第五話
「バーで深夜、口論してるところは見ましたね。R&Bのヴォーカル、ロッキー・バートンですよ。ご存じないですか? なかなかの有名人で…へへ、酒癖が悪くて、酔うと何を仕出かすかわからないって言われてるヤツで…アメリカでも、暴行事件を過去に何度か起こしてるって噂で…」
「ふたりが争っているのは見ましたね。最後は俺が捥ぎ離しましたけど…その後? えーと、ロッキーさんは帰って、画家の人のほうはカウンターで飲み直してましたね。深夜2時くらいまでいたんじゃないかな?」
ピエトロ・ゼンが最後に目撃されていたバーのバーテンダー二人にそれぞれ尋問を行うと、似たり寄ったりな返答を得られた。
「他に何かひっかかるようなことはなかったかね? 噂でもいい、ピエトロ・ゼンが誰かに恨まれるようなことをしたとか、逆に誰かに特別執着していたというような…」
身を乗り出して聞くマリウスの迫力に若干引き気味になったバーテンダー二人は、記憶を辿るような顔をして、それぞれ別の結論にたどり着いた。
「恨まれるってことはねえんじゃねえですか? あのひとは独身を謳歌してて、人と深く付き合ったりはしてねえようで。ちょいと偏屈だが、あのひとが揉めてるのを見たのはあの夜が初めてでしたし。俺はロッキーが怪しいと睨んでるんですがね。刑事さん、どう思います?」
これは黒髪のバーテンダー、ファルコ・コルディアリテの証言だ。
「恨まれることは、あると思いますよ。あまりいい噂のない人でしたし…なんでも、あの画家の人、ホモ・セクシュアルで、男の子を攫ってレイプするのが趣味とかなんとかって噂があって…」
そしてこれは、赤毛のバーテンダー、チャーリー・トーンの証言だ。
二人を帰した後でマリウスは顎を撫でまわす。早朝に呼び出されたおかげで髭を剃る時間もなかった。密集した無精髭がちくちくと指に触れる。
「どう思います? ブラス警部」
「痴情の縺れって線も出てきたな。被害者の自宅の捜索は終わったのか?」
「てんてこまいらしいですよ。奴さん、画家だけあって、キャンバスだのスケッチだのが大量にあるらしくて…」
「ほお、」
「その中に、別荘地の住人らしきスケッチがないか、捜してるところです」
「奴と特別な関係にあった人間、か…」
「警部、参考人が到着しました」
「よし通せ」
昨夜、例のバーにいた人間はひとり残らず参考人として招集をかけた。次は噂のロッキー・バートンの登場だ。ピエトロ・ゼンと掴みあいの喧嘩をしていたという人間だ。果たしてどんな発言が飛び出すか…。
「俺は殺してません」
きっぱりとロッキーは言った。椅子に掛けるなり、まっすぐにマリウスの目を見てだ。
「…それはこれから調べることだな」
「俺は殺してない! ちょっと酔って喧嘩しただけだよ、あんただって経験あるだろ!?」
「どうだろうな。お前、経験あるか?」
「さあ…」
唐突にマリウスに水を向けられラヴィックは口ごもる。イライラと握りしめた拳をドンとテーブルについて、ロッキーは再び咆哮する。
「相方の結婚式の後で、そんなことするわけねえだろう!? 俺には嫁さんもいるんだ、子供はまだだけど…立場だってある。今の地位を擲ってまで、そんなことする意味がねえだろうよ…」
「関係を奥さんにバラすと脅迫されたということはないかな? ピエトロ・ゼンはゲイだったそうだね。君は…そうだな、小柄で若々しく、なかなか愛らしい顔立ちだ。ゼンの好みだったのではないかな?」
「いい加減にしろよ! あんまり俺を愚弄するようなら、こっちにだって考えがあるぜ!」
ロッキーの第一回目の尋問は、彼が怒り狂ったところで終了となった。マリウスとしては、してやったりだ。逆上した相手はボロを出しやすくなる。やつが本当に犯人ならばの話だが…。
「次の参考人は?」
「ルーシュミネ・リーヴェ、バーでピエトロ・ゼンの隣で呑んでいたという若者です。この子はちょっと…」
女性刑事はふと声を低め、マリウスを上目遣いに見る。
「どうした?」
「…いえ、お会いになればわかると思いますが…ひどく怯えた様子でして」
「ほお、」
取調室に入ってきた彼は、鮮やかなブロンドと淡い緑の瞳の、ひどく美しい青年だった。
「氏名と年齢を」
「ルーシュミネ・リーヴェ、23です…」
「君は何をしているひとかな? 学生?」
「…なにも…」
儚げな白皙は青褪め視線はうろうろと彷徨う。この取調室に悪霊でも憑いていて、今にも彼に襲い掛からんとしているかのようだ。
明らかにおかしい。不自然だ。彼は何かを知っているのだろうか。あるいは…。
「昨夜の行動について教えてくれるかな」
「昨夜は、そのう、ブルースさんの結婚披露パーティーに出て…そこから途中で抜け出して、バーに行って…」
「なぜ途中で抜け出したの?」
「え?」
思いがけないことを聞かれたようにきょとんとしてルーシュミネは聞き返す。
マリウスが同じ質問を二度すると、やっと理解したように彼は視線を落として、訥々と言葉をつづけた。
「ちょっと、なんていうか…場違い、だったので…ぼくは、セレブでもないし、働いてもいなくて…それで、えっと、バーで飲んでいたら、パーティーに出ていた人たちがお店に入ってきて…喧嘩が始まって…」
「誰と誰の?」
「ピエトロさんと、ロッキーさんの…それで、えと、ぼくはお酒をたくさん飲んで、…途中からは、意識がなくて…」
「ほお。気が付いたのはいつ? 何時頃? どこで?」
「…え、あ、あの…夜? 暗くて、時間はよく…場所は、あの、ええと…」
怯えたように身体を縮こまらせてルーシュミネは言葉を探している。薄れた記憶を辿るように頭を抱えて、緑の瞳には薄い涙の膜が張っている。
「落ち着いて、思い出してご覧。君が起きた時、最初に見たものは?」
「…あの、ヨットハーバーに。モーターボートがあって、その近くで…はい、ぼくはそこにいました…」
「それを証明できる人は他に誰かいる?」
「……」
震える手を揉みこみながら黙り込む彼の言葉は到底真実とはおもえなかったが、青褪めて今にも昏倒しそうな青年をそれ以上詰めることはできなかった。
保護者と名乗る男が署に乗り込んできたからだ。
世界的に有名な指揮者であるその男――セデュイール・レヴォネ――は怯える青年を連れて颯爽と署を去った。不可解な疑問だけを残して。
「…怪しいですね、明らかに」
ラヴィックが調書を睨みつけながら言う。マリウスは鼻で笑って、ルーシュミネの監視を部下に言いつけた。




