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ウンディーネシリーズIF コモ湖殺人事件  作者: 咲佐きさ


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第六話

「金髪の男の子がピエトロ・ゼンと一緒にいるところを見ていないかね? 髪の長い、華奢な男の子だよ。天使みたいに愛らしい…」

「ええ? えっと…」

 取調室に通されたブルースは記憶を辿る。結婚披露パーティーに、そんな特徴の子が来ていた気がする。確かレヴォネ先生に紹介されたんだ。遠い親戚だって話していた…。

 披露宴の後に行ったバーにもいた気がする。バーにはレヴォネ先生は来なかったから、不思議だって思ったんだった…。

「ロッキーとの喧嘩の後で、カウンターに行ったピエトロさんが、何か話しかけていたのを見ました…そのあとは、ちょっとわかりません。僕はロッキーと、パールさんとルージュさんと一緒に、店を出たので…」

「あの子がどんな子か、知っているかね?」

「レヴォネ先生の、遠い親戚だって聞きましたけど…え、あのひとが今回の件に何か関係あるんですか?」

「…どうもありがとう。それから、ご結婚おめでとう。花嫁さんとお幸せに」

「あっ、ありがとうございます…」

 にっこり笑ったマリウスに丸め込まれたブルースは釈然としないまま帰される。

 ブルースの後姿を見送ったラヴィックはペンの頭でとんとんと調書をつつきながら呻る。

「今のところ、パーティーに出席した連中のなかで確たるアリバイがないのはあのルーシュミネってヤツだけですね。ロッキーは奥さんとホテルに帰ったらしいですし…」

「夫婦で口裏合わせてるって線もある。早とちりは禁物だぞ、ラヴィック」

「そうは言っても、刑事だってあいつが怪しいって思ってるんじゃないですか?」

「まあ、いずれ真実が明らかになるさ。犯行の証拠ってのは、消そうとしたって消せるものじゃない。どこかでボロが出るはずだ、必ず…」

 トレンチコートを羽織って席を立つマリウスをラヴィックが追う。

「警部、どちらまで?」

「被害者の自宅だ。美術的に価値のある画家の大量のスケッチとやらを、是非とも拝見しに行こうじゃないか」



 被害者の自宅にはテープが張られ関係者以外立入禁止の表示がされている。

 二階建てのこじんまりしたアトリエ兼住宅だ。入口はいってすぐに優雅な螺旋階段が上階へ導き、窓から射す光を燦燦と浴びた二階のアトリエには画布が何枚も立てかけてある。

 描きかけの油絵がカンバスに載っている。精悍な男の横顔だ。美しく整った鼻梁、引き結んだ薄い唇、凛とした眼差し、首元に掛かる黒い襟足、シャツのボタンを上まできっちりと留め、ワインレッドのクラヴァットを覗かせているグレースーツの色男。…

「警部、こいつは…」

「ああ、ついさっき見たばかりだなア、この顔は…」

 そこに描かれていたのは先ほど警察署に自ら乗り込んできた男、ルーシュミネを連れ去った、セデュイール・レヴォネその人だった。




「セデュイールのことはよく存じております。もう10年も婚約関係にあるのです。わたくし以上にあのひとについて知っている者は皆無と言って良いでしょう!」

 取調室での無味乾燥なやりとりを拒否した乙女はバーの一角で扇子を広げて笑みを隠しつつそう豪語する。

「10年まえと言うと、レヴォネ氏が19の頃からですか。それはまたずいぶん…」

「長い春だと仰りたいの? ええ、あの方はとてもまじめなんです。学生のうちはまだ早いからと仰って、卒業してからは、立派に一人立ちできるまでと…そうこうするうち、あのひとの素晴らしさは世界に広まってしまって、もう目の回るような忙しさになってしまって…婚期が伸びているのはそのせいなんですわ。決して、あのひとがわたくしから逃げているということではありませんのよ!? よろしくて!?」

「ほお。それはそれは…」

 亜麻色の髪の豊満な乙女の陳述を聞くのはマリウスに任せ、ラヴィックは音楽雑誌をぱらぱらする。指揮者レヴォネ氏の特集記事がそこには載っている。なんでも、生家は貴族の名に連なるという名門で、父親は某貿易会社の創業者の長男、父の事業を継いで更にそれを拡大し莫大な富を得ているという。所謂資産家のお坊ちゃんってことか。広大な実家には使用人が数十人おり、何不自由なく育った彼は11歳でピアノコンクールの最優秀賞を獲得、以来音楽の道に邁進し、音大に入って著名なマエストロに師事し、トントン拍子に指揮者へと――

「あのひとはね、誠実で、思慮深く、心優しい紳士なんですの。わたくしのことをいつも一番に考えてくださるのよ…」

「事件のあった晩ですが、パーティーの後あなたはバーには行かずレヴォネ氏と二人で離脱された、と」

「ええそうよ。あのひとは行方不明のあの居候の子を探しに行くって街に出て…」

「それは何時ごろです?」

「…夜、10時過ぎだったとおもいますわ」

「レヴォネ氏はルーシュミネ・リーヴェがバーにいることはご存じなかったと」

「そうでしょうね」

「では、そのルーシュミネ・リーヴェのことですが」

 マリウスが切り出すと、今まで湯水のように溢れていた言葉がぴたりと止まる。どこか白けたような雰囲気で見返す乙女に、マリウスは重ねて尋ねる。

「レヴォネ氏との関係について、お聞かせ願えますか」

「ああ、あの子。ただの居候ですわ」

「遠い親戚だという話も聞きましたが」

「親戚? あの子が? バカなことを仰らないで。あんな子が、レヴォネの家に関わりがあるわけはないでしょう…」

「ほお、すると…」

「もともとは、セデュイールに拾われた浮浪児なんですわ。心優しいあのひとは、身寄りのないあの子を見捨てられなかったのね。それで今日までずるずると…」

「いつからです?」

「10年前よ。確か。あの子はまだほんの子供だった…セデュイールにとっては、いつまで経ってもあの子はあの飢えていた、子供のままなんでしょうね…」

 ルーシュミネについて述べるときには吐き捨てるような調子だった声が、婚約者については夢見るような調子を帯びる。とことん惚れ込んでいるのだ、このお嬢さんは。10年も待たされてなお。罪な男である。

「おふたりが特別な関係にあるということはないですかな?」

「特別?」

「ええ。所謂、愛人関係というような…」

 針で穴を穿るように尋ねるマリウスに乙女の顔色が変わる。さっと青褪め、つづいて怒りを押し殺したような真っ赤へと。

「…そのような事実はございませんわ。少なくともセデュイールは、異性愛者ですの。あの子については知りませんけれど…あの子がセデュイールに懸想したとしても、あのひとはキッパリ拒否するはずですわ。わたくしがいるのですから」

「ほお、その自信がおありで」

「事実ですから。あのひとがわたくしと婚約しているのがなによりの証拠ですわ!」

 乙女は普段の淑やかさもどこへやら、怒りの命じるまま椅子を跳ね飛ばすように立ち上がり、執事に付き添われてツカツカと出口に向かう。

「フラれちゃいましたねえ、刑事サン」

 黒髪のバーテンダーがにやにや笑いながらウイスキーを注いで寄越す。マリウスは髪を撫でつけながら苦笑する。このバーテンダーから、あの夜のバーにレヴォネ氏がいなかったことは証言がとれている。

 そして、ルーシュミネが殺された画家と共に飲んでいたことの証言は、もうひとりのバーテンダーから。

「なんというか…ゲイ同士の三角関係、ってこと、ですかね」

「あり得るな。俺らの知らねえ世界の話だ。なかなか興味深いじゃねえか」

「あ、そういえば」

 額を突き合わせてぼそぼそ会話を交わすラヴィックとマリウスに、黒髪のバーテンダーの無粋な声が割って入る。

「この間の取り調べのときは、ウッカリして忘れちまってたんですが。今思い出しましたよ。へへ…」

「何だ? 新たな証言か?」

 ラヴィックに促された黒髪のバーテンダー、ファルコ・コルディアリテは頷く。

「実はね、」

 と前置きして咳払いをひとつして、顰めた声で彼は言った。

「あの夜、酔い潰れたルーシュミネを、画家が引っ張っていくのを見たんですよ。どこに向かったかは知りませんがね。路地裏か、どこかの安ホテルかもしれませんがね…へへ」




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