を露に囁き合う渦の中を足早に歩きながらパールは暗澹たる思いでいた。手元のバッグにはセデュイールの件についてざっくりと概要のみ記された号外が差し込まれている。

 夫のブルースは沈んでいる。心優しいあのひとは、先生の醜聞に心を痛めているのだ。立派な先生が、そんなことをするはずがないのにと。でも、何かの間違いだと思おうとしても、自ら罪を告白したのだと言うし…無罪なら、そんなことをする理由もないわけだし…。

 足元ばかりを見て俯いて歩いていたパールは曲がり角でぼんやり立ち尽くしている男の子に気付かず、どんと身体がぶつかる。

 華奢な男の子はふくよかなパールに跳ね飛ばされて尻もちを突き、パールは慌てて手を差し伸べた。

「ごめんなさい、気づかなくて…お怪我はなくて?」

「あ、だ、だいじょうぶ、です、あの、ぼく…」

 屈んだ表紙にばさりと号外が路面に落ちて、尻もちを突いたままの青年はそれを凝視する。

「あら、ごめんなさい、これ…」

 パールが拾い上げようと手を伸ばす前に青年は号外に掴みかかり、それを抱き締める。青年の腕の中で、くしゃくしゃになった号外がカサカサと乾いた音を立てる。

「ど、どうしたの? あなた、…大丈夫?」

 パールはおそるおそる声をかける。黙り込んだ青年はただ首を横に振って、ぼろぼろと大粒の涙を零していた。


「レヴォネ先生がやったなんて、嘘ですよ! 絶対に嘘! あのひとがそんなことをするわけないですもん…」

「でもよオ、自分で罪を認めてるんだろオ? 他に犯人っぽいやつもいねえみてえだし、覆すのは無理じゃあねえか?」

「ロッキーは知らないからそんなこと言えるんですっ…レヴォネ先生は、いつも優しくて…僕が落ち込んでいるときも、寄り添って、慰めてくれてっ…僕に自信を付けさせてくれたんです、あのひとが初めて…」

「まー人は見かけによらねえってことじゃねえの? あの画家も、殺されてもしょーがねえようなことばっかやってたみてえだし…」

「もう、ロッキー!」

 ブルースは力の入っていない手でぽかぽかロッキーを叩く真似をする。いつものじゃれ合いを他所目にルージュは号外に屈みこんで、そこにでかでかと記載されたセデュイールの写真を眺める。凛として、綺麗な男の人だ。映画俳優にでもしたいくらい。とてもそんな惨劇を引き起こすような男の顔には見えない。

 …私をナンパしたルーシュミネとかいう奴は、このひとの遠い親戚らしいけど…全然違うわね。うん。あのへらへらした優男とは根本から違う人種ってカンジ。まあ確かに、ルーシュミネの顔はロッキーに負けないくらい可愛らしかったけど…立ち居振る舞いも、ロッキーほど粗暴じゃなくって、柔和で、どこか地に足がついてないような雰囲気で…

「ただいまブルース、ルージュ、ロッキー!」

「おかえりなさいパールさん、外はどう…て、ええ!?」

 ブルースの頓狂な声が高い天井に響き渡り、ルージュはむくりと身を起こす。

 気づかわし気に振り返りつつ立っている姉のパールが引き連れてきたのは、先ほどまでルージュの頭の中にいたはずの、ルーシュミネ・リーヴェだった。


「セデュは、やってないんです。ちがうんです。ぼくがぜんぶ悪いんだ、ぼくが…」

 動揺した様子のルーシュミネはひどく青褪めた顔色で、震える手で顔を覆いながら呻く。あの朝にナンパしてきたヘラヘラ男と同一人物とは思えないくらい、真剣で、深刻な様子だ。

「この子、ずっとこんな調子で…見かねて、連れてきちゃったの。いけなかったかしら?」

「パールさん、なんて心優しい…あなたは女神です…」

 ブルースはうるうるしながら10歳は年上の嫁を見つめている。いつものことだ。ロッキーはハアとため息ついて肩を竦めて、ルーシュミネをまじまじと眺める。ロッキーも多分、あの朝の彼とのあまりの違いに面食らっているのだろう。

「犯人があいつじゃねえってんなら、警察にそう言やあいいじゃねえか。こんなとこで管撒いてないでよオ」

「言ったよ、言った…でもきいてくれなかった、誰も…犯人はセデュだからって、もう決まったことだからって…」

 かぼそいテノールは途中から涙声になって途切れる。緑の瞳から溢れる涙を拭いもせずに悄然とルーシュミネは座り込んでいる。絶望がその瞳の色を昏くしている。世話焼き気質のあるパールは、そんな少年を放っておけずここまで連れてきてしまったのだろう。仕方のない姉さんだ。

――ルーシュミネの言うことが真実だとしても、警察に相手にされないんじゃ、どうしようもない。打つ手なしだ。一般市民が公権力に立てついたところで、得るものは何も――

「あいつに、頼んでみる? こんなときくらい…」

 ルージュが切り出すと、ルーシュミネ以外の、3対の瞳がぐるりと胡乱げに見返してくる。うん、私もあんまりアテにはしていないんだけれどもね。引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、はいサヨナラなんてことも、しかねないヤツだとは思うんだけどね!

「一応、探偵、なんでしょ? ここで活躍しないで、どこで活躍するっていうのよ…」

「う、~~~~ん…」

 一様に首をひねりつつ、それでも新婚夫婦と結婚2年目の夫婦、ルーシュミネの5人はその場所に向かうことにした。

 コモ湖の町外れの岬にひとつぽつんと建つ、おとぎ話の家のような一軒家へ。





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